髪結

桂さんから貰ったお母様の形見の櫛。
綺麗な螺鈿細工のある漆黒の櫛。

お日様の元で見ると螺鈿が七色にきらきらと反射して、とっても

「綺麗…」

時折私の宝箱から取り出して眺める桂さんに貰った大切な櫛。


きっと桂さんのお母様もこの櫛の似合う綺麗な人だったんだろうなー。
桂さんがあれだけ綺麗なんだもん。
どんな美人だったんだろう。

うっ…。わたしはこの櫛が似合う女性になれるんだろうか?
な、なれそうにない気がする――


「どうしたいんだい?ゆらさん」

「桂さん!!」

縁側で足を投げ出して櫛を眺めていたわたしは、突然の頭上からの声にびくりとして顔をあげた。

「…………」

「…じゃなくて、小五郎さん…」

まだ『小五郎さん』って呼ぶのは慣れなくて、ちょっと恥ずかしくて名前を呼ぶだけで照れてしまう。

わたしが名前を呼ぶと「ん?」と尋ねるみたいに首を傾げてくる。


――こんな格好で素敵な女性なんて夢の夢だよね。

わたしは恥ずかしくなり急いで正座して身を整えた。
そんなわたしをくすりと優しく笑う…小五郎さん。

わ、笑われてしまった。


「櫛を見ていたのかい?」

「はい。とっても綺麗で
………? 小五郎さん?」

「……髪、結ってあげようか」


わたしの手元の櫛をじっと見つめていたかと思えば、急に思いついたように小五郎さんが告げた。




***

わたしがあげた母の形見の櫛。
それを大事そうに嬉しそうに眺めていたゆらさん。
わたしは、はたと気がついた。

彼女の垂髪に慣れてしまっていたが、髷を結っていない女性など普通いない。
垂髪が彼女の不思議な雰囲気に良く似合い、普段気にもとめていなかったが…。

ゆらさんが髪を結い上げ、母の櫛をさす姿が見たくなった。




「すみません。えっと…小五郎さんお忙しい時に」

「いいんだよ。今日の昼前の会合は先方の用で延期になったから」

ゆらさんの心遣いが素直に嬉しい。最も彼女と過ごす時を与えられて喜んでいるのはわたし自身なのだが。

わたしが女人に変装する時に遣う鏡台をゆらさんの部屋に運ぶ。
興味ありげに道具をひとつずつ見ている彼女に、鏡台を与えるのを忘れていたことにも気がついた。


弾力のあるさらさらと美しい髪を梳る。
油気のない流れるような艶やかな髪は彼女の素直な心根を表しているようだ。

鏡の中のゆらさんをそっと伺うと、口を真一文字にぎゅっと閉じ緊張した面持ちで自分の顔を凝視している。
あまりの可愛らしい表情にくすりと笑みを漏らす。




***


小五郎さんに髪を結ってもらうことになった。
実はこの時代の髪型に憧れていた。

通りで見かける美しく結い上げた女の人達。
綺麗な櫛や笄、しゃらりと小さく揺れる簪。
あんな風に髪を結い上げて飾ったら、わたしも大人の女性になれる気がしていた。
この時代の女性に……。



小五郎さんが運んできた箱は色々なものが入っていた。
鏡に柄をつけた柄鏡に、紙を撚って作った紐、糸切り鋏、銀杏の葉のような形の櫛がいくつか、それと刷毛のような形の櫛…。

