完全犯罪計画 2


「おはやっぷー☆ みんな集まったかしら〜?とりあえずクラスはバラバラでいいから、アイドルコースの子と作曲家コースの子に分かれて並んでね〜ん!」

グラウンドに集められた早乙女学園全校生徒は、林檎の指示の下にぞろぞろと整列していった。
全校生徒が一堂に会するのは入学式以来である。……といっても、入学式に出なかった者は若干一名いるのだが。
ジャージに着替えた各々が列を成す様はまるで体育祭のようだった。しかし今日何を行うかはまだ知らされていない。
トキヤは作曲家コースの列に並ぶ砂月の姿を目で追った。高身長の彼は群衆に紛れていてもすぐに分かる。相変わらず不機嫌そうに眉を顰めていた。何がそこまで彼を不機嫌にしているのだろう。

「じゃあ前の子から順番にゼッケンを配りまーす!ただし、指示があるまでまだ着けちゃいけないわよお!ゼッケンの数字はなるべく他の人に見えないようにしておいて!」
そう言って配られたのは何の変哲もないその名の通りのゼッケンだった。前面と背面に数字が記されている。人によって数字の大きさはそれぞれ異なるようだった。
「……何が始まるんだ、これ?」
「さあ……」
検討もつかない。……いや、なんとなく分かってはいるが、考えたくない。そもそも走り回る競技には極力参加したくないのだ。
翔は58番、トキヤは91番だった。どうやらランダムらしい。レンは番号を教えてくれなかった。

「よし、ゼッケンは行き渡ったな。説明を始める。これからお前たちにやってもらうのは、」
龍也が言いかけた所で、頭上から何かおかしな物体が落ちてきた。あれは――パラシュートだ。
「ヘーーーーイ!レディース&ジェントルメ〜ン!ユーたちには『サバイバル鬼ごっこ』を繰り広げてもらいマ〜ス!!」
絶叫と共に落ちてきたのは、早乙女学園の学園長、シャイニング早乙女だった。このたった一言を言うためだけなのだろうが、相変わらず演出が派手だ。その労力を何か別な所に注げないのかとトキヤは溜息をついた。これこそが、あの人があの人たる所以でもあるのだが。


「あー……まあ、そういうこった。『サバイバル鬼ごっこ』、要するにただの鬼ごっこだ。範囲は学園の敷地内全域。地の利をフルに活かせよ。
ルールについてだが、まずアイドルコースと作曲家コースで一組ずつ同じゼッケンが配られてる。今回の鬼は作曲家コースの奴等だ。鬼は自分と同じ番号のゼッケンを付けたアイドルコースの奴等を捕まえてもらう。
作曲家コースは鬼をどれだけ早く捕まえられたか、アイドルコースは鬼からどれだけ長く逃げられたかでポイントが加算される。言うなれば作曲家コースとアイドルコースの全面戦争だな。単純だろ?……だが舐めてかかっちゃいけねえ。サバイバルと名の付く以上油断は禁物だ。
勿論、アイドルコースの方が体力に自信のある奴が多いから、今回はハンデを二つ付けさせてもらう。まず一つ目。アイドルコースは基本的に単独行動だが、作曲家コースは仲間とグループを組んでもいい。もちろん多人数で一人を追い詰めるのもアリだ。次に二つ目。作曲家コースには、本部から支給される捕獲用アイテムの使用を許可する」

二つ目のハンデが発表された途端、主にアイドルコースの生徒たちから大きな非難の声が上がった。皆、この早乙女学園の恐ろしさを既に嫌というほど味わっている。「捕獲用アイテム」などといったら、それこそ物騒なものが出てくるに違いないと想像しての反応だった。
しかし、次に明かされる事実の方が遥かに衝撃的だった。

「ちなみにぃ〜!今回、各コースでゼッケンの番号が同じになった子たちが、次の中間試験での仮のペアになりま〜す☆」
「なっ……!?」

トキヤにとってそれは神の啓示にも等しいものだった。自分のゼッケンと同じ番号を持つ人がどこにいるかは知らないが、それが次の試験でのペアとして割り振られる。自動的・強制的なのだから、いかに砂月とはいえ口出しはできないだろう。もう砂月のしつこい勧誘を受けずに済むのだ。
「マジかよ……!うわー、俺のペアの相手誰になるんだ?あ、でも今はそいつから逃げなきゃいけねーのか!うおー燃えてきたぜ!」
翔は興奮して飛び跳ねている。運動好きにはたまらないイベントなのだろう。
皆、一様にゼッケンをつけ始めた。早く自分と同じ番号の人を探したくて仕方ないのだ。
トキヤは作曲家コースの列をきょろきょろと見回して91番を探したが、今いる場所からではそれらしい番号は見当たらなかった。

「……なるほどねえ」
レンが深く深く頷いた。何をそんなに納得しているのかトキヤには分からない。ただ、彼が妙に楽しそうなのが気にかかった。レンは普段あまりこういった体を使う実習は好まない。しかし今回はいつもと違って張り切っているようである。何か企んでいるに違いないとトキヤは推測した。

「ねえイッチー、ゼッケン交換しない?」

……やはり。トキヤは咄嗟に身構えた。
「お断りします。どうせ何かよからぬことを企んでいるのでしょう」
「えー?心外だな、オレはただイッチーの持ってるゼッケンの番号が好きなだけだよ。91番、うん、とってもキリのいい数字だ」
「とてもそうには思えませんが……」
見ているこっちが白々しくなってくる。レンが何を考えているかは知らないが、彼の好きにさせてはいけないことだけは分かった。
「そう言わずにさ、ほら交換しようって」
「嫌です!」
「……ふうん。じゃあ実力行使だね」

ひょい、と。いとも簡単にレンはトキヤの手からゼッケンを奪い取った。たった今トキヤの手の内にあったゼッケンは消え失せ、レンの手に握られている。まったく気付かなかった。まるで手品師だ。
「ちょっとレン、何を勝手に……!」
「まあまあ、今から怒ってると体力持たないよ。はい、これオレのゼッケンね」
「こら待ちなさい!」
じゃあね、とレンは軽い足取りで人混みの中へ姿を消した。引きとめようと伸ばした手は空を掻く。なんて逃げ足の早い……と呆れたが、強引に交換されてしまった以上これで今回はやっていくしかないだろう。どのみち誰がどの番号かなどこの人混みでは把握しきれないのだから。
渋々レンから渡されたゼッケンを着ける。番号は123番。こちらの方がよほどキリのいい数字ではないか。

「みんなゼッケンはつけたな!開始から10分経ったら鬼の追跡が開始するから、それまで全力で逃げろよ!」
龍也の声がグラウンドに響き渡る。ゲームの開始を告げるのはやはり学園長だった。
「エブリワン、アーユーレディ?――スタートォウッ!!」
その一言を合図に、アイドルコースの生徒たちが一斉に駆け出した。先頭を切って走るのは翔と音也だった。揃いも揃って元気なことだ。
トキヤはあまりこのゲーム自体に乗り気ではなかった。適当に隠れる場所を見つけて息を潜め、見つかったら見つかったであっさり降参しようと考えていた。こんな鬼ごっこ如きに本気になる必要性を感じない。皆が走っていく中、トキヤとその他やる気のなさそうな数名がもたもたとグラウンドを歩く。

そういえば同じ番号の人はいるだろうかと、作曲家コースの列をぼんやり眺める。やはり最初に目が行くのは四ノ宮砂月だ。
すると、意識して見つめたわけでもないのだが、何故か砂月とばっちり目が合ってしまった。しかも向こうはこちらを凝視してくる。トキヤは気圧されそうになった。
砂月は群衆を掻き分けて作曲家コースの列の端にやってきた。……まるで、何かを見せつけるように。

