内緒話



窓から差し込む光が眩しくて、目が覚めた。


「…………いない……」


のっそりと身体を起こして周りを見渡すが、ローの姿が無い。
同じく、干しておいた彼の衣服と刀もない事からすでに起きているのだろうとエマは思った。

そういえば、自分はいつの間に寝てしまったのか。
エマは昨夜の事を頭に思い浮かべると、しばらくして、顔が真っ赤に染まり毛布に顔を埋めた。
自分がベッドの上に寝ていた事も、おそらくローが運んでくれたのだろうと推測した。


「何してるのよ、私……」


長く大きなため息を一つ吐いて、顔を上げた。


「何時……」


とにかく起きなければと、エマは衣服を身に着け、寝室を後にした。



「おねえちゃんっ!」

「わっ、と」


部屋から出たエマを迎えたのは、小さな少女だった。


「ミア!よかった、元気そうね。怪我はなかった?」

「うん、へいき!」

「そう、本当によかった」


ミアに目線を合わせて頭を優しく撫でると、ミアはにっこりとした笑顔をエマに向けた。


「よく眠れたかい?」


別の声がして、影がかかり顔を上げると店主がその場に立っていた。


「ええ、おかげ様で。色々とありがとう」

「お礼を言うのはこちらの方だ。ミアを助けてくれてありがとう」


そう言って頭を下げた店主につられて、エマも頭を下げ返した。


「君達は、海賊だったんだね」

「追い出す?」

「まさか、そんな事はしない」


聞けば、ローは少し前に船の様子を見てくると一人出て行ってしまったらしい。
起こしてくれればよかったのに、と頬を膨らますエマに、店主が朝ごはんを用意してくれた。
それを頬張りながら時計で時間を確認する。
時刻は8時を少し回った所で、そこまで寝過ごした訳ではなかったので安堵した。


「お風呂も沸かしてあるから入ってくるといい」

「何から何まで、お世話になります」

「さっきも言ったが、ミアを助けてくれたお礼だ。これくらいさせてくれ」

「……じゃあ、お言葉に甘えて」


そうして有難く朝食を取り、「一緒に入る!」と言ったミアと共にお風呂を済ませた。

そしてちょうどその頃、船の様子を見終えてローが戻ってきた。
タオルで髪を拭いているエマの姿を見て、ローの眉間に皺が寄る。


「おかえりなさい」

「……てめェ、人が船に戻ってる間に呑気に風呂なんて入りやがって」

「え…?もしかして、皆に何かあったの…!?」


昨日は色々と慌ただしかったせいで、すっかり頭から抜け落ちていた。
かなり大きな地鳴りだったのだから、海だって相当荒れたはずだ。

突如不安が押し寄せ、ローの元へ駆け寄った。


「あいつ等も船も無事だ」


その言葉がローから出た途端、手の力も足の力も抜けてしまった。
「よかった」と小さく呟き、その場にしゃがみ込んでしまう。


「ただ、相当揺れたらしいな。船内は物が散乱してる、お前も戻ったら片付けろよ」

「分かったわ……皆も無事でよかった」

「心配し過ぎだ。あいつ等もそんなにヤワじゃない」

「ええ、そうね。ところで、あなたは体調はもういいの?もう少し休んだ方がいいんじゃない?」

「だから、心配し過ぎだ。母親かお前は」


心配そうに顔色を覗き込んだエマに、鬱陶しそうにローは顔を反らした。


「……船長、」

「…………」

「ちょっと、なんで顔反らすのよ」

「…………」

「……本当は万全な体調じゃないわね…?」

「…………」

「いいわ。戻ったらベポとシャチとペンギンに頼んで無理やり寝かしてもらうんだから」

「……いい性格してるじゃねェか」

「誰かさんに似てきたんだわ、きっと」


ふふん、と笑ってエマは言う。
そんなエマを見て、ローはムッとした表情で反論する。


「お前こそ、そんな酷い顔で戻ったらあいつ等に茶化されるぞ」

「え?」

「目元が真っ赤だ。昨日は散々泣き喚いてたからな、ちゃんと冷やさねェからそうなる」

「そういう事は早く言ってよ!あと、それ皆には言わないでよ!」

「さァな」


「店主さん氷ちょうだい!」と慌てるエマを見て、ローはくつくつと喉を鳴らして笑った。

そんなローの服の裾を何者かが、クイっと引っ張った。
目線を下にやれば、ミアがまん丸とした瞳でローを見上げていた。


「なんだ」

「おにいちゃん、ミアを助けてくれたんだよね?」

「……まァ、そうだな」

「ありがとうおにいちゃん、ミアのこと、助けてくれて!」


パッと明るい表情でそう言ったミアの頭を、吸い寄せられたかのように手が自然と撫でた。
そんな自分の行動に、ロー自身が驚きを隠せないでいた。


「……おにいちゃん?」

「……もう、転ぶなよ」

「うん!」


ローが今回身を呈してまで守ったのは、何もエマのためだけではなかった。
この小さな少女の事も、どうしようもなく気になった。

少女の笑顔を見た瞬間、何かが満たされていくのをローは感じた。


「あ、そうだ。ミアね、おにいちゃんに言いたい事があって」

「言いたい事?」

「んとね、ちょっとお耳かして!」


ちょいちょいと手招きをするミアに、仕方なくローはしゃがんで顔を寄せた。


「エマおねえちゃんね、きっとおにいちゃんの事だいすきだよ」


思いもよらなかった言葉に、ローは目を丸くした。


「だからね、昨日はいっぱい泣いてしんぱいしてたんだよ」

「……へェ」

「もうしんぱいかけちゃダメだよ。ミア、おねえちゃんの事だいすきだから、また泣かせたらおこるからね!」

「ふっ、くく……あァ、肝に銘じておく」

「おにいちゃんも、エマおねえちゃんの事すきでしょ?」

「なぜそう思う」

「えーっとね……おんなのカン!」

「なんだそりゃ」

「でも今、おねえちゃんを見るかおが、すごくやさしかったから!」


「やっぱりすきなんでしょ?」とミアは再度ローに問う。
その質問にローは答える事はせず、ミアの頭をもう一度くしゃりと撫でた。


「どうかな」


そう言って立ち上がる。
ミアからはローが今どんな表情をしているのかは見えなかった。


「エマ、行くぞ」

「え、待って、もうちょっとだけ…!」

「諦めるんだな。みっともないまま帰れ」


玄関のドアに手をかけたローを見て、慌ててエマがその後を追う。
買ってもらったばかりのコートに身を包みながら、振り返って大きく手を振った。


「ミア、店主さん、またね!」


「おねえちゃん!おにいちゃん!ありがとーーー!!」


ミアの大きな声が返ってきて、エマとローは顔を合わせて、ふと笑った。

翌日、出航前に大量のワインが船に運び込まれた。
その夜、船内で盛大に宴会が開かれたのは言うまでもない。