ふたたび まみえた ひと


風が頬を撫でていた。未だ光を失ったままの眼は、夕焼けの光を受け取ることもできず闇を見つめるだけだ。
無人の磨羯宮。紫龍は石段に腰掛け、『彼』の手紙を胸に抱いていた。この状態で何時間じっとしていたか分からない。気が付いたら夕方になっていた。周囲の気温が低くなったことで時間の流れを察することができた。だが、夜になってもここを動こうとは思わなかった。
星矢や瞬の元へ行けば、いつでも温かく迎えてくれるだろう。しかしそれは、仮初めの居場所に過ぎない。結局のところ、自分にはここしか居場所がないのだ。『彼』との記憶が残るこの場所にしか。

心が『彼』を求めていた。どうしようもなく、あの大きな腕に抱きしめられることを欲していた。
叶わぬ願いだと頭では分かっている。無意味な期待を持ち続けるのは虚しいだけだ。なのに身体は、一度あの心地よさを知ってしまった心は、不可能なのを知っていてもなお求め続けていた。

白紙の遺書が乾いた音を立てた。何度、この手紙を捨ててしまおうと思ったことだろう。一言として文字の書かれていない手紙。力を込め破ろうとして、『彼』を忘れようとして、そのたびに心は泣いた。……忘れられるわけがない。忘れられる、わけが。
手紙は紫龍の腕の中に在る。大切に大切に、まるで命よりも重いもののように抱いた。手紙が『彼』の代わりになるはずもなく、むしろ以前よりも遠く感じた。形あるものは何一つ残さなかった『彼』の真意が分からずに。

「――シュラ、」

会いたい。会いたい。会いたい。
『彼』は自分にすべてを授けたと言っていた。聖剣も、正義の心も、すべて。けれども、足りない。自分はそれ以上を望んでいる。『彼』を感じたかった。戦いの中でだけでなく、平和な日常の一部の中で。心でだけでなく、身体で。直接姿を見て、低く優しい声を聞いて、鋭い眼差しを受け止めて、その骨ばった手に触れて、身体中に流れる血のあたたかすらも感じて。自分にとって『すべて』とは、触れ合って初めて分かる感覚だった。子どもじみた考えでも構わない。ただ、感じたかった。その存在を。失われた熱を。
会いたい。会いたい。会いたい。

「……あいたい」

決して言葉にすることのなかった想いが、溢れ出す。

「あいたい」
「あいたい、シュラ」
「あなたに、あいたい」
「あなたを、かんじたい」
「あなたに、だきしめられたい」
「あなたとともに、いきたい」
「シュラ」
「シュラ」
「いますぐ、あいにきてほしい」
「シュラ」
「…………シュラ、」


(たとえばそれが まぼろしでも いいから)


――その時だった。
ひときわ大きな小宇宙が弾け、聖域全体を広く覆い尽すのを感じたのは。
やがて、泣きたくなるほど懐かしくあたたかい小宇宙が流れ込んできた。まさかという驚きよりも確信が先立った。この感覚を、自分は知っている。幾度となく求めたひとのそれだった。間違えるわけがない。
つう、と熱い雫が頬を濡らした。涙の流し方など、忘れたと思っていたのに。『彼』が消えてしまってから、ずっと忘れていた涙だった。とめどなく流れる涙は、あのひとの帰りを待ち続けて。

「紫龍」

声がする。あのひとの声がする。見えない目はその姿を捉えられない。
どうして。無意識のうちに小さく呟いていた。聞こえないはずの声は、けれどあのひとに届いたらしい。
やさしいやさしいバリトンが、そっと耳朶に触れた。

「おまえが、あんまり泣くから」



(どうか今だけは、刹那きりの幸せを)





2009/01/03


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