sweetness


8月6日午前0時。
時計の針がその時間を指し示した瞬間、携帯電話の着信音が部屋の中に響いた。しかも、大音量で。

ベッドの中で眠りに落ちかけていたトキヤも、流石に目を覚まさざるを得ない。いつ仕事関連の連絡が来てもいいように、眠る前には着信音を普段より大きく設定しているのが仇になった。
トキヤの眉が顰められる。昨日は珍しく仕事が無かったので早めに就寝していた。しばらくぶりに纏まった休息が取れると思った矢先にこの呼び出し音である。彼の眉間に刻まれた皺は、貴重な睡眠時間を削られたことに対する不快感によるものだった。だが仕事に関する電話なら仕方ない。渋々といった風にベッドサイドに置かれた携帯電話に手を伸ばす。

どうせマネージャーだろうと思っていたのだが、液晶画面に映し出された「一十木音也」という名前にトキヤは目を丸くする。
音也とは「恋人」という言葉で呼ぶべき関係にある。寮の同室だった早乙女学園在学時は会う機会などいくらでもあったが、アイドルとしてデビューしてからは顔を合わせることも少なくなった。デビューしたての頃は音也からの電話が頻繁にあった。しかしあれから数年が経った今は互いに多忙を極めているため、その頻度も減ってきた。音也専用に設定してあるこの着信音を聞くのがひどく久しぶりのように思える。
そんなことを徒然と考えている間にも着信音は鳴り続けていた。まるで、こちらが電話に出るまで絶対に諦めないとでもいうかのように。トキヤの表情が自然と柔らかくなる。自分が微笑んでいることには気づかないまま、トキヤは電話に出た。

「……もしもし」
『あ、やっと出た!もしもしトキヤ?久しぶり!』
スピーカー越しに聞こえてきた音也の大きな声に、思わず携帯電話から耳を離す。相変わらずの元気さだ。
「久しぶりです、音也。こんな夜にどうしました?」
『夜っていったってまだ12時じゃん。あ……もしかして寝てた?起こしたならごめん。でもさ、どうしてもこの時間に電話しておきたかったんだ』
「この時間に……?」

音也の意図するものが分からず首を傾げる。時計を見ると、ちょうど日付が変わったばかりの時間だった。何か特別なことでもあるのだろうか。
トキヤの反応を受けて、音也の声に怪訝そうな色が加わる。
『……トキヤ、ひょっとして……覚えてない?』
いつもなら単刀直入に物事を伝える音也が、珍しく言葉を濁している。彼らしくない不明瞭な物言いだ。トキヤの顔が険しくなる。
「遠回しな言い方はやめなさい。一体何が言いたいんです?」

すると音也は、何がおかしいのか一気に笑い出した。
あーやっぱり覚えてないんだー、トキヤってしっかりしてるように見えて変なとこ抜けてるよねー、そこが良いんだけどさ、などと笑いながら言う。トキヤにはまったく意味が分からない。しばらく会わない間に音也は理解の範疇を超えた人物へと変わってしまったのだろうかと不安にすらなってくる。
電話を切ってやろうかと考え出した頃になって、ようやく音也の笑いが収まったきた。身に覚えのない笑いを浴びせられたトキヤの不機嫌さを感じ取ったらしく、音也は軽い調子でごめんごめんと謝った。そんな謝罪で済むほどトキヤは優しいわけではない。

だが音也にとってはそんなトキヤの不機嫌さすら大したことではないようだった。
『覚えてないなら俺が思い出させてあげるよ』
先程とはどこか違う響きの声。そして、聞こえてきたのは。

『――――誕生日おめでとう、トキヤ』

飾り気のない、素直な祝福の言葉だった。
トキヤは目を見開いて絶句した。危うく携帯を取り落とすところだった。10秒近くの間硬直したまま、ついさっき言われた言葉を頭の中で何度も反芻する。
「おめでとう」「誕生日」「トキヤ」「誕生日おめでとう」……そうだ。今日は8月6日、一ノ瀬トキヤの誕生日だ。
自分の誕生日を今の今まですっかり忘れていた。不覚だった。だがそれ以上にトキヤに驚きを与えたものがある。

「……音也、あなたいつの間に、そんな甘い声が出せるようになったんですか……」

しばらくして、トキヤはやっとの思いで返事を搾り出した。
そう、声だ。音也の声がこれほど心を震わせるものだとは考えもしなかった。
トキヤは電話というツールを甘く見ていた。電話は相手の声が耳のすぐそばで聞くことができる。
音也に耳元で囁かれた経験が無いわけではなかったが、こんなに心を揺さぶられた覚えはない。今の音也の声には、トキヤの心を溶かしてしまうだけの艶やかさがあった。たった数年、されど数年。この変化は大きい。

『俺も少しは大人になったからね』
音也が笑う。過去の記憶にある声よりも少し低い響きで。
何も言い返せないでいると、音也は『じゃあ、もう切るよ』と告げる。トキヤは慌てて引き止めにかかった。
「ま、待ちなさい音也、まさか言い逃げするつもりですか」
『うん。おめでとうって言いたかっただけだから。起こしちゃってほんとごめん。……またね』
「え、ちょっと、」

ぶつり。
トキヤの静止を振り切って通話は一方的に切られた。使用目的を失った携帯電話を握りしめたまま、トキヤは小刻みに震えていた。無論、その顔は暗闇でもはっきりと分かるほど赤く染まっている。この電話が来たのが一人きりでいる時でよかったと心の底から思った。こんな恥ずかしい顔は誰にも見せられない。感情を表に出さないよう常日頃から訓練しているつもりだったが、それも音也にかかれば何の意味も無かった。
トキヤは赤い顔を隠すように俯き、か細い声でぽつりと呟いた。

「卑怯ですよ、音也……」

ああ、今夜は眠れそうにない。





2011/08/06


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