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 鳥籠 2



どさり、耳に届いた微かな物音に椿は足を止めた。

ボールを蹴る事が好きだ。
追いかけて、誰かにパスして繋げる。
前に、前に。
ゴールすれば嬉しいし、されれば悔しい。
口下手な俺でもボールを通してなら誰とでも繋がれる、ただ夢中になれる。
みんな一緒に楽しめるこの瞬間が好きで好きでたまらなかった。
誰にも譲れない居心地の良さ、壊されたくない絆。
大好きだからこそ変わる事が怖かった、終わる事が恐かった。
だから、俺は監督の好意を目を閉じて見えない振りをしていた。

はっ、はっ・・・・。
何だろう、さっきの音。
嫌な予感がした、胸騒ぎというのだろうか?
大したことではないだろうと足を進めようとしたのに足が鉛のように重い。
これで戻ってどうする?
どんな顔して監督の顔を見るつもりだ。
向き合う覚悟も無く逃げたくせに。

ずきり、ずきり、胸が痛い。
心と言う物は体の中に現実には存在していない筈なのに
締め付けられる胸の痛みはなんなんだ!

「・・・・・・・・駄目だ。」

気になってしょうがない、そっと戻って、何もない事確認してから帰ろう。
そうじゃないときっと今夜は寝れないから。

来た道を走る、走る。
何も無い、何も無い、単なる俺の心配性がありもしない音を聞かせたんだ。
そう自分に言い聞かせ来た道を戻る。
心臓の音が煩い、あの人に見つかってしまうじゃないか!
あの、角を曲がれば監督が居る筈。
荒い息を吐き出して、そっと顔だけ出す。


何も無い事を確認するだけ、そのつもりだった。
しかし、そこで椿が見た物は崩れ落ち、壁に体を預ける監督だった。
どう見ても尋常では無い!

「か、監督!」
駆けよって、よく確認しようとした。
どうしてさっき気付かなかったんだろう、ひどい顔色だ。
閉じられた目の下は黒ずみ、寝不足である事を雄弁に語っている。
「監督、監督!しっかりして下さい。」
肩を叩いて返事を期待しても、うっ、と小さな声を漏らすだけで返事をしない。

まさかの現状に椿の頭が真っ白になった。

ばん、両手で思いっきり自分の顔を叩く。
(しっかりしろ、俺!!)
あまりにも強く叩きすぎて思わず出た涙をぬぐった。
ケータイを持ってこなかった事を後悔しても遅い、
急いでクラブハウスに駆けこんで目当ての番号を見つけ、繋げた。




あれ、どこだ、ここ。
見慣れた白い天井、でも俺の部屋じゃない。

「監督・・・!」
「あら、目が覚めたのね。」
ああ、そうか、ここクラブハウスの医務室か。
「ふう、有里ちゃんに続いてあなたまで貧血で倒れるなんてね。」
「・・・ん、あれ?」
「あなた覚えてない?倒れたの。まったく、人間らしい生活してなかったんでしょう。」
「・・・・どーも。」
「貴方が寝てる間に話はつけといたわ。」

眉間に皺をよせて、ドクターはため息と一緒に吐き出した。

「しばらく寮で生活してきなさい。」
「は?」
「寮ならまともな食事も出るし、倒れるような事があっても誰かが傍に居るでしょう?」

ドクターはいつもと同じように淡々とこちらを説き伏せる。
これは、ずいぶんと怒ってらっしゃる?
話を変えようとするなら夏場なのに冬の極寒を味わいそうだ。
そういえば有里ですらこのドクターには叶わなかった事を思い出した。
これは逆らうべきじゃない、達海は渋い表情でコクコクとうなずいた。

「じゃあ、私は帰るわね」
「あ、ありがとうございました!」

今までベッド際で大人しく座ってた椿がさっと立ち上がり頭を下げた。

「ええ、あなたも体大切にしなさいよ。」
「さっきみたいに汗ふかずに夜風をあびるような事があれば・・・」
「は、はい、すいませんっした!!」
「それじゃあ監督、おだいじに。」

