100万打リク | ナノ


▼ 7




乱れる息を整え、抱えた足をそっと下ろした。
伸ばされた指先が汗の流れた頬を撫で唇をなぞる。キスをせがむような仕草に深く唇を重ねた。佐野の腕が首筋にまとわりつき、昂ぶった鼓動が素肌を通して伝わってくる。
クシャクシャになった赤茶色の柔らかい髪に指を差し入れ、胸の内に溢れる想いの、愛おしさのせめて少しでも伝わればと、優しく撫で梳いた。

「…なぁ」
「ん?」

髪を撫で、瞼を撫で、頬を撫で。少し乾燥した唇に触れ、もう一度口づけようと唇を寄せようとして、掠れた声に重ねかけた唇を離す。

「なかに出すなって言ったよな」
「子供は女の子がいいね。俺に似ても佐野に似ても、どっちも将来有望の別嬪さんだ」
「…阿呆か」

呆れた呟きとは裏腹に、重ねられた唇は温かかった。






その日、一眠りし早朝に叩き起こされた俺は、誰かに見つかる前にと可愛い恋人に叩き出された。名残を惜しむこともなく、あっさりじゃあなと踵を返した背に「薄情者!」と小声で罵ったのはもちろん秘密である。

「で、散々騒いだ挙句、全部まるっと上手く収まりましたってか」

ダカダカとキーボードを打ちながら俺の報告を聞いていた関が、思いっきり不機嫌そうな声で睨みつけてきた。
どうも今朝方からご機嫌麗しくない様子の同僚だ。遠目からこちらを、というより関をチラチラと窺っている忠犬をみれば、昨夜あたりに喧嘩でもしたのかもしれない。
佐野との蟠りを解消してくれたのは吉澤の一言がきっかけだ。いわば恩人ともいえる相手のピンチを今度は俺が救ってやらなければとは思うものの、どうせ関が勝手に機嫌を損ねているだけで、こんな状態は別に珍しくもない。
下手に第三者が介入すれば、関の性格上よけいに話が拗れる。ということで吉澤には悪いが、ここは気づかない振りを決め込むのが最善策なのである。

「携帯も圏外で使えんかったんだと。吉澤に連絡したってのも正確には学校に電話したら、たまたま出たのが吉澤だったってだけで」
「八嶋先生に代わってもらえばよかったんやないん?」

そうすりゃこんな面倒な騒ぎにはならなかったのにという関の非難に、俺の口元は堪えきれずに緩んでしまった。

「なにニヤけとんねん。気持ち悪い」
「いやぁ、それが佐野ツンの可愛いとこなんだって。本人は口にしなかったけどな、多分あれだよ。代わって欲しいってのが素直に言えなかったんだろ。照れ屋だから、佐野ツン」

電話口で何度も言いかけては躊躇う佐野を想像するだけで、あまりの可愛さに、にやけ顔にもなるというものだ。
ニヤニヤ笑っているとダカダカとうるさかった音がやんで、俺と関。そして吉澤しか残っていない職員室が沈黙で静まり返っていた。
これはいけない沈黙。そうと気がついたときにはすでに遅い。俺の顔面に英語の教科書がクリーンヒット。薄っぺらいとはいえ結構なダメージがある。

「教科書投げるなよ!仮にも教師だ…」
「ぁあ”?」
「いえ、なんでもないです。すみません」

教師にあるまじき暴挙に抗議の声を上げるも、相手の手に掴まれた英和辞典を見てすぐさまホールドアップ。あんなものをぶつけられては、顔面複雑骨折だ。
世話になった相手への報告の義務は果たしたわけで、あとは吉澤に任せて退散するのが一番だと、鞄を引っ掴んで立ち上がる。

「お先さん」

職員室を出る前に、ぶつけられた教科書を吉澤に渡してやった。せめてもの恩返しだ。関に近づくきっかけにすればいい。
職員玄関を出ると裏門までの道は桜並木になっている。
いまはまだ花をつけていない木々たちも、佐野が戻ってくるころには淡いピンクの花弁を広げ、冬のあいだの寂しい景色など嘘のように、華やかに彩ってくれることだろう。
あと一ヶ月。
今日は一人で歩くこの道を、可愛げのない仏頂面の恋人と並んで歩く日が戻ってくる。
何気ない日常のひとこまも、あいつが隣にいるだけで、特別な時間になるのだ。



― END ―




prev / next

[ Main Top ]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -