世界でひとり、宇宙でふたり


兄弟たちが道の先を進んでいく背中を見送ってから、少年はゆっくりと後ろに向き直った。
――敵は八人。これから少年を嬲り殺しにする光景でも想像しているのか、揃いも揃って下卑た笑みを浮かべている。それはまさしく残虐な殺戮や戦争を司る軍神アーレスに従う者の醜い姿だった。

「残ったのはお前一人か」
「仲間を先に行かせるために留まるとは馬鹿なガキだ。あいつらと行っていれば、仲間と一緒に仲良く死体になれたものを」
「高潔そうな目をしてやがる。これはいたぶり甲斐がありそうだ」

耳障りな声で男たちが嘲笑う。だがそんな言葉にも少年は心を乱されなかった。静かに眼前の敵を見据えている。
背後には切り裂かれた大地。逃げるすべはない。

だが、不思議と凪いだ心の中で、少年は懐かしい感覚に襲われた。
……ああ、この状況は『あの時』によく似ている。命の駆け引きを行った過去の出来事を、今では何もかも愛おしく感じた。あの時は自分よりも遥かに強大な力を持つ相手に対し、命を捨てる覚悟だった。だが今は違う。少年の心は、必ず生き延びるという決意に満ちていた。たとえ敵が何人来ようとも、まったくといっていいほど負ける気はしなかった。

「八人相手に戦うつもりか?たかが青銅聖闘士の分際で」
その言葉に、少年は初めて言葉を放った。

「……纏う闘衣は関係ない」

たとえ闘衣が闇に染まろうと、アテナの聖闘士としての気高さが失われない限り、その魂はいつだって黄金の輝きを放つのだ。
闇色の闘衣を身に纏いながらも、最期までアテナの聖闘士としての誇りを胸に逝った人達が、そのことを教えてくれた。心の強さこそが真の力になりうることを教えてくれたのは師だった。

彼等の生き様は、その命の燃焼を以って、数え切れないほどの教えを少年に与えてくれた。彼等の欠片は、こんなにも深く刻まれ、今もこうして心の中に残っている。

戦うと決めた。守ると決めた。
命を託してくれた彼等の代わりに、彼等が守ろうとしたこの美しい世界を。

「だが、たったひとりで何が出来る?」
命の尊さを知らぬ者共には、少年の言葉は理解できないようだった。そうだそうだと周りの仲間が囃し立てる。
男たちは、八対一という戦力差に慢心していた。ただ単純に、数の多いほうが強いと過信している。実際は人数など何の意味も無いというのに。一人の人間が内に秘める力の強さを知らないのだ。

「俺はひとりなどではない」

ゆらり、と少年の背後に翠の小宇宙が立ち上った。その小宇宙の強大さに敵は息を呑んだ。神でもない、ただの人である少年がこれほどの小宇宙を放つのを初めて見たからだった。

驚愕の表情が男たちに伝染していく。驚きはやがて畏れに変わった。しかし、己の内に生じた畏れを認めることを良しとしない彼等は、とうとう力による行動に出る。
まだ今なら間に合う、こちらは八人だ、青銅聖闘士一人に負けるはずはない、殺せ、殺せ、殺せ!
――追い詰められた人間の末路だ。圧倒的な力を前に敵うはずはないと分かっていながら、争いの本能が身についてしまった者は「殺す」ことだけを考える。

少年は、大切なことを見落としてしまっている敵を哀れにすら思った。このままでは、おそらくこの者たちには一生理解できまい。幾多の生と死を見届け、その想いを受け継いできた者にしか得られぬものが少年にはある。

ゆっくりとした動作で少年は右腕を構えた。
絆を知らぬ者たちを救済するには、その身を以って絆の強さを刻みつける以外に道はない。
がむしゃらに向かってくる敵を見据え、少年は厳然と言い放った。

「そう、俺はひとりなどではない。アテナの聖闘士は今ここに――『ふたり』いる!」

一閃。

瞬時に爆発した小宇宙はただ一太刀に込められた。少年が右腕を振り上げると大地が裂け、敵は悲鳴を上げる間すら与えられずにその衝撃波によって倒れていた。

聖剣エクスカリバー。
少年の右腕に宿る聖剣は、長年のたゆまぬ努力によって極限まで鍛え上げられ、少年にそれを託したかの者がかつて放っていた鋭さを受け継いでいた。今や何物も並び立たぬ、唯一無二の刃。その鋭さは美しさすら内包していた。

鮮烈な刃は、男たちの血塗られて淀んだ魂をも、その穢れごと断ち切ることで浄化した。
少年は今、何よりも強い。

倒れ付した敵は、急激に霞んでいく視界の中で目撃した。
翠の小宇宙を放つ少年の右隣に、まるで少年を守護するかのように、黄金色の小宇宙を纏った男の幻影が佇んでいるのを。

――ああ、確かに『ふたり』だ。

ひどく穏やかな感嘆と共に、彼らはそこでやっと絆の存在を理解した。



(黄金は常に翠と共に在る)





2009/11/22


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