抜けだせタイムリミット

夏の公立高校のエアコンの冷気と夏の汗の臭いが充満する教室の一室。誰かがドアを開けっ放しにしたおかげでむっとした夏の空気が教室に進行し、廊下側の空気は外の空気の温度と同化し始めていた。
女子の香水の甘ったるい臭い。上靴の蒸れた臭い。誰とも知れない汗の臭いと混じって人によっては吐き気を催すような臭いになっている。
夏にバニラはやめとけばいいのに。気分悪くなるし。
いかんいかん。思わず顰めそうになった顔をぺたぺた触って気を紛らわす。流石に不快感を表に出すのはよろしくないよね。私は下に向きそうになっている口角を無理矢理定位置に持ってきた。
目の前では日向くんが文法ノートとにらめっこをしている。
私は日向くんに古文を、仁花ちゃんは影山くんに英語を教える事になっていた。
「あのさ、そこ違うんだけど」
「エッ!?」
「だから、そこのには形容動詞。ひっかけの」
「形容動詞って何があったっけ?」日向くんはパラパラと私の文法書を捲る。要らないと思っていたらしく持ってきていなかったから貸したのだった。
余りに探すのが下手くそ過ぎて手を出してしまう。文庫本より少しだけ薄いそれに目分量で指を差し込んだ。23ページ。当たり。活用表を開いてトントンと四つを指差し日向くんを見た。
「ク活用、シク活用、タリ、ナリくらいでしょ。あと助動詞一覧はここ。その表覚えたら結構稼げると思うよ」だからシャーペンを動かしなさい。
含意を汲み取ったのか日向くんはのろのろとシャーペンを動かした。
仁花ちゃんの方は影山くんにどうやって教えるか四苦八苦している様で、ノートと電子辞書を指して何かを言っていた。
彼の小テストの回答を見る限り、教えるのはかなり難しいのかもしれない。
「船井さん?」
「あ。ごめん。……何?」
「最近ちゃんと目が合うようになった!」
「あ、そうだね」
今そんなこと言われると思ってなかったから答えを用意してない。不要なことは言わなければいいのだけれど。シャーペンを二回ノックして芯をしまった。改めて指摘されると目線がプリントの大きな字に向く。彼の手は意外にも無骨なのか。視界にいつも入ってた黒い髪は一房しか落ちて来ず、視界は全く隠れなかった。
「ちょっと気になってたんだよなー。おれ、何かしたかなぁって思ったけど船井さん他の人とも目合わせてなかったっぽいし」
「あー、それはごめん」
彼にはどうやらバレていたようらしい。この分だと殆ど皆にバレてるのだろう。
日向くんは名前の通り、日当の人間だ。彼の橙の髪は目を引くし、声も大きくて表情だって豊かで彼がそこにいるだけで炎天下にいるような気分になる。端的に言えば私には真っ直ぐ見るのがキツい相手だった。
「あ。船井さん、これ何?」
「あ。それはね、あれ。ちょっとめんどくさい。ずの活用覚えた?」
「ず、ず、ず、……えっと」
「ぬ、ね。未然形にくっつくから……こっち」
「もっ、もう一回!」
「未然形、わかる?」
「分かんない!」だよね。そんな感じしてた。
はて。もう一人はどうなっているのだろうか。
人一人通れるくらいに離れた先の隣の机を見ると、影山くんが白目を剥いていた。
「仁花ちゃん、影山くん死んでるけど大丈夫?」
「ウヒっ!?わ、私の教え方が悪かったばかりに……!」
「……多分違うと思う」
正しくは影山くんに少し理解度が足りないだけだ。
彼らはとことんバレー以外の能力が低すぎる。特に影山くん。彼にはコミュニケーション能力も無いらしい。
「未然形ってさ……」
試験まで後一週間も無い。
これで赤点を避けれるのだろうか。
私はこっそり溜息を吐いた。

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