パティスリー・アンドロメダ 1


【1】12/10 17:31 電車内


「ねえねえ、知ってる?最近オリオン通りにできた新しいケーキ屋さん!」
「あ、噂で聞いたことあるよ!可愛くてキレーでおいしいんでしょ?」
「そう!それに、ケーキはもちろんだけど、その上店員さんが超かっこいいの!双子の兄弟でやってるらしいんだけど、二人ともヤバイくらいのイケメンでさ〜!」

嫌でも耳に入ってくる女子高生二人の会話に、私は電車の中で眉を顰めた。いくらこの夕方の時間の乗客が学生ばかりとはいえ、ここは公共の場だ。彼女たちはなぜこうも周囲に聞こえる程のボリュームで話すのか。雑音と呼ぶには大きすぎる耳障りな会話のせいで全て無駄だ。せっかくの貴重な読書時間が削られていく。
私は観念して文庫本を閉じた。さっきからちっとも内容が頭に入ってきやしない。

「接客担当してるお兄ちゃんの方はふわふわお花畑系イケメンで、ケーキ作ってる弟くんの方はちょっと雰囲気が怖いけどそのキツい感じがまたかっこいいの!!」
「うっそ、今時イケメン双子って超レアじゃん!今度行こうよ!確かケーキ売るだけじゃなくて、店内でそのまま食べられるんだよね?イケメンを見ながら甘いもの食べられるとか楽園だわ〜」
「でも開店当初からすんごい人気で、イートインは予約しないと駄目みたい。やっぱみんな考えること一緒っていうか」
「え〜じゃあ予約する〜!何日待ってもいいからイケメン拝みた〜い」

最近の女子高生というものはここまでイケメンに飢えているものなのか?制服から判断すると、彼女たちは確かここの近くにある共学の私立校の学生だ。共学なら男子生徒もいるだろうに。
聞かずにいようと努力していたはずだったのに思わず会話に突っ込みを入れてしまった。結局聞いているではないか。
私の苛々が頂点に達しようとした所で、間髪入れずに電車のアナウンスが次の到着駅を告げる。どうやらそこが彼女たちの降りる駅のようだ。電車が止まると、彼女たちは尚もべらべらと喋りながら降車していった。開いた扉から冷たい風が舞い込んでくる。彼女たちがいなくなったことで車内は急に静けさを取り戻した。
ああ、やっと静かになった。しかし今から読書を再開した所で、途切れてしまった集中力は元に戻りそうにない。移動時間内の読書は大切にしたかったのだが。

もうじき暗くなってくる窓の向こうの景色をぼんやりと眺めながら、私は先程の女子高生の会話を思い出していた。
オリオン通りといえば、私がいつも使っている道のすぐ近くにある商店街の名前だ。私も時折、家へ帰るがてら買い物をしに立ち寄ることがある。最近はあまりあの通りを利用していなかったが、そんな店が新しくできていたのか。知らなかった。新しい情報を得たのが女子高生の会話から、というのが何とも不本意ではあるが。
昨日、ちょうど冷蔵庫のバターを切らしてしまったことだし、買い物ついでにその店を見てみようか。……だが買いはしない、見るだけだ。



【2】同日 17:58 オリオン通り


駅を出ると、小雪がちらついていた。どうりで最近は寒い日が続いていたわけだ。これ以上雪が激しくなって、明日の電車が運行停止にならないよう祈るばかりだった。
マフラーを目深にして、駅前からオリオン通りに向かった。
オリオン通りは駅から少し歩いた先にあるアーケード街だ。道沿いには種々様々な店が立ち並び、自動車は通れないようになっている。いわゆる歩行者天国だ。雑貨屋、写真館、薬局、八百屋など、個人経営の店が多く、落ち着いた印象を受ける。「商店街」という言葉から受ける雑然としたイメージとは異なったその雰囲気を、私は気に入っていた。
しばらく歩いて行くと、ある店が目に留まる。年季の入った古い店が多い中、そこだけ妙に空気が違う。つい最近できたばかりのような、西洋風の小さな店――これが噂に聞くケーキ屋か、と合点した。

