見えない星もきっと美しい


天体観測という名目で野外に出たはいいものの、予想外の寒さに俺達は二人揃って身震いした。「星が見たい」とNがいきなり言ってきたのが悪いんだ。ろくな準備もできず、結果としてくしゃみを連発することになってしまった。せめて気温くらいは調べておくべきだったと今更ながら後悔する。
念のためにと持ってきた毛布が思いがけない形で役に立つことになった。一枚の毛布を二人で分け合わなければいけないから窮屈だ。毛布で覆いきれない部分は容赦なく体温を奪われていく。毛皮を持ったポケモンを出して暖まることもできたけど、今夜は二人きりでいたい気分だった。
こんな寒いだけあって、頭上に広がる星空は格別だ。旅をしていた頃に星を見る機会はあっても、こうして隣に確かな体温を感じながらの天体観測は初めてだった。
少しでも寒さを和らげようと、俺達は自然と身を寄せ合う。毛布の下で手を繋ぐ。その部分だけがやたらと熱い。Nが身じろぎして手を緩めようとするのを許さず、逆にもっと強く握り返した。

「ほら」

Nが南の空を指さした。
「あれが双子座だよ。一番明るい星がα星カストル、その隣にあるのがβ星ポルックス」
どこかの国の神話になぞらえて名付けられたらしいそれらの星は、二つ揃って双子星とされている。あの二重連星に、兄と弟が寄り添いあう姿をイメージした太古の観測者はさぞかし想像力が豊かだったんだろう。俺にはどう見ても、ただ二つの星が偶然近い場所で発生しただけのようにしか思えない。
そのことをNに言ったら苦笑された。
「星座なんて大概そんなものさ。でも、それらの偶然が幾重にも重なり合って、いつしか必然になるんだ」
俺は目を丸くして、隣にいるNに視線を向けた。いつもと変わらない、人形みたいに綺麗な横顔がそこにはあった。

理路整然とした数式を愛するNにしては珍しいことを言うものだと思った。かつては白黒はっきり分けることに固執していた彼が、いつの間に「偶然」なんていう曖昧な言葉を使うようになったのか。
空白の時間を経て変わったことはいくらでもある。一人の人間が積み重ねてきた歳月を他人が分かち合うことができないように、俺はNの全てを知らない。2年の間に何を見、何を聞き、何を思ったのかも。断片的な情報を繋ぎ合わせ、自分の都合のいいように解釈して初めてNという存在を認識できる。

「ボクたちの出会いは、どうなんだろうね」
Nが小さく呟いた。白い吐息が夜の闇に吸い込まれていく。

俺達の出会いは偶然だったんだろうか。それとも、ずっと前から決まっていた?例えばそう、運命のように。
そんなことを俺が答えられるはずもない。偶然であれ必然であれ、今ここに残っているのは俺とNが出会ったという鮮明な結果だけだ。仮に何らかの力が二人の間に働いて、運命が違う未来を弾き出そうとしても、俺はあの時と同じようにNの姿を視界の端に留めていただろうし、Nもまた俺をあの聴衆の中から見つけ出しただろう。そして互いの真実と理想に向き合い、別れ、再びの出会いを経て今こうして同じ星を見る。
……なんだ、何一つ変わらないじゃないか。それをどの言葉で表すかの違いだけだ。必然なり運命なり、好きに呼べばいい。導き出された結果は確かな存在となって俺の隣で呼吸をしている。

俺の中で答えは明確だった。だけどそれをうまく説明できそうになかった。だから途切れ途切れにしか言葉が出てこない。
「……分からない、けど」
「けど?」
Nはちょっと首を傾げて、俺の言葉の続きを待ってくれる。何気ない仕草がたまらなく、好きだ。
「Nがここにいてくれるから、それでいいや」
懸命に絞り出した言葉は、あまりにもお粗末だったけど。俺が感じてるこの感覚はきっと伝わってると思いたい。

「なあN」
「なんだいトウヤ」「……Nは今、幸せ?」

なんとなく、本当にただなんとなくだった。深く考えて発したわけではなかったと思う。唇から零れたその言葉は、夜の静寂に浮かんでゆらゆらと漂った。
「……シアワセ?」
中空に放り投げられた言葉を掬い上げたのは他でもない彼だった。抱えた膝に頭をこつんとつけて、不思議そうな目でこちらを見ている。
「そう。この瞬間、幸せだって感じてる?」
何気なく発した言葉は、二度繰り返されることによってその存在を確かなものにする。
彼は視線を外し、夜空に目を向けた。肩に掛けた毛布がずるりと滑って地面に落ちる。身を切るような冷たい風が二人の間に吹いた。星の輝きがよけいに冷たさと静けさを際立たせた。

「ボクは、幸せだよ」

――Nは、俺の隣で微笑んでいた。それが全ての答えだった。

そこで俺はやっと、自分が何と馬鹿なことを訊いているんだろうということに気付いた。なんとなく零れた言葉だとしても、一度声に出してしまった以上、俺はその言葉に責任を持たなければいけない。だというのに、幸せか、なんて訊いてどうするんだ。彼が幸せだと答えたとしても、逆に幸せじゃないと答えたとしても、俺はろくな反応もできない。せいぜい「そうか」と相槌を打つだけだ。
けれども、Nの返事を聞いて、俺は相槌すら打てなかったどころか、自分の不用意な失言を激しく後悔することになった。

Nは、自分自身が不幸だと思ったことなど、きっと一度も無い。
彼は、「不幸」の象徴であるあの息苦しい鳥籠のような部屋の中にいた時でも、自分は幸せだと答えるのだろう。そう答えざるを得ないのだ。どれが幸せでどれが不幸かを区別することもできず、与えられる全てのことを「幸せ」だと教えられて。
生まれつき盲目の人間が、色のある世界を想像の中でしか描けないように。彼もまた、幸せという概念を過去に置き忘れてしまった。
俺はどうやったらNに幸せというものを教えてあげられるだろう。分からなかった。彼は柔らかな微笑みを浮かべて俺を見る。その表情を幸せと呼ぶのは誰にでもできる。でもそれはたぶん俺の思い込みでしかないのかもしれない。彼が幸せかどうかを知ることは誰にもできないのだから。俺は勿論、N自身にだって。唯一の手段である言葉は真実を映さない。

俺はNの手をぎゅっと握った。体温は彼の方が少しだけ低い。触れたところからじんわりと熱と熱が溶け合って、同じ体温になろうとしている。彼は目を閉じて俺に寄りかかってきた。
この一瞬だけでも胸を張って「幸せ」と呼べたらいいのに。零れ落ちそうになる涙を堪らえて心からそう思った。





2012/08/06


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