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 涙の池





元気に跳ねた茶色い頭がくるりと振り向いた。
きょろっとした大きな目と目が合う。
不思議そうな顔で椿を見て、椿はそんな世良の頭に大きな耳がある事を不思議に思った。
おおきな耳をぴくぴく動かして世良が言う。

「たしかに世良は俺だけど、お前はだれだ?」
「え、ちょっと、冗談言わないで下さいよ、椿です!!」
「つばき、つばき、うん、やっぱ俺、お前と会ったの今が初めてなんだけど。」

すいすい泳ぎながら世良も椿がいるコルクの傍までたどりついた。
そうしてじっと互いを見やる。
椿は世良の頭に生えた(しかも動いている)耳に釘付けだったし。
世良は自分を知る目の前の人間がどこか記憶の中に無いかじっと見つめていた。

「みみ・・・」
「え、耳?なんかおかしいか?」

世良は耳に手を添え、ぴくり、ぴくりと動かした。

「動いた、やっぱり!?え、え、どうなって・・」
「動くに決まってんじゃん、ねずみなんだから。」

「え、ねずみ・・・?」

「おお、やっと人違いに気付いたか!」
「・・・あ、は・・はい。」
「よしよし。」

にかっとおひさまのような笑顔を世良は見せた。
その笑顔を見たからこそ、正直、人違いだと椿には思えなかった。
しかし、さっきからあり得ない事ばかり立て続けにありすぎてしまって
受け止められない事でも受け止めたふりが出来るようになっただけだ。
だから、椿の話は本題からそれて見当違いな方向にいってしまった。

「じゃあねずみなら、しっぽもあるんですか?」
「あるよ、ほれ。」

水の中からするりと出てきた物は正真正銘ねずみのしっぽだった。
ぴちゃんと水をかき分け、器用に椿の肌を撫でるとまた水の中に帰って行った。

「うひゃあっ!」
「ははっ、椿はくすぐったりだな!」
「び、びっくりしたッス」
「まあ、こんな所じゃおちついて話もできねえよ、椿、まずは上がろうぜ。」
「は・・・はい!」

それから二人はコルクの蓋から離れ、池のはしっこを目指して泳いだ。
世良が泳ぐたびにゆらゆら揺れる尻尾に目を奪われながら、ただついていく。
どうやら耳や尻尾は本物だったようだ。

「よっと、もう足がつくな。」
「あ、ほんとだ。」

世良が窪みの端にたどり着き、体をふるわせて水気を飛ばす。
ふわふわとした素材でできた灰色のセーターを身につけ、だぼだぼとした同色のジーンズを腰で履いている。
床まで着きそうな長い尻尾がセーターとジーンズの狭間から伸びていた。
椿も池から上がろうとして、思い出してもう一度胸元までつかった。
そんな椿を見て不思議そうに世良が聞いた。

「どうした?上がれよ。」
「上がりたいんですけど、その・・・服が・・・」
「服・・・?」

おどおどと何かを喋る椿に世良は首をかしげた。

「まあ、濡れて冷たいのは気持ち悪いけどさ。」
「いえ・・その・・な、無いんです。」
「無い? えっ!?」
「その、信じられないかもしれないけれど、体が急に大きくなって・・その・・・」

何かを懸命に伝えたがる椿を見て、何かに気付いた世良はちょっと待ってろ。
とどこかに行ってしまおうとした。が、すぐに戻ってきて、もそもそセーターを脱ぐと椿に渡した。

「とりあえず、これでも着てろ、な。」

そう言うと、こんどこそどこかに走って行った。
セーターは濡れていたが、肌を隠せるという意味ではとてもありがたい。なにより世良の優しさが暖かくて、嬉しくて、胸に染みた。

世良にとっては太ももの真ん中まである長い丈のセーターだったが、
椿が着ると辛うじておしりが隠れるかどうかの危うい長さだった。
きょろきょろと誰もいない事を確認して椿が池から上がる。
伸びてしまったら申し訳ないが、見えてしまうのは精神的にも視覚的にもよろしくないのでぎゅうぎゅう伸ばして湧きあがる羞恥を耐え忍ぶ。
頬を真っ赤に染めた椿の元に世良が帰って来ると、心の底から椿が安心した笑顔を浮かべた。
その笑顔に釣られるように世良がにかっと笑ってがしがしと椿の頭を撫でた。

「わりぃ椿、待たせたな!」
「おかえりなさい・・・。」
「俺の服、やっぱ合わねえと思ってさ!その辺に居た奴に聞いてみたんだ!」

その時、木の板と部屋の壁紙しか無かった所から口が見えて、椿が肩を跳ねさせた。
最初は歯だけ、そしてニヤーと三日月型にゆがんだ口元になって、じわじわとそれは人型に形作った。