「――え。」

間抜けな声が出た。それもそのはず、なぜなら砂月のつけているゼッケンは……123番。これ以上ないほどキリの良い数字だ。そして、トキヤの付けているそれと――正確に言えば、レンから渡されて今はトキヤのものとなったゼッケンと、まったく同じ番号であった。
「え、え、え、なに、どういう、」
慌てる。焦る。顔が一気に青ざめ、背筋に冷たいものが流れる。
こんな大人数であれば決して砂月には当たらないだろうと。レンがよからぬことを企んでいるとはいえ、たかがゼッケンのすり替えで何かが劇的に変わるわけではないと。そんな油断が心に隙を作った。
まさかまさかまさか。そのまさかだ。レンはよりによって砂月と同じゼッケン番号を引き当てていた。おそらくこれはまったくの偶然だ。本来ならばレンが砂月に追われる立場になっていたはずである。だが計算高いレンは、全てを見越してトキヤとのゼッケン交換を持ちかけた。トキヤが了承せずとも、強引に奪い取るという手段を使ってまで、レンは何がしたかったのか。答えは砂月が握っていた。

――オレは、シノミーとイッチーがペアを組んだら凄く面白いと思うけどね。

昨日のレンの言葉が脳裏をよぎる。レンは何が何でもトキヤに砂月とペアを組ませたいらしい。突如として舞い降りた偶然は、レンにとっては好機だったかもしれないが、トキヤにとっては死刑宣告以外の何物でもない。
トキヤがゼッケン番号の一致に気付いて顔面蒼白になると、砂月はにやりと笑った。心底楽しそうな、そしてひどく凶悪な笑みだった。
……ターゲット、ロックオン。砂月の標的は完璧に定まった。狙うはただ一人、一ノ瀬トキヤのみ。
トキヤはライオンを目の前にした草食動物の気持ちを再び思い知ることになった。もしくは、凄腕の暗殺者に狙われた国家元首の心境か。ともかく崖っぷちである。全身ががたがたと震えた。

「くっ……!」
震える足を叱咤して、一気に全速力でグラウンドを駆け抜けた。死に物狂いだった。早く早く早く!逃げなければ捕まってしまう!
どのみち彼とペアを組まざるを得ないことは分かりきっていたが、それでも本能が逃げろと告げていた。一秒でも長くあの目から遠ざからなくてはならない。
鬼ごっこ如きに本気になるなど馬鹿らしい、と鼻で笑っていたつい先程とは緊迫感に天と地ほどの差があった。もはや命がけである。当初の悠々自適な逃亡生活など夢のまた夢、本気で逃げることしか今は頭にない。

「一生恨みますよ、レン……!!」

今頃、計画通りだと笑っているであろうレンに向けて呪いの言葉を吐き捨てる。もう泣きそうだ。
かくして、神宮寺レンの策略にまんまと嵌ってしまった一ノ瀬トキヤは、心底不本意ながらも、全身全霊を掛けてこの鬼ごっこに臨まなければならなくなったのであった。





「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
どれだけ走っただろう。少なくとも10分は経った。もう鬼の追跡が始まっている頃だ。
トキヤは必死で学園の敷地を走り回り、隠れられそうな場所を探していた。額には滝のような汗が流れている。これだけ本気で走ったのはロケを含めても久しぶりだ。「トキヤ」は設定上体育が苦手ということになっているが今更そんなことは言っていられない。とにかく逃げなければならなかった。
早乙女学園はとにかく広い。敷地の周囲をぐるりと一周するだけでも相当な時間がかかる。自然が多いため隠れる場所には不自由しないが、生憎とそういった隠れやすそうな場所は他の生徒に陣取られていた。考えることは皆一緒だ。

トキヤの足は自然とあの中庭に向かっていた。砂月と初めて会ったのもここだった。生徒たちにはあまり知られていないのか、人の気配は無い。ここならしばらく腰を落ち着けていられるだろうと思い、茂みの中へと入り込んでいく。だが、ちょうどいい場所を見つけ、座り込もうとしたその時だった。
「あ、トキヤくん!」
「ヒイッ!!」
背後から突然声を掛けられた。緊張で張り詰めていた心臓には大層悪い刺激である。声の響きから咄嗟に砂月かとも思ったが、振り返った先にいたのは彼とよく似た顔の人物だった。
「……あ、四ノ宮さ――いえ、那月さんでしたか」
「はい。トキヤくんもここに隠れようとしてたんですね!僕も好きなんです、この場所」
「は、はあ……」

