文章 | ナノ


 2、涙の池



シンプルな机と大小様々の大量のドア。
椿は辺りを見渡してため息をはいた。

「飲まなきゃだめだろうか?」

椿の視線は机の上の物に注がれている。
金色の鍵と、液体が入った小瓶と、タルト。
ご丁寧に”DRINK ME” ”EAT ME” とカードまで添えてあるそれに
手を出す事が椿は嫌でたまらなかった。

「お飲みなさい、お食べなさい、とか言われてもなあ・・。」

シンプルな形をしたガラスの小瓶を手に取る。
コルクで蓋されたそのなかには薄い青色の液体。
まずそうとかいう以前に命の危機すら感じてしまう。
それに、アリスはこれを飲んだばかりに・・・

あれ?飲んだからだっけ?食べたからだっけ?

椿は自分の記憶に自信を持っていない。
読んだのは随分昔だし、記憶だって曖昧だ。
増えていく疑問符を吐き出して小瓶をテーブルの上に戻す。
今度は一切れのタルトを手にした。
一切れを置く為にしては随分と大きなお皿だ。
本当はもっとあったのだろう。

色良く焼けたタルトの生地の上に、ふんだんにみずみずしい果物が乗せられ、
その隙間から覗く淡黄色のクリームが食欲を誘う。
こちらはいたって見た目に問題無いどころか
言葉に甘えて食べてしまいたくなる魅力に溢れていた。

もうひとつ、机にある鍵。
これは既に使い方が分かっている。

大小様々な形をしたドアだが、その全てに鍵がかかっていたのだ。
全て試してみたのだが、開いたドアは鳩くらいなら通れるかという
とても小さなドアひとつだけだった。
こうなってしまえば椿が取るべき行動は一つだ。

瓶か、タルトか。
そのどちらかを口にして小さくならなければいけない。
そうして、もと居た場所に帰る方法をさがしに行くのだ。

椿の視線がうろうろ彷徨う。
瓶か、タルトか、タルトか、瓶か。
散々迷って、迷って、手に取ったのはタルトだった。
大きく口を開け、がぶりと噛みつく。
甘いカスタードと、イチゴの甘酸っぱさがまざりあい、それはとてもとても美味しかった。
自主練後で小腹が減っていたのだ。
一口で様子を見ればいいのに、椿はペロリと全部たいらげてしまった。







「・・・・・う、あ・・っ・・・」

ずきりずきりと体中が悲鳴を上げている。
とにかく、痛かった。
自分で自分を支えようと、抱きしめるように腕を掴んだ。
歯を食いしばりひたすら痛みに耐える。
小さな違和感と、肌寒さを感じた。しかしそんな事を気にする余裕なんてない。
ぼろり、ぼろり、と涙が落ちるのが分かった。

「・・・・っは!・・・はっ、あ、・・・ぐ・・」

喉を震わせ、悲鳴を逃がす。
息をした隙間から言葉に成らぬ声が漏れた。

「・・・・はぁ、・・・はぁ・」

ようやく痛みは過ぎ去った。
丸まって耐えていた体を伸ばそうと、腕を広げてみたがなぜだか自由に動かせない。
おそる、おそる、椿は目を開けてみる。
自分以外の全ての世界が縮んでしまっていた。
そう、椿は小人になるどころか巨人になってしまったのだ。


「・・・・嘘だろ・・・。」


同時にもうひとつ、椿を追い詰める出来事が起こっていた。
感じた違和感の正体、肌寒い理由。

椿は服を着ていなかった。

おそらく、体が大きくなったときに服が耐えきれず破れてしまったのだろう。
なんで、こんな目にあわなければいけないのだと、椿はだんだん悲しくなってきた。
そう思いだすとまた目頭が熱くなってきて、暖かい涙がぼろぼろと零れた。
喉がひきつり、どうしようもない惨めさを嘆く。
その間も涙はぼろぼろと流れ続け、止まろうとはしなかった。

いくらか時間が過ぎて、ようやく椿は高ぶった気持ちをおさめる事に成功した。
ここで嘆いていてはしょうが無いと、どうにかして小瓶の中の飲み物を飲めないだろうか
と手を伸ばした。

腰まであったテーブルはいまやひざ丈の高さになっていた。
あんなに高かった天井は、椿が少しでも立ち上がろうとすればぶつかってしまう。
慎重に親指と人さしで瓶を摘まむと小さなコルクの蓋を抜き取り、中身をごくりと飲み込んだ。

すると今度は瞬きするごとに世界がどんどん大きくなっていく。
よかった、うまくいったんだ!
そう安心したのもつかの間、今度はざぶんと水の中に落っこちてしまったのだ。

「うわ、なんだこれ!こんなもの、さっきまで無かった筈なのに!!」

こんな池など、さっきまでは無かったのだ。
手で水をかき、池の中を泳ぐ。
すこしあったかくて、塩っ辛い。もしかして海ができたのかとも思ったのだが。
それにしては、波が無い・・・。

「もしかして、これって・・・・さっきの涙か?」

そう、これは先ほど椿が零した涙の池だった。
家の屋根よりも大きくなった椿が流す涙は、とても大きな水の塊だ。
それが、きしんで歪んだ床のひずみにたまり即席のプールになってしまったのだ。
先ほどはあんなに小さかった小瓶が、いまや椿の体よりも大きい。
もう小瓶とは言えそうに無かった。

「10センチって所かな、俺・・・。」

そう呟いた頃、目の前に見慣れた後ろ姿がある事に椿が気付いた。
ふわふわと浮き輪のかわりになりそうなコルクのふたまで泳ぐと椿は大きく息を吸って呼んだ。

「世良さんっ!」



NEXT



「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -