novel

「大ちゃん、ちょっと」

菓子屋からの使いを済まし、屋敷へと帰る道すがら農民のおばさんに椿は足止めされた。
田んぼには収穫を間近に控えた稲が重たい頭を垂らし豊かな実りを感じさせる。
隣の畑にはいろんな種類の野菜がなり、色鮮やかだ。

「これ、持っていきなよ」

おばさんに手渡されたのはまるまると太ったさつまいもだった。

「すごい立派ですね。でも・・・いいんですか?」
「ああ、いいんだよ。これもジーノ様が昨年の凶作時税を低くしてくれたおかげだよ。
その上甘藍みたいな珍しい野菜の苗もいただいた御蔭でうちは大盛況だ。
これはたいしたもんじゃあないけれど私達からのお礼の気持ちだよ。」

こうして楽しげに笑う農民の顔を見る度、椿の心には誇らしさと幸せが湧きあがる。
変な人だけど王子はやはり凄い人だ、こうしていろんな人に感謝され愛されている。
そんな人に仕える事が出来て本当に誇らしい。
無茶な仕事を振られる事やわがままに振り回される事もあるが
忍びである自分達を人として扱ってくださる。

どれだけ感謝してもしたりないぐらいだ。
「あのお方はしっかり食べているのかい?こないだ御姿を拝見したんだが
あんまりの細さにびっくりしたよ、御殿様といったら
蕪のようにまんまるい腹をしているもんだと思ってたんだがねえ。」

稲を刈っていた男も椿の存在に気付いて寄って来た。

「まあ、お前さんもずいぶんほそっこいからなあ。食いっぱぐれるようなら
うちへ来たらええからな。そんであの人を支えてやってくれよ。」
「あ、ありがとうございます!王子も、俺も、ちゃんと食べてますし大丈夫ですよ!」
「そうかい、そうかい、それは良かった。じゃあ気を付けて帰りなよ、
こないだの山火事のせいで熊が里に下りてくる事が増えているようだし」
「はい、ありがとうございました!」

深々と頭を下げて風のように走り去った椿をみて夫婦が笑う。

「お前はあの子が好きだなあ」
「ふふ、いい男には弱くてねえ。それにそういうおまえさまもいっしょだろうに。
仕事一筋のあんたが手を止めて顔を見に来るなんて他に知らないよ」
「ふん。」
「さあさ、仕事に戻るとするかねえ。今日も良い天気だよ。」


腕に抱えた芋を落とさないようにしながら椿は今日の予定を考える。
薬草畑の世話をして、落ち葉を集めたらいただいた芋を焼こうか。
ああ見えて王子もこういう事するの好きみたいだし、声をかけてみてもいいかもしれない。
きっと文句を言いながらも召し上がるだろう。

「ん?」

門へと続く一本道に誰かの気配がする。
小さくうつる背中が気になって足を早めた。
近づくたびに期待に心が跳ねそうになる。

紺の着物に灰色の袴、黒の羽織にざんばらに切られた跳ねる鳶色の髪。
もしかして、あの方は。

「達海、さま?」
「ん?」
「やはりそうでしたか、ごぶさたしております。」
「お前・・・・」

しまった、一度屋敷で顔を拝見しただけでは覚えているはずもないか。
改めて名乗らないと失礼だっただろうか・・・!

「椿か、着ている物が違えばだいぶん雰囲気が変わるんだな。」
「はい! 覚えて下さってたんですね、光栄です!!」

不安で曇りかけた椿の顔が、ぱっと花が咲くように綻んだ。
嬉しさからか朱が差す頬の色に、今度は達海の顔が綻ぶ。



「王子、もうすぐ達海様がお見えになりますよ。」
「おや、もう来たんだタッツミー。」
「護衛も付けずに一人で来られた所を見て肝を潰しました。」

「ははあ、タッツミーらしいね。で、今何してる?」
「門前で椿に会ったようで、すっかり話しこんでます」

「よしよし、さすがバッキーよい仕事をするね。今のうちに準備しよう」
「まだ、終わって無かったんですか。」

呆れたような冷たい眼差しをひょうひょうと受け流してジーノが紙束を広げる。
新しく、墨を用意して筆でなにやら書き始めた。

「ねえザッキー、バッキーに半刻位、時間潰してもらうように言ってきてよ。」
「・・・・・・あんたって人は。」

「大丈夫さ、タッツミーはザッキーと違って器の大きな人間だからね。」
「悪かったっすね、器小さくて。」


すっかり冷めてしまった赤崎の口調におやおやとジーノが顔を持ち上げた。
いつもなら、ざっくり切り捨てる場面なのに真に受けるとは。

「随分とイライラしているね。そんなに達海が気に喰わないのかい?」
「・・・。」
「と、いうよりバッキーが心配なんだろうね、君は。」
「・・・・。」
「大丈夫、とって食いやしないさ。だらしない男だけど悪い人間じゃないよ。」

「・・・・・半刻・・・。」

「ん?」
「半刻潰せって伝えたらいいんすよね?」
「うん、よろしく。半刻あれば書ききれるから」
「わかりました。」

熱も音も残さず立ち去った赤崎にやれやれとジーノがため息を落とす。
だいぶ神経質になってるようだ。
まるで娘を嫁にやらぬよう気を張る父親のようではないか。
兄弟同然で育った赤崎にとっては似たようなものか。

聞けば椿は赤崎に達海の話を何度も何度もしたらしい。
それだけの敬愛が別の物に姿を変えてもおかしくは無い、が。

「まだ、だいぶ先の話だと思うんだけどなあ。あのにぶちんわんこじゃ。」

するすると筆が滑り、最後の一文が書きあがる。

「ねえ、誰でも良いからこれを君達の長、コッシーに渡してきてくれない?」
「―はっ。」

音も影も熱すらも残さない完璧な仕事ぶりを見せる忍びを見て、ジーノの心に影が差す。
まったく酷い話だ。
同じ人間でありながら、個を捨て、名を捨て、他人のぬくもりを知らずに命すら捨てる。
世は変わりつつあるのに、変わらない物の多さに嫌気がさす。

「君もそう思わないかい?」

行き先知らずの言葉は闇の中に溶けて消えた。



火種


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