社交界 side:エマ



「エマ」


ノックと同時にドアが開き、聴こえた声。
セリムが入ってきたと分かったエマは、ベッドに横になったまま顔だけを向けた。


「何」

「横になったらせっかくのドレスと髪が崩れるだろう」

「これのせいよ。身体がだるい」


そう言って海楼石の首輪を指さす。


「それに、社交界になんて出ないわよ」

「いいや出てもらう」

「…ッ……!?」


またもやエマを襲う、息苦しさ。
しかし、今度はエマは首輪に手をかけていない。
苦しむエマを覗き込んだセリムの手には、何やらリモコンのような物が握られていた。


「悪いな、こちらでも操作可能だ」


息が出来ない苦しさは、エマのプライドを簡単に崩す。


「や……っぁ、……めて……ッ、わかっ…たから……ぁッ!」

「……それでいい」

セリムがそれから指を離すと、苦しみから解放された。
肺が酸素を求め、肩が上下するほど深く息を吸った。
やっと呼吸が収まってきたところで、セリムがエマの腕を掴み無理やり立たせる。


「どこ、行くの……まだ、時間は、」

「先に確認しに行くだけだ。黄金をな、お前も見たいだろう?」


見せつけるように胸ポケットから取り出したのは、エマ達が洞窟で見つけた銀の鍵だ。


「この城の地下に、管理している鍵では開かない部屋があった。おそらくそこに宝はある……!」


来い、と乱暴にエマを部屋から連れ出し、地下へと続く階段を降りた。
首輪のせいでどうする事もできないエマは、大人しくそれについて行くしかなかない。

セリムの進む足が止まり、目の前にあるのは、身長が高ければ少し屈まないと入れないような、小さな部屋だった。


「……ここが?」

「そうだ。開けるぞ……」


少し緊張した声で、セリムは鍵穴に鍵を差し込んだ。
横に捻った鍵は、何事もなく回り、半周したところでカチャリと音を立てた。


「開いた……」


セリムがゆっくりとドアノブを捻る。
錆びれた音が地下に鳴り響き、一本のライトが部屋の中を照らした。

中に入れば、そこは本当に人が2人入るのでギリギリな空間。


「……宝はどこだ?」


セリムが落ち着きなく室内のあちこちを照らす。
しかし想像していた輝く金銀財宝はどこにも見当たらない。

あるのは、木でできたボロボロの机と椅子。
そして、その上にぽつんと置いてあった、年季の入った本だった。


「どういう事だ!?」


エマを壁に押さえつけ、セリムが大声を上げる。


「うっ……!し、知らないわよ!私達は鍵を見つけただけで……!」

「他に、何もなかったのか!?本当に!?」

「本当よ!それ以外は何も見つけられなかった!」


怒鳴りつけるセリムに、負けじとエマも反論する。
少しして、押さえつけられた腕から解放され、怒りで興奮するセリムを横目に、エマは一冊の本を手に取った。


「……日記?」


バーキンズの文字で書かれた日記。
それはロゼが最愛の妻と結婚してからつけていたと思われる、"思い出"だった。


「バカな……黄金は嘘だったとでも言うのか…?」


わなわなと震えるセリムは信じられないといった風で、エマから日記を奪い取りバラバラとページを捲り、黄金に関しての内容はないと分かったのか、舌打ちをしてそれを床に叩きつけた。


「…………まぁ、いい。エマ、お前だけでも十分に保険にはなる」


再び腕を掴まれ、部屋に戻る。
すると、すでにメイド達がスタンバイしており、少しよれた髪と化粧を直し、最後に頭に宝石がちりばめられたティアラが乗せられた。


「おれの横に立ち、愛想笑いでも振りまいていろ」


宝がなかった事に相当苛立っているのか、明らかに機嫌の悪いセリムにエマは何も言う事はしない。
時間だと従者が迎えにきて、目の前に出されたセリムの腕に控えめに手を回した。


『皆様、存分にお楽しみください』


アナウンスが流れ、予定通りにパーティは始まった。


「すごい人……」


会場内は、どこもかしこも煌びやかな人々で埋め尽くされていた。

そして突然電気が消えたかと思うと、檀上に司会の男が現れスポットライトを浴びていた。
後継ぎの発表が始まるのだと分かれば、人々の目線はステージに移った。

早速発表された跡継ぎは、予想通りにセリムの名前が読み上げられた。

そしてこちらも予想通り、納得のいかない兄弟達の猛反発があったが、そこでエマの出番だ。
セリムは前のステージに上がり、エマを自身の妻として紹介した。

やはり、セリム同様にエマがバーキンズである事を拒絶するような人間はいなかった。
むしろ素晴らしいと拍手喝采で、困惑してしまった。
そんなエマの隙をついて、セリムはエマの腕を突然切りつけた。
完全に油断していたエマは小さく声を上げ、会場内からは悲鳴が起きた。


(どこに妻に向かっていきなり刃物突き立てる奴がいるのよ……!)


しかし、バーキンズであるエマの傷は治るのだ。


「本物だ……」


誰かがそう、呟いた。

それからというもの、次から次へとエマの元には人が集まった。

お奇麗ね、おいくつなの?
素敵な旦那様に恵まれて幸せね。
趣味は何をお持ちなの?

