もういちど恋をしよう。 3


あの性格では生きにくいだろうと思った。実際、表面だけしか見ていない者達から謂れのない誤解を受けたり、距離を置かれたりしている場面を見たことがある。それでもあいつは背筋を真っ直ぐに伸ばして前を向いていた。その背中はいつだって凛としていたが、時折寂しそうな影を背負っていることもあった。
声を掛けようかと何度も思った。だが、影の中で生きる自分が何か言ったところで、あいつを光の中へ連れていけるわけがない。
あいつは本来光の中で生きる人間だ。そして、あいつを影から連れ出すのは俺じゃない。俺であってはならない。きっと別の誰かが――あいつと同じように光の中で生きている誰かが、その役割を果たすべきだ。

俺は、伸ばしかけた手をそっと下ろした。
そして予想通り、あいつは光の中へと戻っていった。眩しい光を放つ奴等に手を引かれて。そしてあいつ自身もまた自らの光で輝くようになった。
これでよかったんだ。すべてが俺の思い通りだ。あいつに必要なのは、影の中で慣れ合う存在ではなく、競いながらも共に輝き合う存在だった。

俺はついぞ想いを伝えることはなかった。ましてや好きだなどと言うわけもない。
激しい拒絶もない代わりに、心の奥まで受け入れられることもなかった。まともに会話をした記憶すら曖昧なのだから当たり前だ。
だからきっぱりと断ち切ることもできず、かといって長い時間をかけて諦めることもできないまま、今日までずるずると引きずり続けてきた。俺がこんな淀みを抱えているということは誰も知らない。うわべだけの平穏を取り繕うのは得意だった。

街中であいつに出会った時、思ったよりも動揺しなかった自分に対して逆に驚いた。冷めているわけじゃない。ただ、昔のような昂りを忘れただけだった。
目を閉じれば容易にあいつの顔を思い出せていたはずだったのに、目の前に現れたあいつは俺の想像とは随分違う顔をしていた。瞬きをするごとに脳内と現実のあいつが交互に入れ替わる。ここまで乖離を生じるほど、あいつの中にも歳月は過ぎていたのだと思い知らされた。

この先に踏み込むべきではない。咄嗟にそう思った。
足早に去ることを決める。未練を残す前に。あいつに淀みを掬い上げられる前に。俺は俺なりに必死だった。目立つほどの動揺はないが、じりじりと胸に迫る焦りは感じていた。数年の歳月をかけて撹拌してきた淀みを隠さなければ。
だが、途切れようとする俺達の糸を繋ぎ止めたのは意外にもあいつの方だった。

『よかったら、これから私の家で食事でも』

何故。そう思うより先に、まるで反射のように頷いていた。もしかしたら俺はずっとその一言を待っていたのかもしれない。自分からはどうしても歩み寄ることはできないから、どうかお前が糸を繋いでくれと。おそらく無意識の内にそう願っていた。そしてあいつは俺の願い通り、千切れそうな糸の先を拾い上げたのだった。
自惚れてもいいのか。勘違いしてもいいのか。
買い出しをしている時も、お前の家に初めて足を踏み入れた時も、夕食の準備をするお前の背中を見る時も、酒が入ってほんのりと上気した頬に釘付けになった時も。俺はずっとずっと考え続けていた。
お前の真意が見えない。どこまでが本気でどこまでが冗談なのか、分からない。

考えて考え抜いて、結局答えは見つからなかった。だから本能の赴くままに想いを告げることにした。思いの丈を全部ぶちまけてから後悔しても遅い。
……本当は両想いだったなんて、誰が想像できただろう。恋の駆け引きはいつだってままならないものだ。だからといってここまでとは思いもしなかった。俺の数年間は一体何だったのか。だがそう思ったのはあいつも同じだったようで――少しだけ、嬉しいと感じてしまったことは、きっと誰にも言えない。





いくら大きめのソファーとはいえ、成人男性二人がそこで事を致すには些か手狭だ。しかし今更場所を移すわけにもいかず、軋みを上げるソファーの上で悪戦苦闘せざるを得なかった。

