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 鳥籠 1



緩慢な気だるさを供給する夏の夜。
風さえも疲れたように気弱く肌を撫でる。
その中で黒い髪が跳ねた。
疲労した風に代わって自らが風の如くびゅんびゅん駆け回る。
合間に漏れる笑い声。重圧からしがらみから自らから解放された男がピッチを舞う。
その姿を見るのが達海は好きだった。
気付かれると、途端に精彩に富む動きが失われてしまうのが惜しくて声はかけない。

ふと目に入った瞬間から芝生が草原に錯覚さえしそうになる。
風のように獣のように駆ける姿は疾走感に溢れ、見ているだけで爽快だ。
これが試合だとより一層輝くのだ。
躍動感あるその男を俺だけが指揮できる権利と義務を持っている事を思う度
震えが走るような歓喜が湧いて心を満たした。

それだけで満足だったのだ、今までは。

足りない、心に穴が開いたかのように寂しさと飢えが心の底に溜まりどろどろとこびりついて離れない事を自覚した。
月明かりに照らされた椿は何も知らずに笑っている。
フットボールに向けるあの笑顔が俺に向けばいいのに。
じりじりと喉が渇くように、焦れて飢えて欲望が暴走しそうになる心をなんとか制御する。
耐えようとして、その、あまりの苦しさに達海は顔を歪めた。



そんな日をいくつもいくつも過ごしている内にエスカレートする思いに達海は呆れた。
どこまで、貪欲なんだ。
勘違いですめば良かったのにな。

「夏場はコンディションの事を考えろと言ったろ」
音を立てずそっと練習場から出て来た椿を見つけこつんと頭を叩く。
俺の声にとたんに背筋を凍らせ、慌てる様子がおかしくて愉悦に口元が歪んだ。

熱を持ち始めた視線に椿は気付かない。
もし、口にしてしまえばお前はどんな顔をするのだろうか。
そう思った瞬間、一瞬の違和感が目の前をよぎった。
ふと椿の顔が固まった気がしたのだ。
瞬きを繰り返す内に違和感の面影すら消え失せ、目の前の椿は言葉を探してあらぬ方向に
視線を投げだしている。

俺の気のせいだったのだろうか。

その日はこれ以上追求するのを止めた。



夏の暑さはそのままに、虫の声が混じり始めた夜。
まとまりきれない頭を切り替えたくてグラウンドに足を運ぶとまたしても自主練帰りの椿に出会った。
まずい。
意図せずに会ってしまった事でやたら心が揺らいでいる。
「お疲れ様です、す、すみません、どうぞ!!俺帰りますので!」
そういって俺の横を走り去ろうとしていた椿の腕をとっさに掴んでしまった。
まだ行くな、ここに居ろ。その一心だった。

「か、監督?」

椿は不思議そうに見上げて来る。
身長は大差無いはずなのに、上目使いに感じるような伺う視線がぐっと来た。
やばい、本当にヤバい。
このくそ暑い中動きまわったせいで、椿の額から流れた汗が鎖骨に落ちる様子に目を奪われる。
暗い中ならば分からなかっただろうに、街灯に照らされているせいで
椿の肌が桃色に染まっている事まで見えてしまう。
全てが目に毒だった、どくん、どくん、と勢い良く血が流れていくのが分かる。
ごくん、唾を飲み込んだ。
口の中はカラカラだ。
時間の経過と共に巨大化していく想いが仮面を突き破って外に出てしまう。

「監、督。」

熱に浮かれたような頭で、椿を見ると。
目を見開き、震えるように声を絞り出した。
ちくんと意識が棘を出す、ああ、これはデジャブだ。
どこかで俺はこの顔を見た。

たとえるなら、そう、「絶望」した表情。あの時の一瞬の違和感。
椿はこんな顔をしていたんじゃないだろうか?

「すみません、冷える前に汗流してきます!」

そう言って、手を振り払い今度こそ椿は俺の横を駆け抜けていった。
ああ、全て繋がった。
そういうことだったのか。

椿は気付いていたんだ、俺の思いに。
そして、目を閉じ遠回りに否と叫んだ。

そこまで考えた所でくらりと目が回った。
やばい、ここ数日碌に寝てなかったのが体に触ったのだろうか。
目の前が暗くなって足に力が入らなくなる。
そして達海は意識を手放した。




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