ネオメロ04/仮想還元


二人はホドモエ郊外のひっそりとした商店通りに来ていた。この周辺は、電気製品や電機部品などを販売する小売店が集中して存在する地域なのだとトウヤは言う。市の中心部とは違い、薄暗く人通りも少ない。昼間だというのにどの店も閉まっている。
「ここだ」
トウヤが指し示した先にあったのは小さな店だった。
「え、でもこのお店……」
Nは戸惑いを露わにしてトウヤをちらりと見た。この店も、周辺の店同様、中に人がいるような気配がなかったからだ。かろうじて扉に鍵はかけられていないようだったが、だからといって本当に営業しているかどうかも怪しい。

それに随分と古い造りの店で、果たしてこんな所に自分が望むスペックのパソコンが置いてあるのかと不安になる。そんなNの心配をよそにトウヤはすぐ店の扉を開けて中へ入ってしまった。慌ててNもそれに続く。ちりん、と扉に付いていたドアベルが存外に軽い音を立てた。
店内は外装から受けた印象そのままだった。そのあたりに電子機器が雑然と並べられており、埃を被っているのもある。だがNはそれらを見た瞬間目を輝かせた。彼にとっては想像以上に素晴らしい品揃えだったからだ。Nはすぐにでも商品に飛びつこうという勢いだったが、隣にいるトウヤがじっと店の奥を見つめていたので、仕方なくその場に留まっていた。

きょろきょろと辺りを見回していると、奥から店主らしき初老の男性が出てきた。客の応対をするのがいかにも億劫そうな様子だった。
「……なんだい、こんな寂れた店に客とは珍しい。何をお求めで?」
愛想の欠片も無い。この店にしてこの店主あり、と言ったところか。Nは素直に「持ち運びが可能なパソコンが欲しくて」と答えた。すると店主は仏頂面で、電子機器が置いてある机を顎で指し示した。
「なら、そこらへんのもん好きに見ればいい。お前さんのお眼鏡に適うものがあるならな」
これが客への応対だとは到底思えない態度だ。しかしNはそんな態度もまったく気に留めないといった様子で、店主の許可が下りるやいなや、目を輝かせて棚や机の上に置かれたそれらに飛びついた。
「うわああぁ……!すごい、最近のパソコンはこんなに進化しているんだね!」

現在では、USBメモリほどの大きさのパソコンが主流だ。勿論ケーブルなどは必要ない。起動するとホログラム化されたディスプレイとキーボードが目の前に現れ、それで操作することになる。
OS端末に技術革新の波が来たのは十年近く前のことだ。政府直轄の研究機関が、プログラムに関する画期的な数式を発表した。ディスプレイのホログラム化を初めとして、従来の研究では開発までにあと十年はかかるだろうと言われてきた数々の機能がその数式によって実現された。
また、OS開発だけではなく、その数式はありとあらゆる分野において応用され、世界中に莫大な影響を及ぼした。特に軍事開発に関してはその影響が顕著だった。従来とは比べ物にならないほどの破壊力を持った兵器が大量に製造され、戦場へ投入された。
世紀の大発見とも言われるその数式について、政府は「研究機関が総力を挙げて辿り着いた数式」と発表したが、実際はたった一人の天才が幼い時分の戯れで生み出した数式にすぎなかった。その「天才」とは言うまでもなくNのことだ。

「こんなの初めて見たよ……!掌にすっぽり収まるサイズなのに、従来の型を遙かに超す情報量を有しているなんて!ボクが地下にいる間、これほど技術革新が進んでいるとは予想していなかったよ……こんなことならもっと早く脱走しているべきだった!」
今にもその場で飛び跳ねそうな興奮ぶりだった。次から次へと手に取っては歓声を上げ、うっとりと眺め回す。最先端の技術にいたく感動しているNだったが、彼はその技術の元となった理論を生み出したのが自分であることには気付いていないようだった。

おそらくNは、自分の数式が兵器開発にばかり使われていると思い込んでいるのだ。Nの数式が生み出したものは必ずしも悲しみだけではない。だが、そのことを教えたところで満足するような彼ではないだろう。数式が軍事利用されて多くの命を奪っている事実に変わりはないのだから。

トウヤは壁に背を預けて、機械と戯れるNの後ろ姿を黙って見ていた。Nは相変わらず上機嫌で、大きな独り言を連発している。たかだがパソコンでそこまで心を躍らせることができるものなのか、と少し付いていけない気がしたが、Nの境遇を考えればそれも仕方ないと思い直した。
地下研究所にいた頃、Nが使用していたのは相当昔に流通していた旧型のノート型パソコンだ。必要以上に高スペックのパソコンを与えたりしたら何をするか分からないという理由なのだろうが、政府の危惧はものの見事に的中したわけだ。使用していたのは前時代の旧型パソコン、しかもメールと文書入力機能しか設定されていないお粗末なものだったにも関わらず、Nは易々とその設定を破って政府の情報システムに侵入した。Nはそれが至難の業であることを知っているのだろうか。

呼吸をするのと同じくらい簡単に、Nは何重にも張り巡らされたプロテクトを潜り抜けてハッキングしてしまう。元はといえばそれらのシステムもNの数式を下敷きにしているのだ、生みの親であるNが解析できないはずがない。
長年Nを地下に閉じ込めてきた政府の人間の心理が分かるような気がした。数々の機密情報を有する政府からすれば、Nという存在は脅威以外の何ものでもない。こんな無自覚の天才が野放しにされたら、とんでもないことになる。――その「とんでもないこと」に手を貸しているのは、他でもないトウヤ自身なのであるが。


「どうだN、良さそうなパソコンは見つかったか?」
トウヤが声をかけると、Nはしばらく体を斜めに傾けて考え込んでいたが、やがて首を横に二度振った。
「悪くはない、いやむしろパソコンとしては素晴らしいんだけど……そうだな、私見を述べさせてもらうと、ここにいる最新型のパソコンたちは優秀な分頭が固いような気がする。駄目なものは駄目、と規範に従いすぎているんだ。クラッキングなんてしようものならすぐにシャットダウンしてしまうだろうね。それに比べて旧型は、スペックで劣るものの素直で融通が利く良い子だ。多少の無理も通させてくれる」
「……まるでパソコンを人間の子供みたいに言うんだな」
「うん、本当に子供みたいなものなんだよ。同じパソコンでもそれぞれ個性がある。その個性を見極められる人は少ないけどね」
「俺には理解できない領域だ」
「トウヤはそう言うだろうと思った」

Nは苦笑した。感覚が常人とかけ離れていることを自覚しているようだ。いくら分かりやすく説明しようとしても、それが想定したとおり正確に伝わることはほぼ無い。Nがトウヤとの逃避行を始めてしばらく経つが、互いの専門分野に関して納得のいく理解に達した試しがなかった。だが、それは当たり前のことなのだ。生きてきた場所が違う者同士が完全に分かり合えることが出来るほうがおかしい。
感傷的な思考に浸りかけたところに、店主の通りのいい声が店の中に響いた。

「さすが、分かってるじゃないか」
「え、」

突然声をかけられてNは戸惑う。先程まで無愛想の一点張りだった店主が、一転して機嫌よく声をかけてきたのだ。店主はNがパソコンを品定めしている様子をずっと見ており、Nの慧眼にいち早く気付いたようだった。
「お前さんこそ俺が探していた客だ。……どうだ、これを使ってみる気はないか」
そう言いながら店主は、店の奥にある棚の中から小さな端末を取り出してNの掌に乗せた。見かけは何の変哲も無い、店に置いてあるものと同じパソコンだ。しかしNはそれを見るや否やすぐさま起動し、データを確認し始めた。その顔がみるみる驚きに染まっていく。

「これは……」
「マザーボード、ハードディスク、OS……全て俺が一人で作った。そこらのもんとはわけが違う。スペックは最新型の数十倍、外部の情報システムに侵入しようとしてもプロテクトは一切かからん。俺が持ち得る技術の集大成であり最高傑作だ。ま、当然ながらその自由度に比例して制御するのが複雑でな。使いこなすにはかなりの技量を要する。並みのプログラマーではシステムを起動させることすらできんだろう。……お前さんは、もう既にそれを自分のものにしてしまっているようだが」
Nはぽかんと口を開けて、高速で動いていた指を止めた。自分が、無意識のうちにディスプレイを4画面同時に出現させてパソコンを操作していたことにやっと気付いたのだ。
「俺が話しているほんの少しの間に、プログラムを全て書き換えて自分用にカスタマイズするとは、随分と図太い奴だ」
店主は「分かる客」に出会えたのがよほど嬉しいのか、唇の端を持ち上げて不敵に笑った。Nは慌てて頭を下げる。

