芽生え
「あ」
エマのお腹空いた発言で立ち寄ったレストランを後にし、そろそろ船に戻ろうかという所である物に目を奪われた。
ショーウインドーに飾ってあるそれは、なんとも芸術的に並べられており、人々の興味を引くには十分だった。
「ワインか」
「ええ。見て、すごく奇麗に並べてある」
「……最近飲んでねェな」
「え、今なんか言った……あ、ちょっと!」
ぼそっと周りに聞こえないほどの声で呟いて、ローは店をドアに手をかけた。
カラン、とドアに掛かっていたベルが鳴り、店主を思われる人物が顔を出した。
ほほ笑えみながらいらっしゃい、と言った年配の男性からは、ふわりとワインのいい香りがした。
「おや、ここらでは見かけない顔だね。観光かい?」
「そんな感じだ」
「そうかい。この街では一番の品揃えだ、ゆっくり見ていくといい。試飲したい時はいつでも声を掛けてくれ」
「あァ」
そうして店主は店を奥へと戻って行ってしまった。
静かな店内には、エマとロー以外の客は見当たらない。
と思ったのも束の間、ワインが並んでいる棚から顔を出してじっとこちらを覗く、小さな子供がいた。
まん丸な瞳はエマを映しており、とりあえずエマは目線を合わせて「こんにちは」と笑顔を見せてみた。
「……こんにちは」
「ここのお店の子、かな?」
「うん。ミアのおじいちゃんのお店」
「そう、おじいさんのお店、とっても素敵ね」
エマはそう言えば、ミアという小さな少女は「うん!」と元気よく頷いた。
少女の無垢な笑顔に、自然と笑みが零れてしまう。
店内を見渡せば、それはそれは沢山の種類のワインが並んでいた。
まさに圧巻の一言だ。
その中で、早速ローが店主を呼び戻し試飲を始めているのを見つける。
(ワイン、好きだったんだ)
あれもこれもと味見をしているローの姿を見て、こうしていればただの青年だな、となんだか微笑ましく感じた。
微妙な変化だが、あれは多分楽しんでいる顔だ。
普段は冷酷な男だが、あれで案外子供っぽい所もあるのだ。
この間の夜中の焼きおにぎり事件は、たまに思い出しては笑ってしまう。
ローの様子を眺めていると、ふと目が合い手招きをされる。
試飲に付き合えという事だろう、エマはやれやれと腰を上げた。
「ごめんねミア、呼ばれてるから行くね」
「……あの人、おねえちゃんのこいびと?」
「こ……っ!?」
思ってもみなかったワードが飛び出し、叫びそうになった口を両手で抑えた。
気が付けばその場にしゃがみ直し、言葉を口にする前に首をぶんぶんと横に振って否定していた。
「違う違う、そんなんじゃないよ!」
「そうなの?」
「うん、そうよ!」
ドンドンと鳴る心臓がうるさい。
そこに、ふと目に入ってきた人物がこちらを見ているものだから、思わず顔を背けてしまった。
「そっか、ちがうのかぁ……ざんねんっ!」
「残念なの?」
「うん、はずれちゃったから!」
えへへ、と笑うミアの頭を撫でて、エマは今度こそローの元へと向かう。
結構な量を飲んでいたと思ったのだが、この男にとっては飲んだうちに入らないらしい。
少しも酔った様子のないローは、ミアに視線を向けると口を開いた。
「あのガキは誰だ」
「ガキって言わないで。店主さんのお孫さんのミア」
へェ、と返すローに、興味がないなら聞かなきゃいいのに、と思う。
「何本か買っていこうと思ってな」
「ふぅん、決まったの?」
「あと1本、迷ってる」
「どっちも買ったら?」
「部屋のボックスに入り切らねェんだよ」
「なにそれ、そんなのあるの。ずるいじゃない」
「ずるくはねェだろう、別に」
お前が選べ、と有無言わさず二つの紙コップを手渡された。
横暴だと思いながらも、順番にそれを飲み干す。
「私は、こっちが好き」
最終的にローが手に取ったのは、エマが選んだ方のボトルだった。
***
店主に見送られ、店を出た。
気に入ったワインが手に入り、ローの機嫌は良さそうに見える。
船までの帰路に就き、何事もなく1日を楽しめた、そう思った時だった。
「っ!ぅ、わっ…!」
「ッ、おい、しっかり立て…!」
ドン!と何かが爆発したような大きな音と共にぐらりと視界が揺れたと思えば、同じく身体も傾いた。
倒れそうになった所をローに引っ張り上げてもらい、なんとか持ちこたえる。
そのままローの腕にしがみつき、ただただ揺れが収まるのを待つ。
あちこちから聞こえる悲鳴や何かが壊れるような音が、エマの恐怖心を煽った。
大きな地鳴りと揺れはしばらく続き、やっと収まったと思った時には、寒いはずなのにじんわりと額に汗が滲んでいた。
「…………と、止まった……?」
キョロキョロと辺りを見渡し、様子を伺っているとガッチリと腕を掴まれる。
「おいエマ!グズグズするな、走れ!」
「え、なに、が……」
「いいから走れ!今の地震で、雪崩が来るぞ!!」
パッとほぼ無意識に上を見た。
止んだはずの地鳴りが再び起こった。
そして山の頂上からうねりを上げて向かってくる、大量の白。
「走れッ!!」
ローに腕を引かれたのを合図に、無我夢中で走る。
島の人々も命を第一に、一目散に逃げていく。
その際に、聞き覚えのある小さな悲鳴が聞こえて思わず振り返る。
人込みの中で蹲る、動かない、小さな影を見つけた。
なんでそこに、お店にいたはずではなかったのか。
そんな事よりも、今、この状況に、一気に血の気が引いた。
「―――ミア!!!」
引いてくれたローの腕を振り払い、皆が逃げていく逆方向にエマは急いだ。
小さな身体を抱きかかえると、ミアは「おねえちゃん…?」と弱々しく呟いた。
大丈夫だよ、とは口に出来なかった。
顔を上げれば、白い波はもう目と鼻の先だ。
雪崩が来るのが見えないよう、ミアの視界を抱きしめる事で遮った。
「エマ!!」
らしくなく焦る声が聞こえて、場違いにもくすりと笑みが零れた。
そして目を閉じる。
最後に浮かんだのは、自分を無理やり海賊船に乗せた憎かったはずの男の顔―――ローの顔だった。