13日の金曜日、恋をした
人斬りだとか、住む世界が違うだとか、今更そんなもので諦めきれる恋じゃなかった。
その日、以蔵が帰って来たのは日付が変わってからのことだった。
気が付いたらいなかった。家中どこへ行っても、色素の薄い目で私を見つけて「なんだ」って低くて気だるそうな声は聞けなかった。
夕餉に用意した人参を避けた器が、虚しく冷めていくのを私はずっと見ていた。
土砂降りの真夜中。
傷だらけになって廊下を歩く以蔵の背中を見つけて、私はたまらず抱き締めた。
後ろにしがみつく私に構わず前を向いたまま、「汚れる」と素っ気無い口ぶりでそう言って、ないような力で私の腕を振り解こうとする。
「いいよ」私は離れまいとさらに強く腕を回す。
荒い呼吸、熱い体温、冷たくなった指先。
そしてどろりとした、生温かな感触。
おっきくて、逞しい背中は、雨と汗と、咽るほどに鉄のような、血の匂いがした。
「お帰り、以蔵」
「・・・・・・起こして悪かった」
「違うよ」
「・・・・・・」
「待ってたんだよ、以蔵のこと」
「・・・・・・そうか」
「・・・うん。・・・も、・・・もーっ、心配したんだからねっ!」
「・・・悪かった」
目眩がした。
一瞬だけ振り返った以蔵の目が、あまりにも優しかったから。
「早く寝ろ」
一瞬だけ、だった。
でも、私の心臓はありえないくらい高鳴ってしまった。
私が無理矢理作った笑顔に彼がちゃんと答えてくれたことが、嬉しかった。
私は、私の腕を払って歩き出そうとした以蔵の手をぎゅっと捕らえた。
一回り大きな手は泥だらけで、手首に巻きつけた包帯が剥れかけていた。
「以蔵・・・どこ、行ってたの?」
「・・・・・・」
「あっ!ご飯あるよ、温め直そうか?」
「いい」
「怪我、してる」
「いらん世話だ」
「手当てしなきゃ。ちょっと待ってて、今薬取ってくるから」
「いいっ!」
「よくないっ!」
「いいって言ってるだろっ!」
「だって放っておけないもんっ!」
「お前には関係な――」
大事にとっておいたファーストキスだったけど。
私は彼の襟元を掴んで引き寄せ、勢い任せに唇を押し付けた。
だってわからせてやろうと思ったから。
この鈍感で頑固でわからず屋で、そして――不器用すぎて優しすぎる彼に。
人斬りだとか、住む世界が違うだとか、そんなもの。
命が狙われるだとか、そんなもの。
驚いて目を瞬かせる彼に、渇いた笑いを見せつけた。
「世間知らず」の私は、この世に恐いものなんて何もないのだ。
「関係あるよ」
「・・・・・・」
「関係ある」
「・・・無理だ」
「好きなの、以蔵」
「・・・俺じゃお前を幸せになんて出来ない」
「いいよ、好き」
「だから俺は、」
「人斬りでもいいよ。以蔵じゃなきゃ、だめなの」
「お前、いい加減に――っ!」
「・・・・・・どんな以蔵でも、私の気持ちは変わらないよ」
「・・・・・・・・・」
「・・・好きだよ、以蔵。好き」
無理矢理舌を絡ませた私の不慣れな3度目のキス。
たどたどしいそれに、はじめ抵抗を見せた彼も、突然吹っ切れたかのように私の肩を壁に強引に押さえつけ、激しく狂ったキスを寄越した。
噛みつくようなそれに、うまく息が出来なかった。
かわりに以蔵の熱い唾液が私の口内で溢れ、下唇からだらしなく垂れていた。
舌を奪い合ってまるで獣のように貪りあったキスは、くちゅりといやらしい音をたて銀色の糸を残した。
うらはらに、私の目の前には、真っ赤な顔をしてぶきっちょに微笑む、あの優しい目をした以蔵がいた。
「詩乃」
「・・・うん?」
「お前は本当に・・・、世話が焼けるな」
「なっ?!」
「お前のせいだ」
「え・・・?」
「お前のせい、なんだ」
「・・・・・・」
「抜刀せずに怪我をしたのも、・・・守りたいものが増えたのも」
私は以蔵に恋をした。
それは人斬りだろうが、ジェイソンだろうが、関係なかった。
found,My knight.
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