拍手御礼 | ナノ


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「…利一、さん?」

まさか叩かれるとは思っておらず、驚きで躊躇いがちに名前を呼べば、顔を真っ赤にした利一がなぜかいまにも泣きそうで。
大きな目が見る間に潤み、目尻に涙が溜まっていく。いまの流れで泣き出すような理由がわからず、狼狽から指先までもが硬直し、動くことも出来ずその場に立ち尽くす。
仕事でいかなる状況であってもこれほど動揺などしないというのに。目の前で利一が泣いていると思うと、頭の芯が熱くなり思考が弾けたように白くなってしまう。
こんなとき、普段の俺ならどうしていたのだろうか。

相手が利一ではなく別の、例えばいままでにいた遊び相手であったならと考える。けれどそれは上手くいかずに、名案など少しも浮かんではこなかった。
当然だ。利一が遊び相手と同じなわけがない。他の誰かであったなら、泣こうが喚こうが少しも心が痛むことなどないのだ。適当にあしらってしまえばそれですむ。

「利一さん」

とうとう零れ落ちてしまった涙を拭おうと手を伸ばす。

「触るな…」

小声の、けれどきっぱりとした拒絶にその手は宙で止まった。

「俺は、利一さんのことが大事なんです」

本当は無理にでもこの手を伸ばし、腕のなかにすっぽりと収まる体を抱き寄せてしまいたい。けれど、そうすることはせずに、想いの丈を伝えるため出来るだけ言葉に切実さを込めた。
言葉巧みに相手を騙し、思うように動かしては自分の利益となるように仕向ける。
卑怯といわれようがいまの立場にいる以上、そしてこの世界で生き抜くためには必要なことで、それをこれまで難しいと思ったことはなかった。

相手の質を知り、周囲の状況、そしてそれらに付随してくる情報。この三つの基本さえ掴んでおけば、ある程度の流れなどは緩急傾斜で球体を転がすように行方が読める。
人というのは突拍子もないことをしているように見えて、必ずどこかに行動の元になっているものがあるのだ。
ただ、その条件が利一には通用しない。それは利一がパターンから外れているといったことではなく、見極めるに冷静な目を、俺が利一に対しては向けられないことが大きな原因だった。

小細工などが通用する相手ではない。だからこそ、本音の部分で伝えなければと、なんとか伝わって欲しいという願いを込め告げた言葉に、俯き加減だった利一の顔がゆっくりと持ち上がり、猫に似た目が俺をじっと見据える。

「…知ってるよ、そんなの」

ぶっきらぼうにポツリと呟くと、溢れた涙を手の甲で乱暴に拭いキッとした強い目が睨みつけてきた。
甘い言葉を囁かれた相手の反応にしては尖った視線にさらに戸惑いが増せば、次の言葉を発すことも出来ず佇む俺の手から薔薇の花束が奪い取られた。
道に投げ捨てられる赤い花たちの姿が思い浮かぶ。綺麗に咲き誇った薔薇は無粋なアスファルトの灰色の上に打ち捨てられ色褪せる。
そんな数秒後の光景を想像するも、予想に反して大輪の花束は利一の腕に大事そうに抱えられた。

「無理して受け取らなくてもいいんですよ」
「貰うよ。俺に買ってきてくれたんだろ」
「それは、ええ、まぁ…」

先ほどまでの雰囲気から花束を受け取ってもらえるとは思っておらず、答える声に躊躇いが混ざる。

「怒っているんじゃないんですか?」
「怒ってはない」
「怒っているでしょう」
「怒ってないってば。ただ、心配したんだよ。ほんとさ、こんなとこに一人で来てなに考えてんの」
「心配、ですか?」
「そうだよ。なんかあったらどうすんだよ」

なにか、という利一の言葉に思い当たる節もなく、相手が指している事柄がなにであるのか、頭のなかを探してみても、これだというものは思いつかなかった。
当惑が深まるばかりの俺に暫くは睨んだままでいた相手も、どうやら本気でわからないらしいと気づけば尖る視線を地面に落とし、盛大な溜息をひとつ吐き出す。


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