店の扉の上には「Patisserie Andromeda」と書かれた小洒落た看板がかけられている。星座繋がりでオリオン通りと掛けているのだろうか?
外から店内を見てみると、それなりの人数の客が入っていた。学校帰りの女子高生、孫を連れている老婦人、買い物袋を提げた主婦……全員が女性だった。甘いものを好むのは専ら女性であるということに加え、ここはイケメンがいると評判の店だ。女性客が全てを占めているのも頷ける。

ガラス張りになったショーケースにはこれ見よがしにケーキが並べられ、店の外からも見えるようになっている。店の前を通りがかった通行人が何度か立ち止まっては物珍しそうにショーケースを眺めていた。私もその一人であることは否定しない。
電車の女子高生はケーキ屋と言っていたが、並べられた商品を見てみると、ケーキだけでなく様々な洋菓子もある。どちらかといえば「洋菓子店」と表現したほうが店の実態には合っているだろう。

それにしても、どれも美味しそうなケーキばかりだ。細部まで丁寧にデコレーションされたそれは、芸術品かと見紛うほどだった。駅中の洋菓子店で売られているようなケーキとは格が違う。此の店のパティシエの技術は相当なものだと素人目にも分かる。気付けば、私がショーケースのケーキに釘付けになってから5分以上経過していた。
……いけない。見とれてしまった。もうすっかり心を奪われているではないか。しかし買わない、買ってはいけない。

「職業:モデル」――その肩書きこそ、私がケーキを前にして苦悩する理由だった。
モデルを仕事としている以上、体型維持は最低限のノルマとなっている。もともと太りやすい体質の私が、モデルという道を選んだこと自体が間違いだったのかもしれない。だが今更後悔した所で無意味だ。一日の摂取カロリーを綿密に計算し、少しでも上限を超えた場合はランニングを増やす。そうやって毎日徹底的に管理していた。
余計なカロリー摂取は禁物、ましてやケーキなど以ての外だ。興味本位でこの店を覗いてしまったことを心から後悔した。甘い物への誘惑に負けそうになる。こんな甘そうなものを食べたらそれこそ終わりだ。無意識に店内へ入ろうとする足を必死になって押さえつけた。これ以上店の前にいてはいけない。一度足を踏み入れたが最後、もう抜け出せないような予感がある。それだけは何としてでも阻止しなければ。

私は理性を振りしぼってケーキの誘惑を断ち切った。唇を噛み締め店に背を向けて歩き出す。
もう二度とここへは来ないし、店の前を通りがかることもしない。心にそう誓いを立てて、私は家路を急ぐのだった。



【3】01/17 15:40 控え室


「イッチー、最近楽しそうだよね。何かいいことあった?」
「……は?」

撮影スタジオの控え室で私に話しかけてきたのは、モデル仲間のレンだった。頬杖をついて私を見つめてくる。
すると隣で、同じくモデル仲間の翔が「あー分かる」と頷いた。
「ここ一ヶ月くらいでちょっと雰囲気変わったよなー。前はもっと無愛想だったのに。つーか何読んでんだ?」
翔は私が手にしていた雑誌をひょいと取り上げて、中身をぱらぱらとめくる。返してくださいと叱りつける間もなかった。

「『厳選☆都内の人気スイーツベスト30!』って……トキヤ、お前甘い物全然食べないとか言ってなかったっけ?いつのまにこんな雑誌読んでまで研究するようになったんだよ」
「ちょっと、勝手に読まないでください!」
「イッチーがスイーツ好きなんて初耳だな。オレにも見せてよおチビちゃん」
「ああもうレンまで……!」

慌てて雑誌を取り返そうとするが、うまく躱されてしまう。雑誌を読まれること自体は別に構わない。しかしあのページだけは……!
「あれ、ご丁寧に付箋を貼ってあるじゃないか。パティスリー・アンドロメダ……これがイッチーが注目してる店なのかい?」
「ち、違います!たまたま家の近くにある店だったので気になっただけです!」
「その割にはパティシエ紹介の所にマーカーでチェックしてあるけどな」
とうとう見つかってしまった。二人ともすっかり私をからかう気でいるらしく、不穏な笑みを浮かべている。この二人にはどうしても知られたくなかったというのに。

