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 夜の寒空、むくもり恋し



ひどく冷たい夜だった。
冬だから当たり前と言えばその通りなのだが、それでも言わずにはいれない。
先ほどから吐き出す息は白く、街灯に照らされた指は筋張ってかじかんでいた。
しかし椿は暖房のきいた暖かい部屋に戻る気にはなれない。
理由は無い、ただ、誰もいない部屋に居るのが退屈で、つまらなく感じただけだ。
財布だけジーンズのポケットにつっこみ、ぐるぐるとマフラーを巻いた椿は部屋を出ると
夜空に染まった隅田川を目指して歩いていた。

川沿いに咲く桜が咲き乱れる時期ならば今の時間でも大勢のひとがいただろう。
しかし、この寒さの為か今はひとっこひとりいなかった。

ふるり。

椿は背を震わせた。
川沿いにおりるといっそう寒く感じたのだ。
普段から体を大事にしろと言われる立場上、ここに長居するのは止めた方が良いだろう。
少しだけ、少しだけ、
誰に聞かせるでも無い言い訳をしながら椿は歩いた。

寒い日は星がきれいだ。
ここは地元では無いから夜の九時をまわっても街灯や店の灯りでにぎやかであり、見える星の数は少ない。
それでも白く輝く星はとてもきれいに空で瞬いている。
ちゃぷり、ちゃぷりと、穏やかに流れる川の音を聞き流して、流れに逆らって歩く。
そうすればたどり着く先はいつものグラウンドだ。
今日はボールにさわるつもりはないが、上を向いて伸びる芝を、大きく口を開いて待ち受けるゴールを見れば、
このなんともいえない気分が晴れるのではないかと椿は思っていた。

「あ。」
「ん?」

突然自分以外の声がした。
一人きりだと思っていた空間で声が重なり、つられるように視線が絡まる。
それが良く知る、愛しい人である事に気付いて椿の背が跳ねた。
冷え切った体にめまぐるしく熱が流れ、そうなると川の音などまるで耳に入ってこない。
椿の頭は真っ白に染められてしまった。
まさか、こんな所で会うなんて思いもしなかったのだ。

元より大きな目を更に見開き、体を硬くさせる椿に対し
達海は気だるそうに目を半分伏せて小さくため息を吐いた。

「お前、そろそろこりろよ。まーた忍びこむつもりだったのかよ。」
「え、あ、いやっ。今日はそんなつもりは無い、です。」

おや、と達海が表情を動かす。

「その、勝手に足が伸びたというか、せめて、グラウンドだけでも見たいというか」

椿はしどろもどろになりながら何かを説明したがった。
しかし考えはまとまらず、自分自身ですら分かりかねているようだ。
椿と出会って1年が経ったが、椿大介という男はこういった部分では変わらなかった。
選手として随分落ちついて試合に臨めるようになりつつあるが、自分を変えたいという意味ではまだまだ道のりは長そうだ。


「暇なの?」
「うえっ、その、暇と言うか、……いや暇です、はい。」

半分伏せられた目が呆れたように椿を見るから、椿はあわてて弁解しなくてはと考えた。
しかし、うまい言葉なんか浮かばない。言い訳するなら怒られる。そんな不器用な所が椿にはあった。
そんな椿を視線に入れながら達海は表情を変えずに淡々と話す。


「別に止めやしないけどね、それがお前の調整方法なんだろうし。」
「でもさ、こんな寒けりゃ怪我もしやすい。」

もっともだ、素直に椿はうなづいた。

「ということで、別の事しない? 椿?」

また、この人はこんな事を・・。
さっきまで真面目な話をしていると思ったら、ぐるりと別の話になってしまった。
目の前の達海は何食わぬ顔で川なんて見てるから、椿はどうしたらいいか分からない。
とまどいながらも肯定の言葉を口にすると、何をしたいのだろうと達海の顔にぐいと近づき見やる。


静かな川沿いに椿の悲鳴があがった。


「うっさいよ、椿。」
「達海さんが冷たすぎるのが悪いんですよ。」
「いや、椿が子供体温なのが悪い、ああ、ぬっくーお前。」
「つめた、うひゃ」

達海は顔をのぞき見ようとした椿をつかまえたのだ。
ついでに、僅かに肌をのぞかせる首筋に指をはわせようとするもんだから
椿は嫌がって体をひねらせて避けた。
達海はぬくもりが恋しいらしい。

椿は試合中に見せる軽やかな動きでささっと離れると、
ぐるぐると巻いたマフラーをほどいて、酔狂な手先にぐるぐると巻いてやった。

「なにすんのさ。」
「これで、少しは暖かいっすよ。」

たしかにマフラーは椿のむくもりを保ったままだった。
だからって縛る事はないだろうと達海はじたばた手先を動かして、止まった。
肩を震わせる。

「やっぱ、寒みーわ。」
「冬ですから。」

「いや、俺じゃなくて、お前の見た目が。何とかしろよ、寒い。」

たしかに、マフラーをほどいた椿は肌が露出され、鎖骨がのぞき寒々しい姿を晒してしまっている。
しかし、それを言ってしまえば達海だって同じだろう。
少し考えて、椿はマフラーをほどくと、まず自分の首に一度巻いて、長く伸びた先を達海に渡した。