四ノ宮砂月の双子の兄、那月。よく寮の共用キッチンで壮絶な料理を作っている現場に遭遇したことがあるので互いに面識はあった。だがこうして面と向かって話すのは初めてだ。柄にも無くトキヤは緊張した。砂月と同じ顔であるのも原因の一つだったが、それ以上に彼の天然な性格が苦手な部類であると察していたからである。
彼の顔は砂月とそっくりだが、性格はまるで逆だった。天才肌であるのは共通しているものの、上から目線で傲岸不遜な砂月とは対照的に、那月は物腰柔らかく、繊細で優しい。何故双子なのにこれほど違いがあるのだろうか。どうせペアを組むのなら、あんな非常識男ではなく那月さんであればよかったのに。トキヤは内心深く溜息をついた。無理な話であることは百も承知だ。そもそも、この四ノ宮兄弟はアイドルコースと作曲家コースで別々なのだから。

那月はトキヤの横にしゃがみ込み、興味津々の様子で見つめてくる。
「僕の鬼さんは七海さんなんですよ〜」
「七海さん?……ああ、Aクラスの」
七海春歌。以前、初対面でHAYATOと間違えられて以来あまり良い印象は無いが、クラスも違うためそこまで意識したことはなかった。だが作曲の才能は確かだという話は聞き及んでいる。那月と彼女がペアになったら、きっと素晴らしい歌ができるだろう。そんな予感がする。
「ちゃんと捕まえてくれるか楽しみです!」
にこにこと笑う彼は、この鬼ごっこを心から楽しんでいるようだった。逃げるのに必死な自分がなんだか無様に思えてくる。

「そういえば、トキヤくんは誰が鬼さんか分かってますか?」
「……ええ、まあ……」
彼と七海春歌のペアは容易に想像できるのに、自分と砂月がペアになった場合の未来がまったく考えられないのも不思議な話だ。無意識の内に敢えて考えないようにしているのかもしれない。
仮のペア決めの時点でこれだけ拒絶反応を示しているのだから、その先ときたら考えただけで悪寒が走る。未だかつて、これほど性格が合わない人間がいただろうか。仕事現場では性格の悪い人間などそれこそ山のようにいるが、仕事は仕事だと割り切ることができた。しかし今回は――仕事ではないにしても、割り切れない。

目を輝かせて返事を待つ那月に、トキヤは申し訳なさそうに彼の名を告げた。
「ええっ!?さっちゃんが鬼さん!?……うわあ、それは大変ですねえ」
まるで他人事である。たとえ気休めでも「大丈夫ですよ」と言われたならどんなに楽か。双子の兄弟にすらここまで言わしめるとは、砂月は今までどれだけ「大変」なことをやらかしてきたのだろう。ヒグマを素手で倒したと聞かされても今ならきっと納得してしまいそうな自分がいる。
トキヤの憂鬱な心境を悟ったのか、那月は姿勢を正してトキヤに向き直った。つられてトキヤも背筋を伸ばす。茂みの中で正座して向き合う男子生徒二人、なんとも奇妙な光景だった。

「トキヤくん。さっちゃんはちょっと素直じゃない所がありますし、最初のうちは怖いって思うかもしれないですけど、さっちゃんは本当はとっても優しい人なんです。それだけは分かってあげてくださいね。……さっちゃんのこと、よろしくお願いします」

何なんですかその、不良息子の矯正を教師に頼み込む母親のような態度は。
思わずトキヤは冷や汗と共にそう言いたくなったが、ぎりぎりの所で堪らえた。いや、これはむしろ、嫁いでいく娘を結婚相手に託す母親か。もうどちらでもいい。とにかく、トキヤは那月に砂月の面倒を任されてしまったようである。そんな頼みは願い下げだと言いたいところだが、真剣な眼差しを向けられるとどうにも断れない。
ああ、やはり苦手だ。純粋な人は拒絶しにくい。無理に断ろうとすると一気に罪悪感が生じる。その点、押し付けがましく迫ってくる砂月が相手だと、嫌なら嫌とはっきり意思表示することができるので楽ではあった。
トキヤは嫌そうな表情をなるべく表に出さないよう最大限の努力をしながら、せめてもの反論を試みる。

