ハッピーハッピーバースデー!1


所は海界、海底神殿内部。海将軍たちが憩いの場として利用する広いリビングルームでの出来事だった。その場にいたのはテティス、イオ、アイザックの3人。アイザックは雑誌をめくり、イオは携帯ゲーム機に熱中し、テティスは彼等に出す紅茶の準備をしていた。
海将軍にはそれぞれ自室が与えられているのだが、こちらのリビングルームの方が広くてくつろぎやすいということで、皆は自然とここに集まってくるのだった。
他の暇な海将軍たちは、見回りをしたり自室に篭ったりしている。大きな出来事がない限り、海底神殿での日常はいつもこのように流れていく。そもそも海底神殿へやってくる外部の人間が皆無なのだから、暇なのは当たり前だ。
イオがその日4回目の欠伸を噛み殺した時、事件は起こったのだった。

「あんの愚兄が!!」

すさまじい轟音とともに、彼ら海将軍の筆頭・海龍のカノンが地上から帰ってきた。
鱗衣を纏った彼は、いつになく怒り狂っていた。烈火のごとくという表現が一番しっくりくる。
「あいつは――ちっとも――分かっちゃいない――!」
距離はだいぶ離れているはずなのに容赦なく響いてくるカノンの怒号に、テティスは思わず身をすくめた。
はらはらしながら立ち往生していると、1分もしないうちに、当のカノンがリビングルームの扉を蹴破らん勢いで入ってきた。

いつものカノンは雄大な海色の小宇宙を放っているのに、今日ばかりは火花でも散らしそうなくらいに荒々しい。
カノンの姿を見とめるなり、アイザックの目つきが鋭くなった。ソファでごろ寝をしていたイオも上体を上げる。
彼の怒りが、その場にいる全員を緊張させていた。
そんな皆の姿も見えていないようで、カノンはソファに勢いよく腰掛けると、その勢いのままテーブルに長い脚を乗せ、蹴りを一発。

「一人でべらべらとまくし立てて――バカ兄め!」

ドン、と派手な音を立てて、木製の華奢なテーブルが真っ二つに割れた。有り余る力を抑えようとしないせいでこの有様だ。テーブルの上に置かれていたティーセットも粉々に砕けていた。
このまま彼の怒りに任せていると、後々とんでもないことになる。これ以上物に八つ当たりされたのでは、家具すべてが犠牲になりかねない。
カノンの蛮行を止めるためアイザックが立ち上がろうとした時、凛とした声が部屋に響いた。

「お黙りなさいカノン、バカなのはあなたの方です」
たった今カノンが入ってきた扉の前に立つ人物。海魔女のソレントだった。
今まで自室で楽器の手入れをしていて、急に現れたカノンの異様な様子に反応して急遽こちらへとやって来たのだろう、彼の手にはフルートが握られていた。
アイザックはソレントの登場に安堵した。自分だけでは、怒れるカノンを止める自信はなかったのだ。
「……どういうことですか、これは。辺り構わず八つ当たりして、テティスがせっかく用意してくれた紅茶を台無しにするとは……説明してもらいますよ」
つかつかと歩み寄り、ソファに座るカノンを見下ろす。
カノンはソレントをねめつけて、憮然とした表情でフンと鼻を鳴らした。どうやら答える気はないらしい。
しばらくの間、無言の睨み合いが続く。とてもじゃないが割って入れるような雰囲気ではなかった。
テティスは胸を押さえながら行く末を見守り、イオはゲーム機を握り締め、アイザックは背中に流れる冷や汗を感じていた。

短いようでいて途方もなく長い沈黙。空気だけが時間に比例して重くなっていく。
重苦しい空気に耐え切れず叫びだしそうになるのをイオが必死に堪えていると。
先ほどカノンが乱入し、ソレントが現れたのと同じ扉から、今度はまた新たな帰還者が顔を出したのだった。
「すまない!海龍を止めようとしたんだが、予想以上に足が速くて追いつけなかった……って、あれ?」
全速力で走ってきたらしく肩で息をしながら、彼――海馬バイアンは、周囲の重い空気を打ち壊したのだった。