―――パティスリー・アンドロメダ。あの店と出会ってから、もう一ヶ月近く経つ。
もう二度と来るまいと、あの時は確かに決めていたはずだった。しかし、私の薄弱な意志による誓いなど、結局「その程度」のもので。
次の日も、また次の日も、私はオリオン通りを通っては、あの店の前で立ち止まり、ショーケースのケーキを眺めていた。何度やめようと思っても、足は自然とオリオン通りに向いてしまう。
ケーキを買うことはせず、ただ見るだけ。その程度なら許されるだろう、という甘えがどこかにあるのかもしれない。
毎日の積み重ねは次第に習慣へと変化し、今では、仕事終わりにあの店へ寄ることが私の生活の中にすっかり組み込まれているのだった。
それだけではない。雑誌やネットで情報を収集し、あの店の話題が出る度に欠かさずチェックするようにまでなっていた。自分がここまで何かに執着するというのは初めてで、私自身戸惑っている部分もある。

「そこまでその店が気に入ってるのに、今まで商品を買うどころか店内にすら入ったことがないっていうのは驚きだね」
観念して全ての事情を話した後、レンは意外そうな顔で呟いた。
「私たちは、自分の体型を何としてでも維持しなければならない職業についているんですよ?ケーキを食べるなど以ての外です」
「だからって、今までケーキを見るだけで満足できるのはすげーな……」
「一度だけでも食べてみたらいいのにね」
二人とも、どうにかして私にその店のケーキを食べさせたいらしい。彼等は自分たちの身分を分かっているのだろうか。……いや、私が過敏なだけなのかもしれない。彼等はケーキの一つや二つ食べた所で体型にはまったく影響がないのだから。糖分を過剰摂取した先にある悪夢を知っている私には考えられない話だが。

「つーか、写真見てたら俺も食べたくなってきたんだけど……あっ、そうだトキヤ、俺の代わりにこの店のケーキ買ってきてくれよ!家族の分も含めて4つな!」
ナイスアイディアとばかりに翔が目を輝かせる。ケーキの写真など見せるんじゃなかった。今や翔の目は完全に食欲に支配されている。お子様思考なのだ。
「嫌ですよ。食べたいのなら自分で買いなさい」
「えー?だってお前、毎日この店に通ってんだろ?ついでにケーキ買うくらいいいじゃん」
「そういう問題じゃ……」
「おチビちゃんたってのお願い、叶えてあげなよイッチー。大好きなスイーツを間近で見るチャンスじゃないか」

私はぐっと言葉に詰まる。確かにその通りだ。今まではガラス越しにしかケーキたちを見ることができなかったが、商品を購入するという大義名分があれば、店内に入っていくらでも鑑賞できる。店の外からでは堪能できない、その甘い香りまでも。
この機会を逃したら、私は店内に入るきっかけを永遠に失ってしまうだろう。何せ、自分ではケーキを絶対に買わないと決めているのだから。差し入れという名目で現場のスタッフさんたち用に買うという案も以前に考えたが、現場に着く前に私の理性が崩壊して、差し入れのケーキを全て自分で食べてしまいという事態にも成りかねないということで却下したのだった。あの色とりどりのケーキたちを前にしてその誘惑に勝てる自信がない。
だが、「翔のため」という明確な目的があるなら話は別だ。ケーキを食べたいという衝動に駆られても、これは翔のケーキだと何度も自分に言い聞かせれば大丈夫な気がする。最優先事項はケーキを食べることではなく、それを無事に翔の元へ届けることだと。
瞬時に脳内でシミュレートを繰り返し、私は小さく頷いた。これならいける。

「……いいでしょう」

内心は念願叶ったりという歓喜に打ち震えながら、しかし表面では渋々といった態度を取る。あくまでも私は「頼まれて仕方なく」「不本意に」ケーキを買いに行かねばならない。根っからのスイーツ好きなどと思われては厄介だ。
しかし翔は私のそんな思惑などつゆ知らず、「サンキュートキヤ!」と少年らしい笑顔を見せるのだった。

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