「ですが彼とペアを組むのは次の課題だけですから、その後のことはまだ……」
「いいえ。トキヤくんのパートナーはさっちゃんです」
きっぱりと断言されてしまった。普段柔和な彼がいつになく真剣なので、トキヤは気圧されてしまった。性格はまったく違うはずなのに、彼等双子はこういう所が似ているようだ。
「双子の勘――なのかもしれません。でも僕には分かるんです。二人はきっと素敵なペアになるって」
「そ、そうですか……」

自信満々に言われても正直嬉しくない。なにせ、砂月とは次の課題が終わるまでとは言わず、それこそ今すぐにでもご縁を切りたい状態なのだ。正式にペアを組んで卒業オーディションに臨む未来など考えたくもない。
だが那月の瞳は強く輝き続けている。――信じることよりも、疑わないことの方が厄介だ。そして那月もまた、砂月とトキヤの未来を何一つ疑わない瞳をしていた。正式なペアどころか仮のペア決めですらこれだけ渋っているというのに、どうしてここまで疑わずにいられるのかトキヤは不思議で仕方がなかった。那月の言う「双子の勘」がそこまで信用に足るものだというのか。勘などという不確かなものを一度も頼ったことがないトキヤには到底理解できない領域だ。

那月の視線に耐え切れず、トキヤは立ち上がった。長時間同じ場所に留まり続けるのはよくない。そもそも、この鬼ごっこではアイドルコースの生徒は単独行動が基本なのだ。こんな近い距離で膝を突き合せていたら失格扱いされてしまうかもしれない。
自分にそう言い訳をして、トキヤは「それじゃあ、また後で」と急いで背中を向ける。那月はまだ何か言いたげにしていたが、それを振り払うようにしてトキヤは足早に立ち去っていった。





「よートキヤ!大丈夫か?」
新たな隠れ場所を探していたトキヤの頭上に、聞き慣れた声が降ってくる。見上げるとそこには、木の枝に腰掛けた翔がいた。身軽なだけはある。人間は自分よりも目線の高いものには注意が行きにくいという話だから、翔の戦法はなかなかに有効だろう。問題は一度見つかったらそう簡単に逃げられないという点ではあるが。
「大丈夫だったらこんな顔はしていませんよ……」
汗を拭きながらトキヤは答える。この鬼ごっこが始まった時よりも心身共に激しく消耗していた。

「うっそマジで!?レンの奴外道だな……流石に俺でも怒りたくなるわ、それ」
事のあらましを説明すると、翔は分かりやすいくらい同情した。翔が常識のある人間でよかったと思う。自分には一人の味方もいないのかと絶望しそうになっていた所だったため、翔の同情はとても心にしみた。たとえ世界の全てが私の敵になろうと、あなただけは私の味方でいてくれるんですね、とトキヤは柄にも無く翔に対して強い信頼と友情を感じていた。人間誰しも、窮地に追い詰められると何でもいいから縋りたくなるものなのである。

「レンが何をしたいのか私にはさっぱりです……」
こめかみに手を当て、深く深く息をつく。今日何度目かも分からない溜息だ。現在進行形で幸せが全速力で逃げて行っているのを感じる。だがトキヤとは対照的に、翔はあっけらかんとしていた。先程まで登っていた木の幹に背を預け、腕組みをして何か考えるような素振りをする。
「んー、俺にはちょっと分かるけどな」
「は!?正気ですか」
「まーな。だって、お前と砂月ってアイドルコースと作曲家コースのそれぞれトップだろ?お前らがペア組んだら凄そうじゃん。レンだってそれを期待してんだろうし」
「だからといって彼とは……」
翔はトキヤを遮って言葉を続ける。
「それにほら、砂月って案外良い奴だし、優しいし、……まあ、うん」
翔の様子がおかしい。目が泳ぎ、額に冷や汗が滲んでいた。懸命に言葉を捻り出そうとしているような必死さがある。それに、さっきからトキヤの目とその後ろをきょろきょろと交互に見ている。明らかに不自然だ。

