▼ 閑話:このバカ!

次の合宿までの、二週間の間の話。


冷蔵庫を開けたら飲み物がなかった。
お茶を沸かそうにもお茶のパックもない。だから近場のコンビニに飲み物を買いに行った。
500mlのペットボトルを二本。百円玉三枚と少しの買い物だからいいやと部屋着にコインケースをねじ込んで、つっかけで外に出る。
夜の空気とはいえ暑いのは夏だからだろうか。
エアコンの効いた家から一歩出ると、むわりと湿気の多い熱気がわたしを出迎えた。要らないサービスだ。
徒歩十分くらいのぐにゃぐにゃな道を抜け、少しだけ開けた場所にコンビニはある。ぐにゃぐにゃな道は街灯が少なくて、暗い。ひとりで歩くにはやや心許ないというのが本音だ。まぁ気にしないんだけど。
そしてぐにゃぐにゃからあと数メートルで抜け出すという所でいきなり誰かに腕を掴まれた。
ぶん、と一度振っても取れない違和感。大きな分厚い掌が、わたしの右腕を離さない。
ゾッと背中に暑さのせいではない汗が吹き出し、流れる。

「はなして!」

街灯の光がそれを照らしたので、暗闇から切り抜かれたように、自分より大きな塊が蠢いた。
それは人型となり、わたしの腕を掴む手を顕にした。

こわい。

「何、してるんですか」

初めての感覚に体が震え始めた時、緊迫感を含んだ落ち着いた声がその場に響いた。
低い、でも若い男の子の声。
それに妙に気持ちが落ち着いた。
知っている人だからというのもあったかもしれない。

「警察、呼びますよ」

男の子はスマートフォンを取り出し、はっきりとした声で言った。
それに慄いたわたしの腕を掴んだ大きなざらついた手は、慌てて離れ暗闇に消えていく。
助かった。
そして助けてくれた男の子を見た。
他校のバレー部で、そこまで仲良くはない男の子。大きいけど同い年だから、男の子。
彼はさっきの男の人と同じようにわたしの腕を掴んだ。
ボールを触り続けて固くなった掌が、わたしの皮膚に触れる。
温かい。

「あの、ごめんね。……ありがとう」

彼は何も喋らなかった。
わたしは喉が渇いてきたので飲み物を買って帰りたいのだけれど、離してくれないし、動いてもくれない。
暗い路地にぽつんと立っている街灯に虫が入ったのか、じりっと音がして点滅した。瞬き一瞬程度の時間でも、光が消えちゃった路地は、やっぱり暗い。
そして上から射す光が俯いた顔に影を落として見えなかった。

「この、バカ!」

一瞬何言われたか分からなかった。
だってこの人はいつも冷静で、あの手のかかる先輩をサポートしてて。でも声を荒らげるところなんて一度も無かった、のに。

「あか、あし、くん?」

初めて見た赤葦くんのおこった顔はわたしに向けられていた。
それだけで喉の奥が熱くなる。駄目だ。怒られるの、慣れてた筈なのに。
この人の前では何故か自分らしくいられないことに気付いたのは最近。
そして知り合って長くない。
でもこの人にこんな顔をさせたのが自分だという事に慄いた。

「……ごめん。怒鳴って」

赤葦くんは手を離した。
少しバツの悪そうな顔をした赤葦くんは、わたしをしっかりと見据えた。
目を逸らしたいのに逸らせないわたしはひたすら手を組んで、指を動かせている。

「家狸がどう思ってるか知らないけど、家狸はちゃんと女子だから。気を付けて」
「う、うん。……ありがとう」

女の子扱いなんて慣れてないわたしには、久々の女の子扱いは照れくさくて、でもさっきの事があるから素直に喜べない。
でもわたしは女の子扱いされたいって思ったこと無かったし。ああ、やっぱりこの人の前じゃわたしらしくいられない!
赤葦くんはわたしが混乱している間にいつもの冷静な赤葦くんに戻ってしまった。

「でも、何でこんな時間に」
「家に飲み物無くって買いに来たの」

赤葦くんは、一瞬キョトンとした後呆れたような疲れたような、なんともいえない顔をした。
くだらない理由で申し訳ない。

「ついていく」
「え」
「一人で歩かせるのは危ないし」

赤葦くんはコンビニの方へわたしが歩き出すのを待って、歩き始めた。ゆっくりとした歩調はわたしに合わせてるのかな。
そもそも赤葦くんは何でこんな所にいたのだろう。
わたしは赤葦くんのことを何も知らないから、分からないなぁ。
人一人分よりは少ないけれど、手は触れない。そんな距離感を保ちながら進んだ先で、わたしは漸く彼の手にコンビニの白い袋が掛かっていることに気付いた。


企画「あなたとおはなし」さまに提出。


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