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 6、椿の決断



「・・・・ん」
「あ、起きた?」

暗い暗い闇の中椿は目を覚ます。
手をついて上半身を起こし、膝を立てて、足に力を入れる。
少しだけ痛むがひねったり、くじいたりはしていなかったようで椿はほっと息をつく。
落ちついた所で辺りを見渡した。

そこに会ったのは満天の星空とまんまるい月だけ。
足元に芝があったのはわかった。
ただし、それしかない。
建物も、人の声も、木々も、花も、
ずっと在ったものがことごとく無かった。


「裁判所じゃない・・・?」
「俺に感謝してよ、連れ来てやったんだからさ。」

後ろから声が聞こえて椿はあわてて振り向いた。
そこには月明かりを背中に受け止めたチェシャ猫が笑っていた。

「監・・督・・・。」
「人違いだよ、椿 俺はチェシャー猫、名前は達海。」

垂直に立ったしっぽがピクピクと動く。
世良同様、達海の意思で動くようだ。
もう慣れてしまったおかしな姿を目にいれつつ
椿はいまだぼんやりした意識を引き戻し、まずは助けてもらった事に感謝した。

「ありがとう、ございま、す。」
「どういたしまして。」

頭を下げた椿が、顔を持ち上げる。
やけに明るい月が逆光になり達海の表情は見えない。
なんとなく笑っているように椿は思えた。

恐い。

恐がる理由は無い筈だ、だけど、怖くて堪らなかった。
先ほどの持田も恐かったが、目の前の達海はもっと恐ろしい存在に見える。
何を考えているのかが分からない。
冷たくも暖かくも無い、感じた事の無いこの場の雰囲気がそうさせるのかもしれない。
椿がこの世界の達海に会うのは三度目だが、
今まではこんな風に怖いとは思わなかった。

「さて、椿。 本題に入るわ。」
「は、はい!」

「お前さ・・帰りたい?」
「帰る方法を知ってるんですか!」
「・・うん、で、帰りたい?」


ぽかん。

だらしなく口が開き、目が見開いた。
あんまりにも驚きすぎて声が出ない。
当たり前だ、帰りたいに決まってるじゃないか。
そう椿は思うが驚きすぎて声にならなかった。
なんとかひねり出す。

「帰り、たいです。」

喉がひきつる。
心臓が跳ねる。
声は、掠れた。

「本当に?」

「・・どういう意味ッスか?」

達海は笑みを崩さない。
全てが闇で覆われているのにそれだけは不思議と分かった。
空気を通して、伝わって来る。

「おまえはどこに帰りたい?」
「俺は、ETUに、現実に・・帰りたい。」

「ふうん」
「な・・なんで、笑ってるんですか?」
「猫は笑うもんさ。」
「は?」


話が、かみ合わない。
椿はぞわぞわと鳥肌が立ってきた。

「お前さ、それが夢だったらどうする?」
「え?」
「小心者で下手くそなお前がETUのスタメンなんて話が出来過ぎてると思わないの?」
「なにが・・・言いたいんですか?」

「ははっ、イイ顔。」
「茶化さないで下さい!」
「おお、怖えー。」

無性に椿は苛立った、怖さなんて無視して目の前の男を殴りたいとさえ思った。
しかし、その苛立ちの原因は達海では無く、椿の中に眠る気持ちである事に気付かない。

「ははっ、じゃあ言ってやるよ、椿。」

椿が達海を睨みつけた。

「お前が信じてる現実こそが、お前の見てる夢かもよ?」

「な・・!」

「嫌な現実に目をそらして妄想してるだけかもしれないぜ?」
「ちがう。」

「現実のお前はどんな男だろうな、足を失って絶望に暮れる青年?
叶う事無い夢を見る女性?運動神経の欠片も無い青年かもしれない。」
「・・違う。」

「本当にそう思ってる?」
「・・・だって俺は!俺は、 おれ、は。」

椿の上げた叫びはだんだん小さくなって、しまいには口の中で殺されてしまった。
足元が崩れる、そんな錯覚を椿は覚える。
そんな事あるはず無い。記憶が、心が、覚えている。


「あ、あんな、はっきりとした夢なんて・・ある筈が無い。」

達海は笑う、嗤う、哂う。
椿の言葉を、椿の記憶を、椿の心を。

「じゃあ、ここでの記憶はどうなんだ、椿?」

「はっきりした思い出だろう?でも、こんなにおかしなことが現実だと思うのか?」


その言葉に激昂していた椿が、ふと我に返った。
達海は今、何と言った?

「これは・・・・夢、なのか?」
「夢だけど、夢じゃない。」

「お前は選べる、この世界を現実にする事だってできる。」

達海は椿の手を取り、何かを握らせた。
達海の手が引いたのち、開ける。
中には熟れた赤い果物。

「ここなら・・・」

月が空のてっぺんに昇った。
光の向きが変わる。
今ならば、達海の表情がはっきり見えた。

「た、つみさん。」
椿の口からかすれた声が零れた。
胸がつぶされるような衝動に言葉を失う。

月の光は照らす、達海の表情を。
笑っているのに、その瞳に宿る色はあまりにも儚い。

「・・ここなら、もう辛いことなど起こらない。」
「全ての奴が、お前を愛すだろう。」



椿は何も返事などできなかった。じっくりと言葉を聞き入れる。

「椿、知ってるか。」

月明かりが、妖しく達海を照らす。

「豊穣の神、デメテルの娘ペルセポネーの伝説を。」
「彼女は死の国の果実を口にしたばかりに一年のうちの3分の1を黄泉の国で暮らす事になった。」

椿の手のひらの果物が誘う様に甘く香った。


「どうする、椿。決めるのは・・・・お前だ」



椿は、じっと達海の顔を見ていた。
頭はぐわんぐわん揺れているような感覚で、ちっとも働こうとしない。
根本から否定されたショックは意外と大きく、自分の存在すらあやふやに感じていた。

しかし、

椿は選んだ、赤い果実が美しい放物線を描いて空を飛ぶ。

「達海さん、俺帰ります。」

「ふーん。」

「だって、ここにはボールがありませんから。」

「あーあ、お前いがいと強情だな。優しい夢に溺れたらいいのに。」

「あなたはあまり、優しくありませんでした。」

「そーか? めちゃくちゃ優しくね?」

けらけらけらと達海が笑う。
その声を聞きながら椿は窪田に貰ったきのこを一口かじった。






ちゅん、ちゅん、ちゅん。
椿がうっすら目を開けると明るい日差しが目を焼いた。
思わず閉じて、また開ける。
ぼんやりと部屋を見渡し、ボールがある事、足が動く事、ここが寮の自室である事を
確認して、ほっと息をついた。

あの不思議な夢の世界を嘘と割り切れずにいた心がどこかに残ってたのだ。
あのチェシャー猫の笑顔が思い浮かぶ。

『エイプリルフーーール!』

けらけらけらとあの笑い声が聞こえた気がした。




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