「ごっ、ごめんなさい、勝手にこんなこと」
「いいや構わんさ。……気に入ったか、そのパソコン?」
「……勿論!これほど素晴らしいものはどこを探しても見つからない!」
「そりゃあよかった、俺も作った甲斐がある。……もしよかったら、お前さんにそいつを受け取ってもらいたいんだが、どうだい。代金はいらないからよ」
今度ばかりはNだけでなくトウヤも驚きで目を見開いた。店主は気にせず続ける。
「このまま店に置きっぱなしにしてたら宝の持ち腐れだ。無駄に埃をかぶるくらいなら、お前さんに使ってもらった方がこいつにとっても遥かに幸せだろうさ。……いいか、どんなに良いパソコンでも、その力を最大限に引き出せる奴がいなくちゃ何も始まらない。俺はこいつを使いこなせる奴を長いこと待っていた。……そして今日、お前さんがここに来た」

店主は笑みを深めた。とうとう、長い間待ち侘びた人間が現れたのだ。
あのパソコンを作るにあたって、膨大な時間と費用がかかった。だが店主にはそのようなことはどうでもよかった。彼は儲けのためではなく、ただひたすらにマシンの限界を突き詰めることに人生の大半を費やしてきた。そんな彼にとってすれば、自身の最高傑作に見合うだけの人物と出会えた、それだけで満足なのだ。
「自信作なんだ、大事に、そして存分に使えよ。そいつの力を最大限に利用できれば、政府だって目じゃねえさ」
店主の言葉に、Nは無意識のうちに強く頷いていた。その行為には、確かな実力を持った技術者に対する敬意が含まれていた。託されたそれを大事そうに腕の中に抱く。まるで母親が最愛の我が子を抱きしめるかのような慎重さだった。


店主に見守られながら、二人は店を後にするため背を向けた。トウヤが扉を開け、先にNが出ていく。トウヤも同様に店を出ようとするが、その間際、視線だけを店主に向けた。
「最後にひとつ、訂正しておく」
「……何だ」
俺の可愛いマシンに文句でもあるのか、と店主は喧嘩腰になりかける。だがトウヤは至って平静だった。
「俺たちが相手にしてるのは、政府なんてちっぽけなものじゃない」
「はん……?だったら、お前さんたちは何と戦ってるって言うんだ」
次に返ってきた言葉は、彼が予想していた答えとはまったく異なるものだった。

「あえて言うなら――『世界』、かな」

そのまま、店と外の世界を隔てる扉はゆっくりと閉まった。ドアベルの音が彼等の退店を軽やかに告げる。
店主は呆気に取られて、出て行った二人の背中を見ることしかできなかった。店主だけが取り残された店内は再び静寂を取り戻す。
「……なんだってんだ、あいつら」
口から零れ出たのは呆れとも感嘆とも取れる溜息だった。

ふと机上に目をやると、一枚の紙が置いてあることに気付いた。おもむろに手を伸ばして紙を手にする。店主はまた驚きで目を剥くことになった。
――それは紛れもなく小切手だった。しかも、途方もない額の。店主は何度も小切手に書かれた数字を見返したが、明らかに桁数がおかしいとしか思えなかった。一人の人間が働かなくても楽に生きていけるだけの――物的価値に換算するなら、戦車が一台買える金額が記されていた。

「あの黒いの……余計なことしてくれやがって」

店主は低く唸った。生憎と店主は彼等の名前を教えられなかったため、「白いの」「黒いの」という呼び方しかできない。あの二人のうち、決して悟られず机に小切手を置いていくという芸当ができるのは「黒いの」しか考えられなかった。軽々とこのような超高額の謝礼をしてくるとあっては、ますます素性が知れない。
だが、「世界」を相手にしているなどと、子供の空想にも似たことをさも当たり前のように言うのだ。彼等にとっては絵空事でも何でもなく、ありのままの事実であり現実なのだろう。とても信じられる話ではないが、しかし。

「……せいぜい頑張んな、お二人さん」

もしかしたら自分はとんでもない相手に助力をしてしまったのかもしれないと思いながら、店主は一人、いかにも楽しそうに唇を釣り上げるのだった。





(その絵空事を笑える人間がどこにいよう)





2012/05/23


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