夜食



ふわぁ、と小さく欠伸をして、机の端に置いてある時計を見ればげっ、と声が出た。
どうやら同室の住人がベッドに潜り込んでから、相当な時間が経っていたらしい。
針が指している時刻は、夜中の2時を回っていた。


「………おなかすいた」


ぐぅ、とエマの腹の虫が鳴る。
夕食の残りでもないだろうか、エマはイッカクを起こさないよう、そっと部屋を出た。

しん、と静まり返った船内に響くのは、エマの足音のみ。
起きているのは今日の見張り番くらいだろうな、と頭の隅で思う。
当然、食堂には誰もいなかった。


「あ、残ってる。ラッキー」


窯の蓋を取って中を覗いてみれば、夕食時に炊いた米が残っていた。
いつもなら米粒一つ残らないが、今日は街に出て食べたクルーも多かったのだろう。
キッチンに置いてある醤油がふと目に入り、焼きおにぎりにしようと早速米を手に乗せて握った。

真っ白なおにぎりの表面に醤油を塗り、網に乗せて弱火でじっくりと焼き始める。
早く食べたい気持ちはあるが、待つ時間も嫌いではない。

しばらくして、香ばしいかおりが漂い、こんがりと焼けたおにぎりが出来上がった。


「我ながら完璧な焼き加減」


両手を合わせ、いただきますと小さく呟いて、ほかほかのおにぎりにかぶりつこうとした。


ガチャ――


「…………」

「…………」


食堂に入ってきた人物と目が合い、しばしそのままお互い硬直する。
ぱちぱちと瞬きを繰り返し、とりあえずエマは手に持っていたおにぎりを皿に置いた。


「お前、まだ起きてたのか」

「そっちこそ。その隈治す気あるの?」


エマの小言に「うるせェ」と一言返したローは、そのまま少し離れた席に腰を下ろした。
何をしに来たのか、とエマは横目で様子を伺う。
というか、タイミングが悪い。
なんとなく、せっかく作った焼きおにぎりが食べづらくなった。


「おい」

「な、なに」


突然声をかけられてどもってしまった。
ローの目線はエマの前に置いてある皿の上の物に向けられており、スッと指をさして口を開いた。


「それはなんだ」

「は?え、焼きおにぎり、だけど……」

「焼き……?」

「知らないの?」


エマの驚きにローはひとつ頷いた。
興味津々に焼きおにぎりを見つめる瞳は、完全に少年のソレだ。


「……食べる…?」


この時間に食堂に来たという事は、ローも夜食を食べに来たのだろう。
幸い二つ作っていたから、一つあげたところでエマの分がなくなる訳ではない。
何よりローが焼きおにぎりを食べたらどんな反応をするのか、興味があった。

はい、と皿をローに近づける。
すると少し眉を寄せながらも、一つ手に取り口に運んだ。


「…………っ、」


もぐもぐと咀嚼しているローをじっと見ていると、ふとその口元が緩んだのが見えた。


「……どう?」

「あァ、美味い」

「そう」


エマは残りの1つが乗った皿を手に取り、再びキッチンに向かう。
不思議に思ったローの視線に気づいたエマが「お茶漬けにする」と答えた。


「……お茶漬け?」


今度は期待の籠ったような声色に、思わずエマが吹き出した。
突然笑い出したエマに、ローは怪訝そうな表情を浮かべる。


「……なんだ」

「ふ、ふふ……だ、だって船長、すごい子供みたいに、ふふふ、反応するから」


「可笑しくって」と笑い出してしまえば止まらない。
焼きおにぎり一つでこんなに喜ぶ船長が見られるとは、エマは愉快で仕方がない。

一方のローは、笑われた事が気に食わなかったのか、どんどん表情は険しいものになっていく。


「やだ、怒らないでよ。しょうがないでしょ、船長が食べ物一つでそんなに嬉しそうな顔するんだもの」

「バカにしてんのか」

「してないったら。ちょっと可愛いなって思っただけよ」

「それがバカにしてるって言うんだろうが」


このドスの効いた声にも随分慣れたもんだ、とエマは笑いすぎて目尻に溜まった涙を拭った。


「この前助けてもらったお礼も込めて、作ってあげる」

「そしたらお前の分がねェだろう」

「いいよ。船長が美味しそうに食べてる姿見たら満足した」

「てめェ……」


ローの睨みを無視し、エマが作業に取り掛かる。
とは言っても、皿を少し深みのある物に変えて、トッピングにこれまた夕食の残りの鮭をフレークにして振りかける。
お湯をかけ、最後に刻み海苔を乗せれば完成だ。


「はいどうぞ。漬物とかもあったらよかったんだけど」

「いや、いい。十分だ」


それだけ言うと、ローは箸を取って食べ始めた。

持ち方が奇麗だとか、結構大口で食べるんだとか、エマは無意識にローをじっと見ていた。


「おい」

「え?」

「じろじろ見過ぎだ。食いづれェだろうが」

「……別に見てないわよ」

「無意識かよ」


本人に指摘され、ハッと我に返る。
そういえば見ていたかもしれない、とローに言われた通りの無意識に急に羞恥心が襲ってきた。


「そ、そうだ、梅干し入れても美味しいわよ。入れて――」

「いらねェ」


入れてみない?と聞く前に断られ、エマはむっとする。


「なんで」

「いらねェ」

「美味しいのに」

「いらねェ」

「嫌いなの?」

「…………」

「え、本当に?」


思ってもいなかった無言の肯定に、本日何度目かの衝撃を受ける。


「意外。嫌いな食べ物とかあるのね」

「うるせェ」

「どこが嫌い?」

「何もかもだ」

「前の島でおばあさんに貰った梅干しあるけど食べる?」

「バラすぞ」


頑ななローに、再びエマの肩が揺れ始める。
ローはお茶漬けを頬張りながらギロリとエマを睨むが、当の本人はそれどころではない。


「ん、ふふっ……だめだ、ツボが浅い。夜中だからかしら」

「狂ってんだろ。早く寝ろ」

「そうね、そうするわ」


ローの機嫌をこれ以上悪くする前に、と口に出しそうになったのをぐっと堪えた。
言ってしまえば、本当にバラされてしまうかもしれない。


「おやすみ船長、ちゃんとお皿洗っておいてね」

「…………」

「返事」


小さく舌打ちと了承が聞こえて、エマは食堂を後にした。
自分の目的は果たせなかったが、それ以上に珍しいものが見れて満足出来たので良しとしよう。



翌日、ローがパンも嫌いという話を聞いて、 エマの笑いのツボにヒットしたのは、また別のお話。