社交界 side:ロー
「あの、キャプテン」
「その呼び方は今は止めておけ、ローでいい」
「ええ?なんだか照れちゃいますね、ローさん」
「なんだ」
「……エマ、大丈夫でしょうか」
「さァな」
イッカクの問いに、ローはあっけらかんと答えた。
「バーキンズの血はこの国の希望、とか言ってたな」
「それ、どういう意味でしょうか」
「それは分からねェ。ただ、バーキンズのエマが必要なのか、文字通りバーキンズの血が必要なのか……もし後者なら、命の保障はねェかもしれねェな」
「っそんな!それなら急がないと…!」
「落ち着け。わざわざ社交界でお披露目するんだ。その前に殺したりはしないだろうよ」
「あ……それもそう、ですよね……」
「心配なのは分かるが、持ち味の冷静さを欠いたら元も子もねェだろう」
「すいません」
ローにそう注意され、イッカクはしゅんと肩を落とした。
「まァ、そう簡単に思い通りにはさせねェよ」
そろそろ纏まった金も必要だったしな、とローは笑みを浮かべた。
歩いていた二人の脚が止まり、その顔が巨大の建物を見上げていた。
正面の大きな扉が開け放たれており、入口へと続く階段にはぞろぞろと人が続いた。
「すごい、ですね」
「思ったよりでかいな。エマの言う通り、人混みに紛れやすい」
行くぞ、とローは臆することなく足を踏み入れた。
イッカクはそれを小走りで追いかけ、おずおずとローの腕にしがみつく。
会場内は立食となっており、テーブルの上にはいくつもの料理が並んである。
手持ち無沙汰な二人を見つけるや否や、ウエイトレスはワインを手渡した。
「至れり尽くせり、って感じですね。あ、おいし」
「見た感じ、貴族やらお偉い方か集まってるからな。妥当な対応だろ」
「なんだかシャチ達に悪い気がしますけど」
「……全然そうは思ってなさそうだが?」
「バレました?」
そう言ってイッカクはにっこりと笑う。
お料理貰ってきますね、とローに声をかけイッカクがその場から離れた途端、砂糖に群がるアリの如く、女達がローの元に集まってきた。
"潜入になるか?これ"
船を出る前に、一人のクルーに言われた言葉がローの脳裏に蘇った。
おひとり?お相手は?お仕事は?
ローの都合などまったく気にせずに投げかけられる質問は、確実にローを苛立たせた。
邪魔だ、と退いてしまえばそれまでだが、潜入して早々に騒ぎを起こしてしまえば後々の作戦に響いてしまう。
もっとも、今現在違う意味で目立ってはいるのだが。
そもそも、こういった虫避けのためにもパートナーに選んだイッカクが、率先して離れてしまうのでは意味がない。
「悪いが連れがいる。他を――」
あたってくれ、という言葉は、会場内に響いたアナウンスによって遮られてしまった。
「始まったか」
女達の意識がそのアナウンスに向いたのをいいことに、群れからそそくさと抜け出す。
また群がられるのは勘弁だと、会場の隅で残っていたワインを飲みほした。
ここなら会場全体を見渡しやすい。
早速、続々と人が集まってくる中で、ひと際人々に人気の二人組を見つけた。
目を向けてみれば案の定エマで、にこにこと笑顔を向けてはいるが、口元が僅かに引き攣っているのがバレバレだ。
そして、隣にいるのがエマを嫁にしようとしている張本人。
変わった奴、何が目的なのか。
ローは遠くから男の視線や動きなどを観察した。
「キャ……ローさん!」
そこに皿にこんもりと料理を乗せたイッカクが戻ってくる。
誰が食うんだその量、という問いには、私です、とキッパリと返していた。
「エマ、奇麗ですねー……本当にお姫様みたい」
「そんな柄かよ、あいつが」
お姫様は昼寝の場所を巡って船長に刀を向けるようなマネはしない。
そんな事をイッカクに言えば、興味を示したのか、ズイっと顔を寄せる。
「なにそれ、私知らないんですけどそんな面白いこと」
「………いつだったか、大分前だな」
「なんだかんだ仲良しですよね。キャプテンとエマ」
きょとん、と目を丸くしたローに、イッカクがあれ?と首を傾げる。
我らがキャプテンがこんな顔をするのは、珍しいと思った。
これは面白い。
そう思ったイッカクがローに話を振ろうとした瞬間、パッと会場の明かりが消えた。