慣れない作り笑いを浮かべ、一つ一つ丁寧に対応するも、それが長い時間続けばさすがのエマにも疲れが見えてくる。


「ねぇ」

「なんだ」

「ちょっと疲れちゃって、部屋に戻りたい、んだけど……」


ふいに視界に入り込んだ、一人の男の姿。
思わず会話の語尾が詰まる。


「せ、」

「どうかしたか」


そして隣から聞こえた声に、ハッと意識を戻した。


「あ、ええ……疲れたから、部屋に戻って休みたいわ」

「ふむ、そうだな……おれも少し休憩するとしよう」

「なんであなたまで?主役でしょう」

「別にいいだろう。一通り挨拶も済ませたしな」


そう言ってセリムはエマの手を取り歩き出す。
再び先ほどの場所に視線を戻せば、じっとこちらを見つめる二人組。
女性においては、控えめに手を振ってくれている。

それがローとイッカクだと分かり、それまで沈んでいた気持ちが一気に上を向く。


(来てくれた)


信じていなかった訳ではないが、実際に自分の目で確かめる事ができ、エマは嬉しそうに口角をあげた。

手を引かれ、大人しく後をついて行けば、セリムの向かう方向が自分の部屋ではない事に気が付く。
案内された部屋はエマのいた部屋よりも更に大きな部屋で、エマは思わずぽかんと口を開けてしまった。


「どうした、そんな所に突っ立ってないで座ればいいだろう」

「え、ええ……」


エマは言われた通り、キョロキョロと室内を見渡しながら取り敢えずベッドに腰かけた。


「オレの部屋だ」

「……でしょうね」

「これからはお前もここで過ごすことになる」

「あのねぇ、何度も言うけど私は……っ!?」

「エマ」


いつの間にか近くにいたセリムに、思わず後ずさる。
頭の上から名前を呼んだ声はいつもよりも低音で、怒りを含んでいるように聴こえた。

ひゅっ、とまた首輪が縮まりエマの首を絞めた。
エマの気がそちらに向いた瞬間、セリムがエマの腕を頭を上で押さえつけ、馬乗りになる。
呼吸が出来ると思った時に、はもう遅かった。


「なに、を……ッ」

「会場にいたあの黒髪の奴は、お前の男か……?」

「ッ、なんの事?」


セリムの言う男とは、ローの事だとすぐに気が付いた。
咳き込みながらエマは恍けてみるが、今更そんなのが通じる相手ではない。
エマがローとイッカクの姿を見つけた時に、僅かに口元が綻んだのをこの男は見逃さなかった。


「おれは、お前に愛だの恋だのくだらない感情は持っていないが、お前はもうおれの物だ。気に食わない」


ギリッ、とエマを拘束する力が強まる。
海楼石で思うように身体が動かせないエマは、それを振りほどく事が出来ない。

エマは今初めて、自分が能力者である事を悔やんだ。


「自分が誰の物なのか、ちゃんと分からせる必要があるな」


セリムのもう片方の手が、エマの顎を乱暴に掴む。
そしてお互いの顔の距離がゼロになったかと思うと、唇に柔らかい感触が触れた。

目の前の男に口づけをされたのだと気づけば、全身の肌が粟立った。


「やっ……なにすッ、ん、んんッ……!」


一度離れたかと思いきや、すかさずまた口を塞がれる。
首を左右に振り足もバタつかせ逃げようとするが、ガッシリと顔を掴まれてる上、男に跨がれてしまってはそれも叶わない。
ぺろりと上唇が舐められた時、思い切り噛みついてやったのが、せめてもの抵抗だった。


「離れろ変態野郎」


冷たい口調でエマが吐き捨てた。

すると、セリムが近くにあった飾り物のオブジェに手をかけ、大きく振りかぶる。
ゴンッ、と鈍い音が脳内に響いたのと同時に、視界が揺れ、身体の力が抜けていった。


「……は、ハハハハ、っ、バカな女だ…!」


エマの頭からは真っ赤な血が流れ、ベッドのシーツを染めていく。
当たり所が悪かったのだろう、かろうじて意識はあるものの、先ほどまでの抵抗はぱったりと止み、虚ろな瞳にはセリムを映していた。

セリムはオブジェを床に投げ捨てると、無抵抗のエマの身体に手を這わせた。


(まずい、逃げなきゃ、誰か……)


声を出したくても、抵抗したくても、身体が言う事を利かない。

セリムは構わず、エマの身体に触れる。
首元に顔を埋められ、ドレスの中に手が入りをゆっくりと太ももを撫で上げた。


(やだ、いやだ……、触れるな、気持ち悪い…!)


ペンギン、シャチ、ベポ、イッカク、助けて。
誰か、誰か誰か、助けて―――


「た……けて、……ろ、ぉ………っ…!」


刹那、エマを押さえつけていた手の感覚が消える。
少し間が空いて、セリムの「は?」というマヌケな声が上から聞こえてきた。


「"シャンブルズ"」


自分を押さえつけていたはずの手が一瞬で消え、代わりにパサリと落ちてきたのは上等なネクタイだった。


「なんだ、随分なやられようだな、エマ」

「うる、さい…遅い、のよ、来るのが……」


憎まれ口を叩きながらも、ローの姿を確認したエマに安堵の表情が生まれる。


「うちのクルーだ。返してもらうぞ」