「あっ!ちょっと、いきなり指増やさないでくださ……っ、ん、くうっ」
「いちいちお前の許可取ってられるかっつーの、」
「や……あっ、はぁ……っ」

ローション代わりにと洗面所から砂月に持って来させた化粧水は程よくぬめり、潤滑油としての役割を立派に果たしていた。それでもまだトキヤの内部はきつく砂月の指を締める。もうこの際だとそこへ大量に化粧水をふりかけると、トキヤは喘ぎ喘ぎ抗議してくる。

「その化粧水っ、高いんですから無駄遣いはよしてくださいよ……!」
「これ使えって言ってきたのはお前だろ」
「ん、ああっ、だからって、んんっ、そんな、べちゃべちゃ……」

化粧水のことまで気が向くとは随分と余裕だな、と砂月は小さく呟いて、トキヤの中に入れていた指を殊更乱暴に掻き回した。それに合わせてトキヤの背中がびくびくとしなる。ひどく熱い。室内の温度は低いはずなのに、二人の乗っているソファーの周りだけがまるで夏のようだった。
トキヤが額にうっすらと汗をかいている一方で、砂月は変わらず涼しげな顔をしている。トキヤにはそれが妙に悔しかった。せめて少しでも余裕を見せようとするが、強がりの言葉は悉く砂月の指によって封殺された。

「痛っ……!え……、跡はつけるなと言ったでしょう、こら!」
いきなり生じた痛みにはっと気を起こすと、砂月が内腿に唇を寄せていた。内腿は体の中でも皮膚が薄い部分だ。強く吸い付けばあっという間に痕ができてしまう。いくら普段見えない場所とはいえ、そこら中にキスマークを付けられてはたまったものじゃない。
トキヤは砂月の髪を引っ張ってやめさせようとするが、砂月は制止の言葉など聞こえないとばかりに跡を付けることに夢中になっている。

「もう、いい加減に……っ!?んっ、あ、ひゃあっ!?」
より強く髪を掴もうとした所で、電流のような衝撃が背筋を駆け巡った。そこでやっと指が三本に増やされたのだということを知る。
長い指が的確に奥を突いてきて、その度に甲高い声を上げてしまう。まともな言葉を発することもできない。薄い唇から漏れるのは意味を成さない喘ぎ声ばかりだった。室内に響く濡れた水音と甲高い声が、余計に羞恥を駆り立てた。普段はペンを持って五線譜に音楽を宿らせていくその指が、今は自分の中をぐしゃぐしゃに荒らしているのだ。そう考えただけで何かどうしようもない切なさが胸にせり上がってくる。

「やだ……っ、砂月さん、私……やっぱり……だめ、です」
「……何が駄目だって?」
顔を上げて見つめてくる砂月の視線から逃げるように、トキヤは片手で顔を覆い隠した。見られたくない。
「だって……頭の中も、顔も、ぐしゃぐしゃで……どうしたらいいのか」
「怖いのか」
砂月の声は静かだった。今が情事の最中とは思えないほど。

「怖いわけではありません、ただ……私ばかりこんなふうになっているのに……あなたは、そうじゃないから……」

先程から感じていたのはこの違和感だった。砂月が自分を好いていてくれるというのは身に沁みて理解している。だが、「好き」にも温度差があるのだ。
今の状態では、まるで自分一人だけが盛り上がっているようなものだ。本当に求められているのかという不安が、少しずつ蓄積していった。だから砂月の顔を真正面から見れない。砂月と目を合わせた時、もしその瞳に失望の色が表れていたら、どうすればいい。それならいっそ、顔を隠したまま抱かれた方が楽だった。他の誰かに抱かれるのと大差ない。
彼に愛されているという実感が欲しくて、けれど無闇に欲しがりすぎるのは怖かった。求める手を振り払われるのが何よりも怖い。拒絶、されたくない。
馬鹿なことを考えるものだと呆れられるかもしれない。最初に諦めたのはこちらなのだ。今更になって何かを求める方がおかしい。……それでも。

砂月はトキヤの細い手首を掴んだ。一瞬、トキヤは肩を強ばらせる。
「……手、どけろ」
「嫌です」
「どけろって」
「いや、です」
拒絶の言葉の裏側で、トキヤの声は震えていた。嫌だ嫌だと首を振りながら、本当は暴かれることを望んでいる。ほとんど抵抗しないのがその表れだ。
手をどかした先にあったのはくしゃりと歪んだ顔だった。母親からの叱りを受ける直前の子どものような表情で、頑なに視線を逸らす。何をそれほど怯える必要があるのか、砂月には理解できなかった。6年越しの想いをやっと伝えたばかりだというのに、何故未だ伝わらないことを恐れなくてはならない?