どうしたんですか、と心配して声をかけるより先に、翔はパンッ!と顔の前で両手を合わせた。そのまま勢い良く足を折ってしゃがむ。
「――ごめんっ!やっぱ無理っ!!」
「え……?」
次の瞬間、トキヤは背後から迫り来るおぞましい気配を感じた。咄嗟に振り向いたがもう遅い。
「なん……っ!?」
声を上げる間もなかった。いきなり背後から一本の縄が伸びてきて、あっという間にトキヤの全身を縛り上げたのだ。トキヤはバランスを崩して地面に倒れ込む。
――何が起こった?この縄は一体?誰がこんなことを?
一瞬の出来事だったため思考回路が追いつかない。だが、混乱をよそに、それら全ての元凶がトキヤの前に現れた。

「……へえ、なかなか使えるじゃねえか、この縄」

地面に転がったトキヤを見下ろす彼の名は四ノ宮砂月。トキヤを追う鬼でありハンターだ。同じ123番のゼッケンがその存在を誇示している。逆光で表情は見えなかったが、にんまりと勝ち誇った顔をしていることくらいは嫌でも分かった。……捕まったのだ。
砂月は手に持った縄をしげしげと見つめ、感嘆の声を上げる。この縄こそが作曲家コースの生徒に与えられた「捕獲用アイテム」なのだろう。標的に向かって投げれば寸分違わず狙い通りの相手を絡め取り、決して逃げられないよう雁字搦めに縛り上げる。本来なら体力に自信の無い女子生徒用に配布されるであろうそれを、この男が使ったらどうなるか。結果は実際に出ていた。完璧なまでに捕縛成功である。

「ようチビ、引き留め役ご苦労さん。もう行っていいぜ」
砂月はしゃがみ込んだまま震えている翔に声をかけた。すると翔は「お、おう」とほっとしたような顔で答える。……引き留め役、と。砂月はそう言っていた。
「ごめんなトキヤ!俺の代わりに犠牲になってくれ!」
本当に申し訳なさそうに、翔は何度も頭を下げてその場から走り去った。彼は先程から、砂月が背後から徐々に近寄ってきていることに気付いていたはずだ。だが何も言わなかった。砂月の狙いはトキヤだけだと知っていたからだ。ここでトキヤに逃げるよう声をかければ、その後砂月にどんな復讐を受けるか分からない。それならば、大人しくトキヤの捕縛に協力して、自分は砂月の被害を被ることなく逃げおおせようと判断したのだ。
翔が今まで幾度と無く砂月に酷い目に遭わされてきたかは知っている。できることなら砂月とは関わり合いになりたくないというのが本音だろう。しかし、だからといって――我が身可愛さに友を売るなど!

トキヤは信じられないというように、真っ青な顔で口をわななかせた。
前言撤回である。この世に自分の味方など誰一人としていない。敵、敵、敵、敵ばかりだ。よりによって鬼ごっこなどという方式を採用した教師陣も、強引にゼッケンを交換して砂月とペアになるよう仕向けたレンも、トキヤを盾にして逃げることを選んだ翔も、……そして何より、すべての元凶である四ノ宮砂月。敵だ。宿敵だ。
もう何も信じられない。度重なる裏切りの連続に、トキヤは人間不信になりそうだった。完全に心が折れている。

「……さて、一ノ瀬トキヤ。あっけなく捕まった気分はどうだ?」
「……最悪です……」

二人のテンションには天と地ほどの落差があった。トキヤはそれこそ地面にめり込むのではないかというくらい沈んでいる。もう逃げられないという絶望が体の芯まで染み込んでいるのだ。だが砂月は、トキヤが嫌悪感を顕にすればするほど笑みを深くする。天性の天邪鬼気質は、一ノ瀬トキヤという格好の標的を前にして遺憾なく発揮されていた。
砂月は、縄でぐるぐる巻きにされたトキヤの体をひょいと持ち上げた。痩せ気味とはいえ16歳の男の体をいとも軽々と。とんでもない腕力である。その行為に慌てたのはトキヤだった。
「はっ離しなさい砂月!逃げたりしませんから自力で歩かせてください!この格好は嫌です!!」
「聞こえねえな」
肩にトキヤの体を乗せ、片腕で押さえながら悠々と歩く。いわゆる俵担ぎだ。トキヤは全力で抵抗を試みるが、きつく縛り上げられているためびくともしない。まさか、この状態で連行されるのか。それだけは、そんな恥ずかしい真似はどうしても避けたかった。こんな体勢で担がれたまま、衆目の晒し者になるのは耐えられない。
トキヤは嫌です離してくださいと何度も喚き立てるが、砂月は素知らぬ顔でグラウンドへと戻っていく。こうなったら覚悟を決めるしかないのか……とトキヤは途方に暮れた。





