キリリク | ナノ


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膝の上に置いていた手を大きい掌に握り込まれ、耳元近くでそんな台詞を吐かれたのでは動揺するなというほうが無理な話だ。

ああーー、もうっ。物凄い勢いでタラされてるよ俺っ。

たまにこういった恋人にするようなことをやってのける浅北さんが、気持ちを押し隠している俺には憎らしかった。こんな態度も言動も浅北さんにしてみれば婚約者ごっこの延長線上でしかない。そうわかっているのに。それでも嬉しいと思ってしまう自分がいて、この手を握り返したいのに、そうすることを躊躇う自分もいて、なんだかかなり複雑だ。

「食事のあと、今夜はうちに泊まりますか?」
「え、遠慮しときますっ」
「どうして?」

どうしてって、そんなもん俺の心の平穏の大ピンチだからです。
浅北さんの隣でなんて眠れるわけがない。緊張しすぎて俺の繊細かつひ弱な胃が、一夜にして潰瘍だらけになること間違いなしだ。
そんな俺の心の声が聞こえているわけもなく、浅北さんはこちらの葛藤など無視でさらに詰め寄ってくる。

「明日の朝の心配なら大丈夫ですよ。大学へは車でお送りしますから。必要なものは柏田にあとで家まで取りにいかせればいい」
「俺よりも、浅北さんのほうが仕事あるだろ」
「ああ、それならあとは全部、柏田の仕事ですから大丈夫です。今日中に終わりますよね?」
「………終わらせます」

ええっと、なんだろ。いまの声ちょっと涙声じゃなかったですか?
本当に大丈夫なのかと少しだけ顔を上げて柏田を見れば、蒼白を通り越して悟りの境地みたいな顔つきになってるんですけど。

「今夜、楽しみですね」

キラキラ浅北スマイルでそう告げられては、もはや俺に逃げ道など見つけられるわけもない。
その日の夜。
俺が浅北さんの隣で悶々と眠れぬ夜を過ごしたことは言うまでもない。






【 お ま け 】

「柏田さん、凄い量の書類っすね…。これもしかして今夜中に処理ですか?」
「…ええ、まぁ」
「絶対終わる量には見えないんっすけど…俺で手伝えることなら手ぇ貸しますよ」

前が見えないほどに積み上げられた書類に埋もれながら、報告書に目を通し、掛かってきた電話の対応。情報の整理などなど。数え切れない仕事に追われ、気づけば時刻は午前2時になろうとしている。
任されていた仕事を終えて報告に事務所へ戻ってきた平塚に、心から同情するかの目で見られ、有り難い申し出に甘えてしまおうかと頷きかけるも、浮かぶ顔にその動きも止まってしまう。
ここで人の手を借りたなんてことが知れたら、あの俺様なに様鬼畜様な五代目にどんな仕置きを受けるかわからない。
今朝(もう昨日になるが)だって倒れた浅北をベッドまで運ぶという善意をみせたというのに、そのまま一緒に倒れて眠ってしまったがために、髪で隠れた頭には大きな瘤が出来ている。
起きた途端に容赦ない踵落としをくらったのだ。それだけですんでくれていたら良かったのに。まさかあの光景を岸田に見られていたとは…。
不愉快な誤解を招いたことへの腹いせがいまのこの惨状である。けれど、この程度の仕打ちですんだのならまだマシなほうだ。

「あ、そうそう。縁さんから電話があったんですけど、仕事が終わらなかったら例の品を柏田さんに渡すようにって。例の品ってなんなんっすかね?」
「…………」
「柏田さん?」
「…………」
「柏田さーーーーん???」

そうだ。そうなのだ。相手はあの俺様なに様鬼畜様なのだ。
欲しがっていたものをやると言われた瞬間から、この展開は想定しておくべきだった。

死ぬか生きるか。
運命の日の出まであと数時間。
誰か太陽なんて撃ち落してくれればいいのに。



END





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