「トキヤ」
「……はい」
「俺を見ろ」
「………………、」

その声に逆らえない。トキヤは恐る恐る視線を砂月に向ける。まっすぐに、ひたむきに、見つめられていた。
トキヤはそこで、今まで自分に触れていた砂月の手つきがとても優しいものだったことに気付いた。荒さはあっても、どこかに気遣いがあった。多少強引な部分はあっても、決して負担をかけるような無理強いはしなかった。

砂月の瞳は静かだったが、一方であまり余裕が感じられなかった。湿った熱を帯びて、ゆらゆらと静かな炎が揺れている。彼も耐えているのだ。直前で焦らされて、辛くないわけがない。早く繋がりたくてたまらないだろうに。それでも彼は、ひとつずつ段階を踏んで、トキヤの準備ができるのを待ってくれている。
ただ与えられる快感に身を捩らせていたトキヤは自らを恥じた。自分だけが気持ちよくなってどうする。これでは昔と何一つ変わらない。彼を勝手に想って、自分自身のためだけに彼を消費し続けていたあの日々とは決別しなければ。一方的に想いを伝えて満足して、それで終わりではないのだ。自分達にはその先がある。

砂月は吐息まじりの声で、いれてもいいか、と耳元で囁いた。トキヤは彼の背中に腕を回し、小さく頷くことで答えを示した。
なるべく力を抜こうと意識するが、硬くて熱いものが押し当てられる感覚に嫌でも体が強ばってしまう。すると砂月は安心させるように柔らかなキスを額に落とした。じんわりと温もりが広がり、体の緊張がゆるやかにほどけていく。そして――トキヤに楔が打ち込まれた。

「あ……っ!あ、ああ……う、ぁん……!」

一際甲高い声が上がり、トキヤは脚をがくがくと揺らした。途方も無い熱量が内側を押し広げていく。ずっと堪え続けてきた涙がとうとう溢れた。
息苦しさと痛みが胸を圧迫し、浅い呼吸しかできない。だが、耐え切れないという程ではなかった。内壁を抉る熱は性急ではなく、少しずつ奥へ向かおうとしていた。……そして何より、肌に触れてくるその手が優しいから。

「う、ひぁ……、ん、うあ……っ、ぅ、んんっ……」

途切れ途切れの喘ぎが紅く色付いた唇から零れ落ち、浅い場所で挿入を繰り返すその水音と絡み合ってぐちぐちと淫らな音を奏でる。高らかに歌うための喉は今や嬌声を発するための器官と化していた。それを聞けるのはここにいる二人だけだった。
「さ、砂月……っ、もう、いいから、早く……っ」
苦しさを耐えつつもトキヤが涙ながらに懇願する。奥へ、もっと奥へと。少しずつ慣らしていこうという思惑は逆にトキヤを焦らしてしまったらしい。その腰は快感のその先を求めてゆらゆらと揺れていた。無意識なのだろうが目に毒だ。トキヤの求めに砂月は無言で頷き、ぐっと腰を打ち付けた。

「あ――ああっ、ん……っ!!」
「くっ……、」

ひどく窮屈で熱い場所に熱が押し入り、とうとう最奥を突いた。内壁と外壁が激しく擦れる。電流にも似た衝撃が背筋に走り、全身がびくびく痙攣する。投げだされた爪先が虚しく宙を掻いた。トキヤは思わず砂月の背中に爪を立てていた。何かに縋っていなければ自分を保てない。既に立ち上がっていたトキヤの中心からはとろとろと体液が零れ、腹を汚していた。それに羞恥を感じるほどの余裕もなかった。

