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 鳥籠 8



頭が真っ白になった。
何か言わなければ、そう思うが声が出ない。
何を言えばいいのかも思い浮かばなかった。

「今すぐ返事くれとは言わねえよ。」

監督に放されても指一つ動かせず
ただ目の前の監督を見ていた。
いつも通り不敵に笑う監督が何故だか別人に見えた。

「3日間時間をやる。」

「ここを出て行く時に返事してくれたらいい。」


「おやすみ、椿」



ドアがわずかな物音をたてて閉まるまで
椿は一言も返事が出来なかった。

食器が立てる音も、監督の声も無くなって
秋を知らせる虫達だけが盛大に歌う。
その音を聞いて、ようやく椿はひとりになったと自覚した。

ふ、と気が抜けて。
壁にもたれかけたままずるりずるりと座りこむ。

「監督、どうして・・。」

情けなく震える小さな声に椿は嫌気がさした。
答えなんて出したくなかった。
このまま曖昧に濁して忘れて生きていきたかった。
卑怯だと言われても、臆病だと罵られても。
もう、戻れない。
昨日と同じ明日は無い。


残された時間は、あと3日。



達海は流れる水に頭ごと突っ込み
ざあざあと流れる水の流れを肌で感じる。
生温い水だが、それでも頭は冷えた。
蛇口をひねり、頭から流れ落ちる水滴をタオルで受け止める。

「あー、言っちまったなあ・・。」

でも、後悔は無い。
このままぬるい生活を続けようとは思わなかった。
変わり始めた日常を、無理に保とうとしてもいずれは壊れる。
この世界に変わらないものなんて無いのだ。
それに、上手くつくろって、ごまかして生きれる程
椿は器用な人間じゃないだろう。

椿がこのチームを、監督としての俺を愛してくれているのは分かる。
だからこそ、その愛の意味をすり替え、望むような形に誘導して、手に入れる。
臆病な鳥が分からぬように、嫌だと思わない範囲でゆっくり、ゆっくり籠に閉じ込める。
やろうと思えばそれは簡単に出来ただろう。
椿は逃げ道をさがしていたんだから。

「さあて、どうする椿?」

もし、この三日間でお前が答えを決められたら
俺はお前を逃がすよ。
もう口に出す事もしないし、困らせる事が無いよう
何重にも想いを縛って蓋をしよう。
だけど、まだ逃げようとするならば。

逃げ道に罠を仕掛けて落とすだけだ。
できればやりたくはなかったけれど、そんな小細工をしてでも
手に入れたい程想いは重くエスカレートしていた。

腕に残る椿の感触、あいつの体温。
体と瞳が哀れな程震えていた。
心の底に張り付く悲しみと絶望がじくじく疼く。
あるもので満足できる筈だったのに、何度も、何度も夢を見た。
もしも、あいつが笑ってくれるなら。
もしも、あいつが望んでくれるなら。
もしも、


髪の先からぽつりぽつりと水滴が落ちる。
それに紛れて暖かな水滴が服を濡らした。
「はは、青くせえな俺。」
こぼれ出た自嘲の言葉は胸を軽くさせるどころか、ますます重く沈ました。

「・・・・・・・・・・っし!!」

大事な事は頭の切り替えだ。
言うべき事は言った。
なら、出来る事をするしかない。
それがただ、待つだけだとしても。

達海は立ちあがってテレビに近づく。
そして、リモコンの再生ボタンを押せば
そこでくりひろげられるプレイや戦術に思考は埋まっていった。





いつまでたっても落ち付かない思考が嫌になって
目についたボールを抱え、グラウンドに向かう。
弾むボールの感触を感じている内に頭がクリアになっていく。
その感覚が気持ちよくて、いつもよりのめり込んだ。

吹き抜ける風で汗が冷やされ、火照った体が心地良い。
椿は弾む息を落ち着かせるとそのまま芝の上に座った。
見上げればちかちか星が瞬く。

「もっと、いっぱい見えたなあ」

星空を見ながら、暗くなるまでサッカーにのめり込んだ小学生の時に見た空を思い出した。
あの暖かな空間は、少しETUに似てると思う。
家族とは違うけれども、ここも、小学校の時の仲間も、とても居心地が良かった。
友達のような兄弟のような、不思議な親密さがどちらもあるからだろう。

そういった愛情の意味の好きと恋愛の意味をあらわす好き。
同じ文字で同じ音なのに、その意味が違いすぎて・・・辛い。
俺はその気持ちをどう受け止めたらいいのだろう。
男が男を好きになる。
宮野と話てる間はありえないと思っていた。
現実味のない、遠い存在のようにしか感じなかった。
しかし今となっては、そんな風に感じられなくなっている。
現実味を帯びて答えの一つとして、確かに今ここに存在している。
信じられないが、受け入れてもいいのでは・・・とさえ。
嫌、それは、違う・・・・気がする。
頭ごなしに否定は出来なくなっているが、自分が受け入れられるとは思えない。

ならば、断るとどうなるのだろう。
男女関係の時と同様に、しばらくぎこちない関係になるかもしれないが
それは時間が解決してくれる筈だ。

断ったって達海さんは仕事に持ち込むほど愚かな人でない。
あれだけフットボールを愛する人だ、
それこそこれまでと変わらない穏やかな日々が続くだろう。

そのかわり、二度と夕食を共に食べたり、雑談したり、穏やかな関係は無くなり
サッカーから離れた、ただの椿大介という人間として接してはくれなくなるのだ。


寂しい。


一番最初に湧いた、素直な感情だった。
もっと以前なら、迷うことなく断れただろうに。
共にご飯を食べたり、話をしたり、同じ時間を共に過ごしてしまえば
そう簡単に切り捨てられるものではなくなっていた。

苦しい、辛い、分からない、無かった事にしたい、戻りたい。
いろんな感情が次から次へと湧いて、椿の心を溢れさせ、かき乱す。

「・・・・・監督、俺、わからないっす」

そう呟くと椿はボールを拾って寮へと帰っていった。




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