「あんの愚弟が!!」

教皇の間の執務室に、呪いのような鋭い声が響いた。
「人の気も知らずに奴は――!」
美貌の口から吐き出される、怒りに任せた罵詈雑言。滅多に見ない彼の様子に、アイオロスはやれやれと肩をすくめた。
「どうしたんだサガ、納得のいかない報告書でもあったのか?」
「そうではない……カノンだ!」
返答にすら怒気が篭っている。そのくせ彼――サガの目はきちんと書類の文書を読んでいるし、手は寸分の狂いもなく定位置に判子を押している。乱暴なのは口だけで、頭と手はしっかり執務のほうに向いているのがサガらしいといえばそうなのか。
サガとアイオロスは執務室に押し込められているのだが、アイオロスはもう既に飽きて休憩中だ。サガだけがさっきから仕事に励んでいる。
「また兄弟喧嘩か。カノンが気がかりなのはよく分かる、でもそろそろ弟離れしないと」
「そういう問題ではないと言っている!」
なだめようとするアイオロスの言葉も、サガは耳に入れようとしなかった。

サガが更に愚痴を言おうとしたところで、執務室の扉が開いた。2人は揃って扉を注視する。そこにはシュラが、書類の束を持って立っていた。
「取り込み中すまないが……こちらで処理した報告書だ。確認してもらいたい」
シュラは明らかに疲れた顔をしていた。不慣れなデスクワークがよほどこたえたのだろう。その上、今日は三界代表会談が聖域主催で行われたため、その準備などもあって休む時間がなかった。

地上・海界・冥界の三界は聖戦後、和平条約を結ぶことで和解した。その後も定期的に三界の代表が集まって話し合いを行っている。
条約締結に最も奔走したのは、聖域と海界どちらにも属し、冥界三巨頭の一人とも繋がりの深いカノンだった。カノンの三界それぞれに対する影響力は大きく、代表会談の際には海界筆頭として毎回出席している。

「会談の後、カノンとすさまじい言い争いをしていたようだったが……何かあったのか?」
サガの機嫌を損ねないようにと、慎重に言葉を選んで尋ねた。
今回たまたま会談に顔を出していたシュラは、会談が終わった直後にサガがカノンを呼びつけて別室へと連れて行ったのを目撃した。あの時に止めていれば、状況はいくらかましになっていたかもしれない――だがもう遅かった。シュラがその現場を目撃してから数分後、カノンが猛烈な勢いで怒りの小宇宙を撒き散らしながら聖域を出て行ったのだ。シュラが思わずたじろいでしまった程の怒り。おそらくその原因はサガとの会話にあるのだろうと推測するのは容易だった。

シュラの視線を受けたサガは、書類に判を押す手を止めて腕を組み、椅子の背にもたれる。
「……カノンに問いただしたのだ。おまえは聖域と海界、一体どちら側の人間なのか、と」
アイオロスとシュラは同時に目を見開いた。
「カノンは『そんなことは俺の勝手だろう』と言って、まったく取り合わなかった」
「それは……、」

いつかは答えを出さなくてはならないと分かっていながらも、ずっと先延ばしにしていた問題。今までは誰も問い詰めようとしなかっただけだ。
聖域、海界、そしてカノン。この3つの要素がバランスを保つ解決策をそう簡単に思いつけるほど、事態は単純ではなかった。アテナとポセイドン、どちらを『我が神』と仰ぐのか。カノンが双子座を返上し海龍になることを、アテナは大らかに受け入れた。だが、海龍として覚醒する以前から、カノンには双子座としての役割が課せられていたのだ。生まれ落ちた瞬間から決められていた運命を後になって変えることなど、本当にできるのだろうか。神であっても、運命には逆らえないというのに。
……非常に微妙な問題だった。ともすれば、カノンを巡って聖域と海界が決裂しかねない。この双子は、たかが兄弟喧嘩で世界を動かせてしまうのだから。





あの騒ぎの後、カノンはソレントの説教を受ける前に、不機嫌なまま自室へ篭ってしまった。
カノンによって壊れされたテーブルやら何やらの片付けを済ませ、海将軍たちは緊急会議を開くことにした。神殿の外へ出ていたクリシュナとカーサは、大急ぎでテティスが引っ張ってきた。カノンが海界に戻ってきた時の騒ぎは当然2人の耳にも入っている。会議に参加中のメンバーは、カノンを除く海将軍6人と人魚姫のテティス。海皇は現在お昼寝中だ。海界の幹部が肩を寄せ合いながら、内密に話し合う。

「……まず話を整理しましょう。カノンは今日、バイアンと共に聖域に行っていた。……これは確かですね?」
今回の進行役を務めるのはソレントだ。ほかの海将軍ではすぐに話が脱線するし、唯一まともに進行ができそうなクリシュナもその実、人の話を聞いてばかりで議事をまとめようという意志が弱い。かくいうソレントも自分以外に任せてはおけない性格なので、自然と進行役は定まっていた。