「最悪だ……最悪だ最悪だ最悪だ……」
捕まったアイドルコースの生徒の集合場所で、トキヤは呪いのようにひたすらぶつぶつと独り言を呟いていた。その禍々しい空気を感じ取った周りの生徒たちは、自然とトキヤの半径1メートル以内に近寄らないようになっていた。だがトキヤはそんなことも気にせず呪いの言葉を吐き続ける。

結局、トキヤは俵担ぎのまま最後まで連行されたのだった。グラウンドで待ち構えていた教師陣や既に捕まった生徒たちは、その奇異な二人組に視線を集中させた。トキヤの懸念通り、彼等は衆目の晒し者になったわけである。
鬼ごっこを終えた生徒たちの中にはレンも含まれていた。ペアの相手らしき作曲家コースの女子生徒と和やかに会話する姿はとても楽しそうだった。相当早い段階で自主的に捕まったのだろうということは容易に想像できた。本来ならトキヤのペアはあの女子生徒だったはず。だがレンの陰謀によりゼッケンはすり替えられ、トキヤは砂月に追われるどころかペアを組む羽目にまでなったのだ。
レンを見つけるやいなや、トキヤは「あなたさえ余計なことをしなければ……!」と恨みつらみの全てを込めてレンをきつく睨んだが、トキヤと目が合ったレンは申し訳なさげに謝るどころか、いきなり腹を抱えて爆笑した。

「え、ちょっと待ってイッチー、捕まったの、いや捕まるとは思ってたけど、でもなにそれ、しば、縛られてる、ぷっ、くくくくく、あっははははははは!!」

ひどい言い草である。その上、「やっぱりシノミーとイッチーのセットは最高だね!」と判を押されたがまったく嬉しくない。何様だ。
レンは面白がることしか考えていない。あの面倒臭がりのレンがわざわざ自分から動くこと自体は歓迎すべきかもしれないが、それが「トキヤに砂月とペアを組ませるため」という理由とあっては有難迷惑の何物でもなかった。

砂月はトキヤを「留置所」に置くと、やっと縄を解いてわざとらしく笑ってみせた。
「――さて。これで名実ともにペア結成だな。……もう逃さねえぜ、一ノ瀬さん?」
獰猛なライオンを目の前にした草食動物はしかし、ただ震えて食べられるのを待つだけではない。獲物には獲物なりのプライドがあった。決して屈しはしないというように、強い瞳で睨み上げる。
「あくまでもこれは次の課題のための仮のペアです。私は正式にあなたのパートナーになる気などありません」
「そう言っていられるのも今のうちだぜ?そのうち、お前の方から俺にパートナーになってくれと頼み込むようになる」
互いに一歩も譲らない。睨んでは睨み返す。二人はパートナーでありながら宿敵同士でもあった。

砂月はいつになく高揚していた。今までは望むものなら何でも自分のものにしてきた。天才と呼ばれる彼が少し努力をすれば簡単に手に入るものばかりだった。あまりにも思い通りすぎて飽き飽きしていたところだ。
しかし今、簡単には手に入らないものが目の前にある。……一ノ瀬トキヤ。一筋縄ではいかない。久しぶりの強敵に心が震えた。
ある者からは気まぐれな手助けを受け、ある者からは強引に脅してでも協力を請う。そうやって少しずつ少しずつ、だが着実に外堀を埋めていく。全ては砂月の計画通りに進んでいた。あとはこの強情なパートナーをいかに口説き落として陥落させるかにかかっている。

――二人の戦いは、まだ始まったばかりだ。






2012/05/20


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