そう言って女王様は医務室から出て行った。

とたんに包まれる沈黙、椿はこちらに背を向けたまま振り返ろうとしない。
聞きたい事はいくらでもある。
しかし、今この場でたずねる事がとても自分勝手な事に思えた。

「椿」
「は、い・・。」

ぎこちなく椿が振り返る。
あの時隣を駆け抜け逃げた筈なのに、練習着のまま椿がそこに居る。
汗が流れていないのは、その手に持つタオルを渡されたからだろう。

「ありがとう。」
「・・・はい、よかったです、大した事無くて」
「帰ろうか」
「はい。」

俺がこれ以上踏み込むつもりが無い事を察して椿の顔から硬さが消えた。
よほど緊張していたのだろう。ちいさく息を吐いて、すぐに表情を戻しこちらに近づく。

「立てますか?」
「うん、もう大丈夫そうだ。」

力強さを取り戻した足はしっかり床を踏みしめ体重をささえる。
まだ頭はふらふらしているが、それでもさっきまでと比べると遥かにマシだ。

「今日はもう遅いし、このまま俺の部屋に来てください。」
「や、クラブハウスに戻るわ。」
「駄目です、今はそのつもりでも部屋戻ればまた仕事に戻ろうとするでしょう?」
「・・・うっ」
「明日、荷物運ぶの手伝いますから今日は我慢して下さい。」

それきり言葉は交わさなかった。
寮へと向かい虫の声を聞きながら、だらだらと足を進める。
俺の足取りは随分遅いはずだろうに病人の俺を気遣ってか椿の歩みも同じくらい遅い。

あれだけ緊張する程気まずかったのだろうに。
馬鹿な奴だと思う。
なんで戻って来たの椿?
どうして、今となりにいるんだ、お前は?
感情だけで切り離せない椿の甘さに縋りたくなるではないか。
・・・諦めようとしていたんだけどな。

「変わってねえなあ、ここ。」

俺が住んでいた頃そのままに選手寮はあった。
多少老朽化はしていたが、思った以上に奇麗だ。

「監督も、ここに住んでたんですか?」
「うん、選手時代はね」
「明日管理人さんが部屋の鍵持ってきてくれるそうなんで」
「ああ。」

鉄色のドアノブを回せば僅かな音を立ててドアが開く。

「おまえ、鍵かけてねえのかよ。」
「う、その、短時間のつもり、だったんで・・・・。どうぞ」
「不用心な奴だなあ、そんじゃお邪魔します。」
おお、中もあんまり変わってねえ。

「すみません、俺シャワー浴びてきます。部屋の物は好きに使ってくれていいんで」
「ああ。」

「朝食は7時です、ベッドの所に目覚まし置いてますので。」
「うん。」

「鍵は机の上に置いてます、じゃあ、おやすみなさい監督。」
「え、どっか行くのか椿?」

「シャワー浴びたら、宮野の部屋に行く予定だったんです。」
「あ、そうなんだ。」
「はい。じゃあ、行ってきます。」
「・・・いってらっしゃい。」



部屋の主が消えてしまうと、狭い部屋がずいぶんと広く感じた。
自由に使っていいとの言葉に甘えてエアコンのスイッチを入れてベッドに入る。
若さからか、まだ加齢臭のような男臭さは感じなかった。

鍵の事といい、本当に無防備な奴だ。
俺の気持ちを知りながら部屋を貸すなんてまともな奴のすることじゃねーぞ。
まぶたを閉じても椿の事が離れない。
この部屋のいたる場所から感じる椿の存在に縛られるばかりだ。

椿についていくつか分かった事がある。

椿は鈍感では無い。
言葉にしないだけで、様々な感情を察して行動でリアクションを返そうとする。
そして、今を愛する臆病者だ。

受け止めた様々な直感を言葉に変えている途中で空想じみた思考がばらけていく。
人が眠るにふさわしい温度になった部屋の中
椿の気配を感じながら達海は眠りについた。




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