「何これ? リード?」

いやいやいや、そうじゃないと椿は首を横に振った。
なんでこうも犬扱いされるのだ、しかも慣れてきてしまった自分が虚しい。

「達海さんも、寒そうだから、そう思ったんっすけど・・ん?」

何か冷たい物が椿の頭にあたった。
見上げても星と月が輝く変わらない夜の空に勘違いかと思うも、
それは次第に数を増やし、ついには辺り一面に落ちてきた。


「雪、だ。」
「どおりで冷える訳だ・・。」
「晴れてるのに、こんな事あるんですね。」

達海は渡されたマフラーを首に巻くと椿の手を引いた。
驚いてはいたがバランスを崩す事も無く椿は達海と歩幅を合わせる。

「あー、さっみ、お前暇なら付き合え。プリンまん食べてえの、俺。」
「甘いもん好きですよね、達海さん。」




来た道を引き返しながら椿は今更自分がひどくはずかしい事をしている事に気付いた。
ここは鍵の付いた暖かい部屋では無い。
だれかがいて見られてもおかしくない場所だ。
そんな所でひとつのマフラーを二人で使うなんて真似よくできたようなものだ。

もしこの雪が積もっていたならばこんな事はできなかっただろう。
雪が光を反射して辺り一面を明るく照らしてしまうから。
しかし、この夜は違う。
街灯の明るさだけでは、二人が何をしているかなんてわかりやしない。
その上川のせせらぎと、車の音しかしないせいで他人の存在というものを感じさせなかったのだ。

それはまるで、世界の中に椿と達海しかいないとでも錯覚させてしまう程に。


口では他愛の無い事を滑らしながら椿はマフラーに触れる。
横目でその先を追った、それが達海の首と繋がっている事にどうしようもない気分になる。
ゆるく心が締め付けられ、じりじりと焼かれているようだ。
実際に首が締まらず、歩くのに困らないのは似た身長だからだろうか。

「・・やっぱり達海さんが使ってくれませんか? マフラー。」
「えー。」
「あと、手、放して下さい。」
「・・・・・どっちも寒いからやだ。」
「勘弁して下さい、恥ずかしくて死にそうです。」
「何を今さらな事言ってんの、マフラーを半分くれたの椿じゃん。」


もう表情を見られるのすら嫌になって、マフラーを口元に引き寄せ
頬まで隠れるようにした。照れくさかったからとしか言いようが無い。
しかし、そんな事をされれば見たくなるのが達海だ。
逃げられたら追いかけたくなる、隠されたら見たくなる。
そんないじめっ子の心理を椿は知らない。

達海は自分の首を温めるマフラーをひっぱった。
とたんに椿の首元に絡んだマフラーがひきぬかれそうになり、あわてて椿が押さえつける。
すぐにマフラーは整えられ、いたずらに失敗した達海がつまらなさそうに視線を前に戻す。

「ったく、自分変えたいんだろ? 起してみろよジャイアントキリング。」
「ジャイアントキリングって・・達海さん俺に何されたいんスか。」
「俺の想像以上の事してくれたら嬉しいけど。」

「・・プリンまんで口の中火傷すればいいのに。」
「そんときは舐めて慰めてくれるんでしょ?」

渋い顔をうかべ、達海を仰ぎ見るもしれっとしている。
気力を少しづつ奪われた椿は視界から達海を追い出し、拗ねた声を漏らした。

「・・・いつになったら飽きてくれるんですか、茶化すの。」
「へっ、俺はしつこいぜ?」
「自信満々に言う事じゃないっス・・。」


街灯にたまに照らされるたび、照らされる繋がった影に椿の羞恥心は暴れた。
いっそ走り出してしまおうかとも思ったが、達海がマフラーを巻いているから
まんいち転がしてしまわないかと考えるとそれはためらってしまう。
苛立っているが傷つけたいわけじゃない。
まるでさっき言われたみたいに首輪とリードで繋がれてしまった気分だ。
椿は情けなく眉をハの字にすると、降参の意を顔に出した。

本当に困ってしまった椿を見て達海は少し笑うと、絡まった熱をほどいた。
繋がっていた場所に堺目が生まれ、隙間ができ、指が離れ、熱が離れる。
ひやりとした空気が指をなで、達海と椿の心を少しさわっていく。
達海の首からマフラーが離れるともう一周、椿の首にまわした。


ようやく息ができた気持ちになりながら、椿は少し寂しいと思う自分に驚いた。
ずいぶん今日の自分は勝手らしい。
まもなく、この空気は終わる。
そろそろコンビニに近づいて来たのだ。
川沿いからあがり、公道へと出れば街灯や店の灯りと道行く人の賑わいがこの空気を壊してしまうだろう。
すっかり冷静になった椿は突然、あ。と小さい声をあげる。
もやもやとこもっていた何かが随分と薄くなっていた事に気付いたのだ。


「監督。」
「ん?」

階段に足をかけた達海が振り向く。
逆光を浴びる達海を見上げながら、椿はどこかすっきりした顔をしていた。

「コンビニで買い物済んだら、その、部屋入れてもらっていいですか?」
「いきなりどうした?」
「なんか急に気付きました、俺、今日」

人恋しかったみたいです。




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