「か・・・・・監督!?」

眠たそうな目でこちらを見ていたのは、椿にとって馴染み深い人だった。
カーキのミニタリージャケットを身につけ、不敵そうにニヤっと笑う。
いつもと違う所は猫のような耳としっぽが生えている点だ。
なんとなく察しがついた椿が呟いた。

「チェシャ猫・・・だ。」

世良は男と椿の顔を交互にきょろきょろと見上げた。

「なんだなんだ知り合いなの?」
「うんにゃ、しらね。」

その言葉に椿の瞳が曇る。
ここはいつもいた椿の世界では無いアリスの世界。
だからここの住人は椿の事を知らない。
それは椿も想像出来る事だったが、面と向かって言われてしまうと
ぐさりと痛みを伴う衝撃がある。
わかっていても、寂しいのだ。好きな人達に自分を知らないと言われるのは。

「ずいぶんとまあ、へんな格好だな。寒く無いの?」
「へっ・・あ! その俺、服を無くしてしまって・・・!」
「ああ、だからお前半裸なんだ。」

そのぼんやりとした言い方に、世良がいきどおる。

「だからさっきから俺そう言ってたじゃないっすか、何聞いてたんっすか!」
「悪い、悪い。」

絶対悪いとか思って無い・・。
いぶかしげな目で見て来る世良をあしらい、椿を見る。
椿もずっと見ていたから自然と目が合う形になった。

「椿だっけ?」
「はい。」
「一応聞くけどさ、着れるもんなら何でもいい?」
「・・・はい!」

力強く、椿は答えた。
すると目の前の男が何処からか奇麗に包装された箱を取り出す。
どーぞと椿に渡すと、ありがとうございます!となんども繰り返しながら受け取った。
リボンをほどき、包装紙を外し始める。
かなり大きな箱だ。
今はどんな服でも嬉しい。縋るような気持ちで箱を開けて・・・


閉めた。


「大変・・・その・・・・・言い辛いんですが・・・これしか・・」
「ねえよ。」
「・・・そう、ですか。」
「何でも着るって言ったよな。」
「はい。」

あれだけ希望で輝いていた椿の顔が、みるみるうちに絶望に染まっていった。
しかし裸よりかはマシだろうと椿はセーターを脱ぎ、袖を通す。
非常識の中にずいぶん居た結果椿の判断力はだいぶマヒしているのだ。
不思議とサイズは合うらしく、窮屈な思いをすること無く着終わった。
後はパンプスに足を突っ込む。

「なんだ、結構似あうな。」
「おお・・・可愛い、可愛い。」

椿はその言葉に更に元気をすり減らされた気がした。
倦怠感を感じながら身に付けた服を見る。どうしても二人が茶化しているようにしか聞こえなかった。

水色のロングワンピースに白いタイツと白い袖付きエプロンドレス。
本の中の少女が身に着けていた物だ。
不幸中の幸いは、布が見苦しい物を隠しきり肌の露出がとても少ないことだろう。
襟がついたロングワンピースは長袖だし、スカートも足首まで長さがあった。
ふわふわと広がりそうな所は嫌だったが、タイツを履いている分何も無いよりかは心強い。


「うう、落ち着かない・・」
「思ってた以上に似あってるぞ、椿。」
「せ・・・世良さん。」
「うんうん、可愛い顔してるもんなあ。」

羞恥心から心細げにもじもじする椿を世良は励ました。
励まされた所で逆に椿を傷付けている事は変わりないが、もう一度全裸よりかはましかと思い直して、借りたセーターを世良に返した。

「俺、変態扱いされないといいんですけど・・。これ、ありがとうございました。」
「おう、ここに居る奴だったらそんな事気にしねえと思うぞ、ですよね、・・あれ?」

世良が振り向いた先に、居た筈のチェシャ猫が居ない。
これには椿も驚いて辺りを見渡したが、影も形も、笑い声さえ見つからなかった。

「どこへ・・・」
「まあ、気まぐれな人だしな。またどっかで会うだろ。」
「はい。」

「これから椿はどうするんだ?」
「えーっと、分からない事ばかりなんですけど、とりあえずまた歩いてみようと思います。」
「そっか、じゃあお別れだな。」

「・・はい、世良さん。ありがとうございました。」
「いいって、困った事あればまた会いに来いよ!俺、そこの道まっすぐ行った所に家あるから!」


そう言って、また世良はにかっと笑う。
その笑顔は何よりも椿を元気づけた。




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