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 ハッピーバレンタイン?



「つーばーきくーん。」

子供が親に甘えるが如く、甘えた声で持田が椿を呼んだ。
言われた椿は「はい」とさし出された両手の平を見て首をかしげている。
持田はにこにこと、そして当然だといわんばかりに堂々としていて、椿が持田の望む事をわかってる筈だと態度で示していた。しかし、椿は分からない。とりあえず視線を天井にそらすことで持田から逃げてみた。

「えーと、その、なんですか?」
「何ですかとは何ですか、椿君。」

即座に言い返されてしまえば、椿に返す言葉は無い。
そもそも持田さんとは今会った所だし、なにか渡す約束をしてなければ、心当たりもない。
脈略なく手をさしだされたってどうすればいいのだろうか?
それなのに目の前の持田は、にこにことしながらもせかすように再度、手をさしだす。

「ないの?」
「はぁ・・。」
「え、ちょ、もしかして、ほんとにないの?」
「その、す、スイマセン!なんか約束してましたっけ?」

それを聞いた持田は大げさに頭を抱える仕草をしたかと思えば、ねーわー、などと呟いて壁にもたれかかる。なんだ、今日は何かあるんだろうか。と椿はもう少し考えて、閃いた。すぐさま視線を持田に戻し、口にする。

「今日誕生日ですか?持田さん。」
「ぶっぶー違いまーす。ってか、マジで椿君わかってないじゃん。」
「すいません。」
「今日は何の日?」
「ええと、バレンタインです。」
「ピンポン! そう、それだよ、椿君!!ないのチョコ?」
「え、だって俺男ですよ。貰う側じゃ・・、あ。」

ここでようやく、二人は理解した。
椿は持田が求めるものを、持田は椿が無縁だと思い込んでいる理由を。

日本ではバレンタインと言えば、チョコレートを送って愛を告白する日だと知られている。しかしそれは、女性が男性に、だ。椿は夜の営みとなれば、その、女性の立場になることがいつものお約束ではあるが。あくまでもそれはその時だけの事であり、別に女になりたい願望がある訳じゃない。女性目線になる事も無ければ、女心が分かる訳でもなく、結果、バレンタインと言われたって、椿が贈るなんて発想は無いのだ。

もちろん持田にとってもチョコは貰う日であり贈るなんて発想は無い。しかも、もらえると思い込んでただけにがっかりする気持ちは椿より上だ。しょうがない?それで済む筈がないのが持田である。出来る男は切り替えが早く、無いのなら用意すればいいだけ、と気付くとすぐに行動に移す事にした。

「コンビニ行こう。」

そう言いだすと持田はスニーカーに足を通し、椿の肘をひっぱって、外へと連れ出した。
唐突に話題が変わった事に椿は一瞬不思議そうな顔をしたが、それで機嫌がなおってくれるのならありがたい、と素直にしたがい後に続く。コンビニは持田が暮らすマンションから徒歩で五分とかからない所にあって、無言でいても椿が気まずいと思う時間すら無い。
そのことに感謝しつつも、大げさにふてくされていた持田がなぜ機嫌をよくしてるのか、なんだか嫌な予感がして背が震える。

今日は平日の昼間というだけあって、いつも賑やかな店内はひっそりと静まっていた。
今店内にいるのは、遅い昼食を買う青年と、雑誌を立ち読み読みしてる女性、大学生くらいのアルバイトがレジをしている、それが全てだ。

特に買いたいものが無い椿は上機嫌な持田の背に誘われるままついて行き、そして止まった先を見て、ぎょっと目を大きくした。大きな棚に作られた特殊スペース、そこに置かれているのは白いワゴンに映えるよう、可愛くラッピングされたチョコレートだ。その中のひとつに持田が手を伸ばす。

「見て見て、椿君美味しそうだねえ。」
「そうっスね。」

嫌な予感が椿の中で膨らみ続けている。

「ホテルのチョコって普通のとどうちがうんだろ、椿君貰った事ある?」
「えーと、多分無いッス。」
「ふーん。」

適当に相槌をうった持田の興味は直ぐに別の物に映った。その手が掴んだチョコの箱は、鮮やかな色彩で花やキャラクターがプリントされており、持田に似あわずとても可愛らしい。

「俺、これがいい。生チョコってうまいよね。」

相槌をうつ事すら、今の椿に出来そうに無い。
もはや、嫌な予感は確信に変わっていた。

「なにぼさっとしてんの?」

例えるなら、被告人席に立たされた罪人のような、もしくは、出来に自信の無いテストをいよいよ返却される学生のような、焦りと不安が胸のあたりに渦巻いて暴れている。そして、

「買ってきて?」

言われた。ついに、言われてしまった!
椿は冗談でしょと言いたいのを必死に喉の奥に詰め込むと持田の目をのぞこうとする。
無いとはわかりつつも、一抹の希望に賭けたいのだ。これがジョークだと、笑って流せる恋人からのちょっとした甘言だと信じたいのだ。

椿だって男だ、プライドがある。
こんな日にプレゼント用に包まれた可愛らしいチョコなんて買おうものなら、周囲の人にもてないのを偽装するくだらない男だと思われそうで心底嫌なのだ。
誤解であっても、自分の良心と、僅かながらにある意地が邪魔をする。それは出来そうに無い。

「・・それは、ちょっと勘弁してくれません、か?」
「やだ。」

ばっさりである、持田は笑顔で言い切った。瞳だけ物騒に輝かせて。
椿の背に恐怖という新しい感情が乗りかかる。初めて持田と対戦した時に感じた重圧と思い出が鮮やかに蘇った。トラウマ、と言っていいかもしれない。

「チョコ意外で・・」
「これがいい。」

すがるような気持ちで妥協を求めてはみたものの叶えられそうにない。

「あの、これも美味しそうですよ、飾り気はないけど味で勝負って感じしません?」
「しない。」

椿の中のわずかな自尊心は恐怖と焦りによってすりつぶされそうになっていた。
もう、チョコを買って渡すのは避けられない運命なのかもしれない、ならば、せめてもう少しだけでも、恥ずかしく無い物を選びたい。そう思ってこげ茶色の包装紙に包まれた地味なチョコレートを選択したが、またしてもばっさり希望は切り捨てられた。ならば、別のシンプルな奴を・・・、そう思った椿が隣の箱を取ろうとして、その手は持田に奪われた。

そして手に乗せられる花柄の箱、蹴られるふくらはぎ。ついでに背中を押されて衝撃でレジへと突き飛ばされる。目の前には可愛らしい女子大生アルバイト。彼女は一瞬驚いて身を竦ましたものの、直ぐに真顔に戻り、お預かりしますと椿から商品を受け取る。そして、

妙な間が生まれた。

いつの間にか増えた客から注がれる生温かい視線と憐れみに、椿は泣きだしたくなりながら、来年はチョコ用意しようと胸に誓った。持田はゲラゲラ声に出して笑っている。
ここまでされておきながら、来年も持田の恋人でいる事を疑わない椿におかしいとつっこむ者はここにはいなかった。それが、幸せか不幸か、知る者はいない。




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