おやすみなさい、愛し子よ


夢を見ていた。

ひとりの少年が夜の道を歩いている。しばらくすると小さな家が見えた。少年が家の扉を叩くと中から少年の祖母らしき人が出てきた。
『どうしました、こんな夜中に』
優しい印象を受ける老婆だ。孫にも敬語を使っているのは習慣なのだろう。夜中の来訪にも関わらず困っている様子はなかった。少年がこうして夜に家を訪れることはあまり珍しくないことなのかもしれない。
『……ねむれなくて』
少年は俯きながらか細い声で答えた。確かに彼の目の下には隈ができている。痩せた貧相な体つきと相まって、この年代の子供にしてはとても不健康そうに見えた。
老婆は心配そうに孫を見下ろしたが、すぐに優しく微笑んだ。
『それなら中へいらっしゃい。ココアでも飲みましょう』


温かいココアの入ったマグカップを手にしたまま、少年はまだ俯いていた。
『不安なことがあるなら私に話してごらんなさい。話せば少しは心が楽になりますよ』
『……』
少年は顔を上げ、隣に座る祖母の瞳をじっと見つめた。祖母は優しい微笑みでそれに応える。視線を外してまた俯いたが、少し老婆に心を開いたようだった。
『とうさんと、かあさんが』
苦しげに言葉を紡ぐ。
『おまえはすごい、誰よりも頭がいい、将来はかならず偉大な人物になれるって言うんだ』
『……褒められるのが嫌なのですか?』
『うん。……でも、褒められて、褒められすぎて、』
『それが逆に、あなたの重荷になっているのですね』
『……うん』
泣きそうな顔だった。
『ぼくに期待してくれているのはよくわかるし、できるだけ頑張ろうと思うんだけど、時々不安になるんだ。とうさんとかあさんは、“勉強ができるぼく”にしか興味がないんじゃないかって』
それきり、少年は唇を引き結んで押し黙った。一口も飲んでいないココアが徐々に冷めていく。
今度は祖母が孫を見つめる番だった。

『そんなことはありませんよ』
少年の不安を包み込むような声で老婆は言った。
『お父さんもお母さんも、あなたが勉強ができようとできまいと、変わらずにあなたを愛してくれるはずです。親子とはそういうものですから』
少年が再び顔を上げた。
『……ほんとうに?』
『本当です』
老婆がしっかり頷いたのを見て、少年は安心したように肩の力を抜いた。冷めかけたココアを一気に飲み干す。そんな孫の姿を、祖母は優しく見つめていた。


ココアも飲んだことですから、きっと眠れるでしょう。もう遅いから今夜はうちに泊まりなさい。お母さんには私から連絡しておきます。
少年は目を擦りつつ、そのような内容の言葉を右から左へと受け流していた。久しぶりに眠気が襲ってきたのだ。安心しきったのと、ココアを飲んだ効果もあったようだ。
寝室まで手を引いて連れていかれ、少年は布団に埋もれた。寝台の脇の椅子に腰掛けた祖母が優しく頭を撫でる。
ゆるやかな眠りに落ちていく中で、少年は祖母が歌う子守唄を聞きながら目を閉じた。



おやすみなさい 愛し子よ
あなたを包み込むのは心地よい眠り
どうか何のさまたげもなく あなたが眠りつけますように
どうか何のさまたげもなく あなたが健やかに育ちますように
どうか幸せな眠りを
おやすみなさい 愛し子よ




(……あれ……?)

ふ、と意識が浮上した。同じ旋律の子守唄が二重に聞こえる。女性の歌声は次第に遠ざかっていき、後に残ったのは聞き慣れた恋しい人の声だった。
薄く目を開けると、ぼんやりと部屋の中の様子が見えた。見える景色は90度傾いている。どうやら僕はソファーで寝ているらしい。
(そうだ、ちょっと仮眠をとろうとして、そのまま……)
ようやく今置かれた状況を理解する。どのくらい寝ていたのだろうか。眠気で霞む視界では、時計の針が示す時間を読み取ることができない。
歌声の主の気配を感じた。ソファーは僕がほぼ占領していたが、そのうちの空いている隅っこに座っているようだった。つまり僕の隣だ。

(子守唄なんて歌えたんだ)

なんだか彼に合わないような気がして思わず顔が緩んだ。先程夢の中で聞いた歌と同じ、優しい旋律だ。時折音が外れるのは彼の歌唱力の低ささに原因があるのだろう。夢の中の老婆はもっと上手だった。しかし、これはこれで良いと思った。彼の歌など滅多に聞けるものではない。
僕が目を覚ましたことにはまだ悟られていないようで、その指で僕の髪に触れてくる。ポケモンを撫でるのと同じ感覚で無意識にやっているのだろうけど、少しくすぐったい。
もうしばらく歌を聞いていたいと願う。せめて彼が僕の覚醒に気付くまでは、この幸せなまどろみに浸らせてほしい。どうかあと1時間くらいはこのままでいられますように、と真剣に念じながら、僕はまた歌声に耳を傾けた。

そして、心の中で確信する。
本当に“感情を捨てる”ことなど彼にはできないのだ。


(だって、こんなに優しい声で子守唄を歌えるんだから)




2010/08/28

アカギさんはおばあちゃんっ子だったらいいな、という妄想から生まれたネタでした。祖母は、幼少アカギさんにとってロトム以外に心を開ける唯一の人。祖母の死をきっかけに彼は孤独を深めていくのでしょう。
アカギさんは歌が下手だったら良いです。仮に上手だったとしても他人の前では絶対に歌わないだろうけど。主人公は、この歌を聞けるのは僕だけなんだろうなーとか考えてニコニコしているはず。
優しさという心を捨て切れないアカギさん萌え。


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