砂月は額に汗を滲ませながら抽送を開始した。最初はゆっくりと、そして徐々に速く。甘い痺れが身を焦がす。脚を掴まれ、揺さぶられるがままになっているトキヤは、痛みと同時に確かな快感も感じていた。
何度も突き上げ、律動を繰り返すうちに、トキヤが一際強く反応する一点が明らかになっていく。奥の奥、最も敏感なその場所を狙って、砂月はより強く抉るように突いた。
「い……あ、んっ、ひぁ――っ!」
角度を変え、強さを変え、緩急を変えて何度も打ちつけられるその衝撃は、およそ経験したことのないものだった。喉を仰け反らせて断続的に嬌声を上げる。もう、頭がおかしくなりそうだ。目の前で火花のように明滅する光。揺らされてその光が残像を描いていく。何度も瞬きを繰り返し、長い睫毛を伝って落ちる雫を払うが、それでも涙はひっきりなしに溢れ出た。

砂月は行為の間、トキヤ、トキヤ、と何度もその名を呼んだ。今までの静かな声とはまったく違う。熱に浮かされ、情欲に塗れた声だった。繋がった箇所だけでなく、耳までも侵される感覚にトキヤは全身を震わせた。こんな声も出すのかという新しい発見にこれ以上ない幸福感を覚える。こうやって繋がらなければ一生知らなかった。彼の昂ぶる熱も、際限なく求めてくる切羽詰まったような声も、今やっと身を持って知ることができた。
このままぐずぐずに蕩けてしまえたらどんなにか幸せだろう。何も余計なことは考えず、二人だけの世界に閉じ籠りたい。そうすれば、自分の知らない彼の一面がもっと見えるはず――そんな夢物語に浸りながら、少しずつ少しずつ、自覚的に脳内を溶かしていった。

「あぁ、あぅ……や、あっ、ああぁ……――っ!」

ぐり、と最奥を抉られる感覚と共に、トキヤは大きく体を震わせて白濁を吐き出す。目の前で火花が激しく散った。
「さ――砂月、あなたも……っ」
呼吸を乱しながら彼を呼ぶ。どうか一緒に。招くように後孔をきゅっと締めると、砂月は耐え切れず眉根を寄せた。喉の奥から甘い吐息が漏れる。
「……っ!」
強く抱き寄せ、溜めるように突く。一度、大きく肩が震えた。絶頂だ――そう思うと同時に、トキヤはこれ以上ない熱が体の奥深くに注ぎ込まれるのを感じた。

「あ、あ……ふぁ……」
「っ、く……は……っ」

肩で息を繰り返しながら、両手をしっかりと絡めた。互いの存在を再確認するかのように、全身で確かめ合う。
ここにいる。わたしは、おれは、ここにいる。揺らぐことのない実感を掴みとっている。繋がった部分から伝わる温度が、何よりの証明だった。

「トキヤ……お前、思い出せたか」
「は……?」
おもむろに切り出した砂月の言葉に、トキヤは目をぱちくりさせた。
「自分で言っときながら忘れるなよ……俺の想いは伝わってんだろ?」

拗ねたような表情を見て、やっと砂月の意図を理解した。そういえば始まる前にそんなことを言っていたっけ。行為に没頭するあまり前後の流れがすっかり抜け落ちていた。もしかしたら砂月は最中もずっとそのことを頭に留めていたのだろうか。思った以上にマメだ。
だが、この手を利用しないわけにはいかない。せっかく繋がったこの糸を、途切れたままにさせておくものか。まだ堪能しきっていないのは砂月も同じだろう。

「まだ、ですよ」
「……あ?」
「まだ足りません。全然足りない。あなたへの恋心を思い出すには、もっともっと愛してもらわないと」

唇が弧を描く。不敵な笑みを浮かべれば、砂月はひくっと頬を痙攣させた。
「何だ、あんなにあんあん喘いでおきながら、まだまだ余裕って顔しやがって……覚悟はできてんだろうな?」
「当たり前です。……あなたこそどうなんですか」
「――はっ……上等だ」

にんまりと、それはそれは凶悪な笑みを浮かべて、砂月は獣の鋭い牙を剥く。そうでなくてはとばかりにトキヤも目を細めた。
夜はまだ長い。それに、今夜は朝陽が昇るまで互いを貪り尽くすと決めたのだ。


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