何気ない一言だからこそ


※作曲家コースのさっちゃんとアイドルコースのトキヤさんがペアを組む世界線の話


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「これ、書いてこいだとさ」

 
そう言って、砂月は一枚の紙を机の上に置いた。無造作に。置き方ひとつ取っても関心のなさが露骨に表れている。
向かいの席で課題に取り組んでいたトキヤは、仕方なしに手を止めた。砂月の言葉を無視することもできたが、その選択をすることで起こる揉め事の方が面倒だったからだ。ひとつ溜息をついて、置かれた紙を手に取る。

「なんですかこれは──報告書?」
「パートナーが正式に決まった奴はその紙を書いて出す決まりだそうだ」

紙には「アイドルコース生徒氏名」「作曲家コース生徒氏名」と印字されており、その下に空欄がある。ここに名前を書けということらしい。
「作曲家コース生徒氏名」の欄には既に砂月の名前が書かれていた。自筆だ。その粗暴な振る舞いとは打って変わって、砂月の筆跡は少し丸みを帯びていて柔らかい。こういうところは兄の那月に似ている。
案外かわいい字を書くんですね、などと言えば逆鱗に触れることは分かり切っているから、トキヤは微笑みそうになるのを堪えた。

「……なんか文句でもあんのか」
 トキヤの表情が緩んだのを察知したのか、砂月が眉根を寄せる。
「いえ別に」
「ならさっさと書け」

砂月とトキヤは紆余曲折を経て、卒業オーディションに向けペアを組むことになった。
出会いは最悪、小競り合いのような喧嘩を起こすことはしょっちゅうで、互いをパートナーとして認めるまでにはそれこそ二週間ほど一切口をきかない期間もあったほどだが、今はこうして収まるところに収まっている。

トキヤは「アイドルコース生徒氏名」と書かれた欄に視線を注いだ。ここに名前を書けば、もう後には戻れない。自分はHAYATOとしてではなく、「一ノ瀬トキヤ」として、砂月と共に卒業オーディションを目指すのだ。
トキヤは短くなったシャープペンシルの芯を繰り出し、決意も新たに「一ノ瀬トキヤ」と書いた。迷いはなかった。
どうぞ、と砂月に紙を差し出すと、砂月は面食らったように瞬きを繰り返した。さっさと書けとは言ったものの、慎重派のトキヤはもう少し逡巡するものだと思っていたのだろう。

砂月は渡された紙をじっと見つめた。「四ノ宮砂月」の横に書かれた「一ノ瀬トキヤ」という名前。まるで最初からそうであることが当たり前かのように二つの名前が並んでいる。

「…………」
「急に黙ってどうしました?変なところでもありましたか」
「いや──なんかこれ、婚姻届みたいだな」
「はあ!?」

突拍子もない単語を耳にして、トキヤは思わず裏返った声を出してしまった。その拍子に握っていたシャープペンシルの芯が盛大にボキリと折れた。ノートに小さな穴が空く。それを見た砂月が怪訝な顔で言った。

「おい、物は大事に使えよ」
「だっ……誰のせいだと思ってるんですか……!」

トキヤは咄嗟に砂月から顔を背けた。自分の顔が赤くなっていることを自覚する。ポーカーフェイスを繕えない。
先ほどの「婚姻届」発言も、砂月はただ率直な感想を口に出しただけらしい。二人のフルネームが横に並ぶ様子が、たまたま婚姻届のように見えたから。それだけだ。何も他意はない。

砂月が婚姻届の存在を知っているのはまだ良い、婚姻届の書き方を理解しているという事実も意外ではあるが受け入れよう。だが、よりによって砂月とトキヤの名前が横並びになっているのを見て婚姻届をイメージするというのが信じられなかった。
何をどうしたらそんな連想ゲームになるんですか、というか、これでは反応しすぎている私の方が馬鹿みたいじゃないですか──脳内では次から次へと文句が溢れ出てくる。だが、その文句を口に出して言ったが最後、嫌になるほど砂月に弄り倒される未来は目に見えている。まだ砂月がトキヤの動揺に気付いていないうちにこの場をどうにか切り抜けねばならない。

「……やっぱりそれ、返してください」

紙を奪い取ろうとして手を伸ばすが、砂月は紙を持った手を高く上げてそれを阻止した。7センチメートルの身長差と腕のリーチ差は今この状況において圧倒的だった。

「なんでお前に返さなきゃなんねえんだよ。今更ペア組むのに怖気付いたとは言わせねえぞ」
「そういう話ではなくてですね……!」
「じゃあどういう話だよ」
「それは言えません!!」
「めんどくせえ奴だな!」
「面倒臭くて結構!」

しょうもない言い合いを繰り返しながら、名前の書かれた紙を巡って二人はじりじりと攻防戦を続ける。婚姻届でもなんでもない、たった一枚の紙のために。





2020/01/26


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