テンペストキャッツアイ


俺は本を読むのが苦手だ。長編小説なんていうのは大敵で、半分まで読んでも終わりが見えなかったりすると大概途中で投げ出してしまう。300ページ以上ある本を最後まで読み切れた試しがない。飽きやすい性格なのは自覚しているが、こうも読書と相性が悪いとは。だが雑誌なら話は別だ。写真という視覚的な手助けがあるだけでかなり違うんだなと思う。
ゆえに俺が本屋に行く理由はただひとつ。雑誌の立ち読みだ。正直、最近の雑誌の高騰ぶりには辟易していた。あんな無駄に高いものをわざわざ買うくらいなら立ち読みで済ませたほうがマシだろう。

そんなわけでいつものように立ち読み目的で本屋へ向かったのだが、目当ての雑誌をあらかた読み終えて店内をぶらぶらしていたら思いがけない人物を目撃してしまった。
――なんでこんな場所にいやがるんだ、あいつ。
思わず悪態をついてしまったのは、過去にその人物によって辛酸を舐めた経験があるからだ。そう、そこにいたのはナントカ星ナントカのラダマンティスだった。名前の前につく肩書きは忘れたし覚える気にもならん。
俺と奴は敵対関係にあるわけでもなくかといって特別親しいわけでもないのだが、姿を見つけるや否や俺は咄嗟に本棚の陰に隠れてしまった。本能が、何か面白いことが起こりそうな予感に反応したのだ。

本棚から顔だけを僅かに出してラダマンティスを窺う。奴はそわそわと落ち着かない様子で本棚の周りを行ったり来たり、時々立ち止まって本の背表紙を凝視し再び歩き出す。一体何がしたいんだ?
しかも奴が徘徊している辺りはペットに関する書籍が集められたコーナーだった。先ほど凝視していたらしい本も、ペットの飼い方について書かれたものだったような気がする。パステルカラーの可愛らしい表紙の本に囲まれた繋がり眉毛のいかつい男というのはなかなかに滑稽だ。ここが本屋じゃなかったら確実に爆笑していた。現に今も無意識のうちにだったがニヤニヤ笑いが顔に出ていた。うん、これは良いネタを見つけたぞ。

奴は物凄く真剣な顔で本を2冊ほど手に取り、じっくり見比べている。パラパラと軽く中身を読んでは「ほう」とか「なるほどな」とか頷きながら独り言を漏らすのだが、あいつは自分がどこからどう見ても不審者だいう自覚はないんだろうか。少し離れた場所で、幼い少女とその母親らしき女が「ねーおかあさん、あの男のひと、すっごくこわい顔でにゃんこの本よんでるよー」「しっ!見ちゃいけません!」という会話をしているのにも気付いていないようだ。

このまま観察するのも良かったが、あんな男がペットコーナーの周りでうろついていたら本屋もいい迷惑だろう。俺は小宇宙を絶って奴の背後へと忍び寄った。
「ようラダマンティス。お前ペットなんて飼ってたのか?」
ぽん、と優しく優しく肩を叩いてやったつもりだったのだが、案の定ラダマンティスは野太い悲鳴を上げて飛び上がった。しかしすぐにここが本屋だということを思い出したようで口元を手で塞ぎ小声で俺に突っかかってきた。
「い……っいきなり何をするのだ貴様……!」
「何をするも何も、見知った顔が本屋のペットコーナーで挙動不審な行動に出てるのを見かけたから声をかけてやっただけだろ」
「見知った……?」
ラダマンティスは俺の顔を数秒間凝視し、それから納得したように「ああ」と声を上げた。
「カノンとよくつるんでいる蠍座のミロか」
お前はカノンを基準にしてしか物事を考えられないのかよ。思わず脱力した。まぁこれは仕方ないだろう。ラダマンティスが聖戦の折に運命の一目惚れをして以来、双子座のカノンにご執心というのは有名な話だ。今更そのことにツッコミを入れてもあまり意味はない。

「で、何なんだよそれ。……『子猫の気持ちが分かる本』『正しいにゃんこのしつけ方』……ははあ、お前のペットは猫だな」
奴が大事そうに抱えている本のタイトルを読み上げてやる。表紙を飾る愛くるしい子猫が、つぶらな瞳で俺を見つめている。こういう小さくて可愛い猫を飼うのが仮にアテナだったとしたらまだ分かる。あの御方は威厳に満ち溢れてはいてもまだ少女だから十分許容範囲だ。しかしこの繋がり眉毛に小動物を愛でる趣味があると思うと愉快で仕方がない。世も末だな。
「……待て、俺は猫を『飼っている』わけではないぞ。どちらかというと『同居』だ」
「猫と同居?……それが『飼う』ってことなんじゃないのか?」
おかしなことを言う男だなこいつは。俺は首をかしげる。どうしてそう言葉の選択にこだわる必要があるのかさっぱり理解できない。猫は猫だろ。
するとラダマンティスは途端に凄い剣幕で叫んだ。

「カノンは猫であって猫ではないッ!それに俺はカノンを飼い慣らそうなどと考えているわけではないからな!」

俺は今度こそ目が点になった。猫の話をしているところに何故カノンの名が出るんだ?しかも『飼い慣らす』だって?カノンを?……わけが分からん。
それ以上のことを俺に問われるのを恐れたのか、奴は本を抱えたまま矢のごとくレジカウンターへと向かい、会計を済ませるとすぐさま逃げるようにして本屋を出て行ってしまった。なんかすっげー顔真っ赤にしてた気がするんだが気のせいか?あっけにとられて物も言えない。結局、さっきの発言の意味は分からずじまいだった。
――考えられる可能性としては。

1. 猫に関するマニュアル本を読むことでカノンの性格を把握し、手懐けようとした(カノンは動物に喩えるなら間違いなくネコ科だ)
2. 飼い猫に「カノン」と名付けている(カノンにべた惚れのラダマンティスが考えそうなことだな)
3. まさかのまさかで本当にカノンが猫になってしまった(アテナの気まぐれなら、あるいは)
4. まさかのまさかのまさかで、カノンに猫耳と尻尾がついた(アキハバラじゃあるまいし……)

どれも推測の域を出ないが、「ありえないことはありえない」のがこの世界だ。小宇宙さえあればどんなに不可能と思われることであっても奇跡を起こして現実にしてしまう。アテナほどのレベルになるとネコ化だのネコミミだのはお手の物だろう。あの御方は暇つぶしのための労力を惜しまないからな。可能性は充分ありうる。しかし28歳男で俺の友人でもあるカノンにネコミミが生えるとなると、言いようのない寒気に襲われる。軽くホラーだ。
何にしても、俺は確実にラダマンティスの弱みを握った。もし仮定の3か4であったなら、それに加えてカノンをイジるネタにもなる。ああ素晴らしい、おかげで笑いが止まらないではないか。
格好のターゲットを見つけた俺は、この本屋でラダマンティスと遭遇できた偶然に歓喜し、これからどうしてやろうかと今後の展開に胸を躍らせたのだった。



(さて、波乱の幕開けってやつかな)





2010/02/11


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