面白い…これで髪の毛を結うんだ。




小五郎さんに髪を梳かしてもらう。
柘植の櫛がわたしの頭皮をなぞる。


なんか、とっても心地いい。

時折目の端に映る優しい指、微かに地肌に触れる温かな指の腹。
頭の表皮を通る櫛。

昔お母さんにも髪を結んでもらったけど、その感触とも違う。
太く固い指。
でも髪がつれることもなくて、とても温かで優しい指。

いつもは『ポン』と優しく乗せられる手が、今日はわたしの髪を取りずっと触れていてくれる…。

髪を頭を触られているだけなのに、どうしようもない恥ずかしさが込み上げてくる。

「ゆらさん、下を向かないで?」

ついつい俯きがちになるわたしは何度目かの声をかけられる。
わたしの頭を起こすように、その度に頭を両側からそっと包まれる。

鏡越しに見る小五郎さんは、目を細め真剣な表情でわたしの後頭部を見ている。
髪を梳きながら、紙紐を口に銜える小五郎さんの姿にどきりと心臓が高鳴る。


***

前髪を残し、髷を結う。左右の鬢(びん)は耳の前の方に引っ張っり逆毛を櫛で作る。

髱(たぼ)を鬢付け油でまとめながら襟足の髪を掬い上げれば、普段は隠れているなよやかな項が露になった。

わたしの手によって額や耳の後ろ、項が露になっていく様に優越感を感じる。
幼気(いたいけ)な白く細い項にかかる後れ毛。
自然に顔がほころんでしまう。

わたしの心中を図られないように、わざと神妙な面持ちで作業に没頭するものの、元結でまとめながら衣紋から覗く柔肌に息をのむ。

何もにも侵されていない美しいそれに胸が騒めく。
衣紋の下に小さな黒子を見つけ、わたししか知らない秘密がまた一つ増えたことに心躍る。

ふとゆらさんを鏡越しに見やれば、真っ赤な顔で俯きがちになっている。
ふふ、その可愛らしい仕草に悪戯心が芽生えてくる。

耳の端に触れればぴくりと肩が跳ねた。

いつも何げなく見ているゆらさんを改めて見る。
後ろから眺めているから遠慮なく視線を送れる。

ゆらさんへの溢れる愛おしさがぐっと込み上げてきた。


「前を向いてごらん」

両肩に手を置き、唇を寄せて耳元に囁けば、耳の端まで朱を走らせる。

ああ、このまま抱きしめたらゆらさんはどんな顔をするだろうか。

沸き立つ感情を押し殺して髪を一房手にとった。


鬢(びん)の毛をよく梳いて左右の鬢を結い。
髷を折りまるめて手絡を入れて高島田に結う。髷の毛を広げ整え。
前髪をふわりと整える。

母の形見の櫛を挿し、櫛目を入れて整えれば、ゆらさんはこの時代の綺麗な娘さんになった。




***

小五郎さんに髪を結ってもらうことが、こんなに恥ずかしいことだったなんて。

さっきから、どきどきが止まらない。
早く終わって欲しいような、いつまでもこうしていて欲しいような…。

きゅっと髪の毛を紐で結われる度に気持ちも引き締ってくる。
小五郎さんの手付きを盗み見ると、その色気のある男の人の手にどうしたって恥ずかしさが込み上げてくる。

時折耳元に吐息混じりで、少し掠れた小五郎さんの声が紡がれる。
「前を向いてごらん…」
そのたびにきゅうっと胸が締め付けられ、心が震えてしまう。

鏡を見れば、わたし顔のすぐ横に小五郎さんの端正な顔が並んで映る。
伏し目がちに囁くその色っぽい眼差しに落ち着かない。

もしかして、小五郎さんわざとやってる?

鏡越しに目が合うと余裕の微笑みを投げかけられた。

うう、小五郎さん…!



「さあ、出来たよ」

声を掛けられて途端に我にかえった。小五郎さんばかり見つめてしまっていた視線を慌てて自分に移す。


「わあぁ!」

なんか自分じゃないみたい。
そこには紛れもない、この時代のわたしが映っていた。




***


「ありがとうございます!」

ゆらさんが満面の笑みで振り返る。

その美しさの中に仄かに漂う艶やかさに目を奪われた。

可愛いらしくなるだろうとは思っていたが、これ程とは…。
花が咲いたようなとはまさにこのこと。

この姿を腕に閉じ込めて誰にも見られないようにしたい。

二六時中こうしてゆらさんと過ごしたいと思うわたしは我が儘だろうか。


「あの?どうですか?似合いませんか」

ゆらさんが少し不安げに睫毛を揺らす。

感情を出さないようにする為に、どうやら無表情になってしまっていたようだ。
わたしの悪い癖だ。

ゆらさんの前ではありのままの自分でありたいと思っているのに。


「…とても、とても似合っているよ」

彼女の頬を両手で包むと嬉しそうに潤んだ瞳で見つめ返しくる。

ああ、そんな瞳で見ないでおくれ。


「…他の誰にも見せたくはないな。
だってゆらさんはわたしのものだろう?」

「小五郎さん…」


優しく抱き締め、わたしの胸に閉じ込める。
暫く幸福な一時に包まれる。抱き締めているのはわたしなのに、ゆらさんに温かく包まれているような穏やかな心の充足。


「もう一度、よく見せておくれ」


そっと腕を弛め、はにかむゆらさんを見つめる。

わたしの母の櫛がゆらさんの頭で輝く。
亡き母からの祝福をも受けているような感慨。

ゆらさんのその滑らかな額に口づけをひとつ落とした。




櫛には古来より霊的なものが宿り。呪術的な意味をもつという。
願わくばゆらさんの無病息災を願いたい。

そして、櫛を贈るというもう一つの意味にゆらさんが気付くのはいつの日になるのか―――















―――――――――


(あとがき)

黎明のいちこさんより、二萬打記念にいただいたSSです。

私のリクエストは、「小娘の髪を結ってあげる桂さん」でした。
桂さんに髪を結ってもらうって、何だか少しエロくないですか?
あの眼差しで髪に触れられたらもう・・・
(この時点で私の妄想爆走気味)

いちこさんの桂さんは、所作が綺麗で、読んでてうっとりしてしまいました。

いちこさん、どうもありがとうございました!

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