「空気読んで!」というイッカクの愚痴は四方八方から聞こえる話し声によってかき消されてしまった。
『バーキンズ家の後を継がれるのは、セリム様です』
檀上に上がった司会の男の言葉に、歓声が上がり、一部からは批判の声が聞こえた。
それを黙らせたのはセリムの一声であり、エマという存在だった。
通信で聞こえていた通り、エマに対しても差別の声は微塵も聴こえてこない。
エマが困惑の表情を浮かべながらステージに上がっている事に、納得ができる。
その直後だった、エマが隣の男に切り付けられたのは。
みるみる傷が回復するエマに「本物だ……」と呟いたのは誰だったか。
沸き起こる拍手喝采。
いくらバーキンズがこの国を作ったからといっても、少し異常ではないだろうか。
「少し探るか」
ローは辺りを見渡すと、適当に歩いていた一人の女を捕まえる。
最初は不機嫌に振り返った女だったが、ローの姿を見るとコロッと対応を変えた。
「聞きたい事があるんだが、いいか?」
「ええ、喜んで」
「なぜここの国民はバーキンズを特別視する?建国者がバーキンズとはいえ、少し過剰じゃないか?」
「あら、お兄さんこの国の人じゃないの?」
「最近越してきた。この国の事情には疎い、だから――」
教えてくれねェか。
ローは女の顎を持ち上げ、耳元で囁いた。
「へェ……じゃあ教えてあげるわ」
そしてローは女の手を取り、会場を後にする。
二人で他愛のない話をしながらたどり着いたのは、休憩用に女に用意されていた部屋だ。
女は部屋に入るや否や、ローの首に両手を回した。
「あなた、上手そうね」
「どうかな」
「うふふ、謙遜しちゃって……そういう所も魅力的だけど」
シュルリ、とローのネクタイを緩める手を制したのはロー本人。
まずは話から、と挑発的に女を焦らした。
「公にはなっていないけど、この国の貴族には出回っている話よ」
「それはなんだ」
「急かさないでよ。でもきっとびっくりするわ……不老不死の話よ」
"不老不死"
その言葉を聞いただけで、ローは大方理解した。
「不老不死、ね……」
「素敵でしょう?永遠に若く死なない美しい身体になれるなんて」
「そんなにいいもんか?不老不死ってやつは」
「そりゃあそうでしょう!でも、その実験は途中で止まっていて、なんでも実験体であるバーキンズの数が一気に減ってしまったからだそうよ。ちょうど10年くらい前だったかしら」
それはエマの故郷が滅んだ話と繋がった。
予想通り、このまま結婚してのうのうと暮らしていればエマの命はなかったとローは思う。
「へェ」
「でも、ここ最近またその実験が再稼働し始めたみたい。そこで本物のバーキンズよ。みんなが喜ぶのは当然でしょう?セリム様は、その第一人者よ」
「なるほどな。それでエマと黄金……研究費ってやつか」
「黄金?何を言ってるの?」
聞き返してくる女に、なんでもないと笑みを見せる。
「ねェ、もういいでしょ?」
「あァ、もういい。悪かったな」
「え?あ、ちょっと……!どこ行くのよ!」
首に回されていた女の腕を外し、ローは部屋のドアノブに手をかけた。
スーツに伸ばされた女の手を起用にかわし、振り向いて一言。
「香水がきつい。気持ち悪くてそんな気になれやしねェよ」
「なっ、なんですってぇ……ッ!!」
「じゃあな」
ひらりと手を振ってローは部屋を後にする。
中から女が何やら叫ぶ声が聞こえてきたが、もちろん無視だ。
プルプルプルプル――
着信があり、懐にしのばせていた電伝虫を取り出す。
「なんだ」
『キャプテン、エマが男と一緒に部屋に戻ったようです』
イッカクからの知らせに、一言わかったと答えた。
"シャンブルズ"と続け、廊下の適当な花瓶と入れ替えたのはローの愛刀だ。
これが、他のクルーへの作戦開始の合図だった。
「イッカク、予定通りお前達は地下に向かえ。黄金が本当にあるなら、怪しいのは地下だからな」
『了解!』
「見つけたらおれに連絡しろ。"シャンブルズ"で一気に運び出してやる」
『エマの事は?』
「………おれが行く。手ェやかせやがって」
『わかりました、気を付けて』
「あァ」
通話を終了させ、いつでも抜けるように刀を持ち直す。
「さて、迎えに行ってやるか。うちのお姫様とやらをな」
人が少ない静かな廊下に、カツカツと歩くローの足音だけが大きく響いた。