「そっか、今日は代表会談の日だったんだっけ」
イオが思い出したように頷いた。
カノン一人だけでは彼の負担が大きいということで、代表会談の際には必ず海将軍の誰かが付き添いをするように決めていた。しかし海将軍の皆は会談などという堅苦しい場には慣れていないため、毎回ローテーションで付添い人を選んでいる。そして今回、輪をかけて不運な役目を負ってしまったのがバイアンだ。
彼は、見聞きした情報を皆に話し始めた。

「……俺はカノンと一緒に会談に臨んだ。海界代表といったって俺はおまけみたいなものだから、喋るのはカノンばかりだった。会談自体はいつもどおり普通に進んでたんだが……」
「普通じゃないのが、いたんだな?」
カーサがおもしろそうに唇を歪める。
「そうだ。……なんて言ったっけ、カノンと顔がそっくりな奴」
「双子座のサガだ」
他の海将軍よりも聖域の事情に詳しいアイザックが助言した。
「そう、そいつが、聖域側の席からこっちのほうをずっと睨んでるわけ。なんなんだと思ってたら、そのサガって男、カノンしか見てなかったんだ。隣にいる俺なんて眼中にないって感じで」
「おまえ、影薄いもんな!」
「イオ、お前は黙っとけ!」
影が薄いことを地味に気にしていたバイアンは、イオの無邪気な突っ込みに少しばかり傷つく。こうやってよけいな茶々が入るから、なかなか話が進まない。ソレントがイオとバイアンを一睨みすると、2人は揃って肩をすくめた。

「あのジェミニとカノンが双子だってことは知ってたから、最初は弟が懐かしいのかなーぐらいにしか思わなかった。……でも違う。あいつのあの目、それはもう愛憎渦巻いてて、弟に向けるような視線じゃなかった」
クリシュナが居心地悪そうにみじろいだ。
「会談が終わってから、ジェミニはカノンを呼びつけてた。別の部屋に連れて行ったみたいで、2人がどういう会話をしたのかは分からない。でもその後、カノンがものすごい形相で部屋から出てきて、何も言わずに全速力で聖域を飛び出したんだ。俺は慌てて追いかけたんだが……」
「おまえ、足速くないしヘタレだもんな!」
「だから黙れってイオ!……とりあえず、俺が知ってるのはここまで」
後は皆も知っている通り、怒り狂ったまま帰還したカノンの八つ当たりというわけだ。
ようやく一連の繋がりが見えたので、皆はため息をついた。

「つまり、兄弟喧嘩ということでよろしいのでしょうか……?」
テティスが眉を寄せながら言うと、カーサは首を横に振った。
「もしかしたら、痴情のもつれなんてこともあるかもしれないぜ」
「いや……さすがにそれは、」
クリシュナはカーサの言葉を否定しようとしたが、言いかけて止まった。
どうも釈然としないのは、「あのカノンならやりかねない」という考えが皆の中にあるからだ。
「まさか、な」
アイザックも、どこか疑問を持った声。その場にいた全員、微妙な面持ちだった。

「……とにかく。こうやって黙っていたところで何も始まりません。まず第一に優先されるのは、相互の理解に他ならないでしょう。きっとあのバカは、ろくな話し合いもせずに独りで勝手にキレて勝手に拗ねてるに違いないんですから」
沈黙を破ったのはやはりソレントだった。
カノンが荒れている理由が、聖域にいる彼の兄だと分かった以上、行動を起こさないわけにはいかない。
「なんとかして2人を会わせなければ。とりあえず、私が聖域に殴りこみ……もとい、話をつけに行きます。アイザック、あなた聖域には多少顔が利くのでしょう。付いてきてください」
「ああ」
有無を言わせずだ。ソレントの言葉には、従わなければならないと思わせるような強さがあった。
「カノンの説得はテティスに任せます。あの人はテティスに甘いところがありますから――それと、カノンの八つ当たりからテティスを守る要員としてバイアンも。余計なことは言わないでよろしい」
「わかりました、海魔女様」
「了解したけど……余計なことってなんだ、余計なことって」
文句をつけようとするバイアンを目だけで制し、ソレントは続ける。
「残りの3人――クリシュナ、カーサ、イオには特別な仕事をしてもらいます。これについてはまた後で」

海将軍たちとテティスは、心持ちを新たに、それぞれの役割を負って動き出す。
「この問題、今日中に片をつけるぞ。……絶対にだ」
クリシュナの言葉に、皆が頷いた。

――そう、我等のカノンの為に。


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