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「そんな…まさか……」
ことの起こりは、とある日の小鳥さえずる爽やかな朝だった。
「いや…そんなはずは…でもなぁ……」
「なぁにぃ〜りいっちゃん。朝っぱらから不気味にブツブツ。気持ち悪いよー?」
背中に圧し掛かる重みと、不気味やら気持ち悪いやらいう言葉はこの際無視だ。
なにせ俺、岸田利一は朝から青天の霹靂ともいえる事態に直面しているのだから。
神田らしいといえば神田らしい行為の一つ一つに、いちいちツッコミをいれているような場合じゃない。現在俺の脳内は、今朝みた光景でめいいっぱいに満たされているのだ。
「眉間に皺!どうしたの?らしくないじゃない。ほら、いつもの間抜けなアホ面はどうしたの?ねぇねぇ」
いや、やっぱりちょっと殴りたい。
「神田、うるせぇ」
不機嫌そうな高梨の声に、俺の首に両腕を絡めたまま神田の動きがフリーズする。が、反省なんてこの男がするわけもなくすぐに耳の後ろのから楽しげな笑いが聞こえてきた。
この状況で笑い出す意味がわからない。というより神田自体の意味がもとからわからないのだから、これも些細なことだろう。
不意に背中から重みがなくなったかと思うと、振り返った先では超絶仏頂面の高梨が、神田の首根っこを掴み引っ張り上げているところだった。
「なによー、桜ちゃんったら男の嫉妬は見苦しいんだから!」
「黙れ、いますぐそこから飛び降りろ」
「投身自殺は周りの迷惑になるから控えるようにって、死んだお祖父ちゃんが口をすっぱくして言ってたんだよね!」
「安心しろよ。てめえが生きてる以上の迷惑なんてこの世にはねーから」
「存在完全否定ですか」
大学に入学してこの二人とつるむようになって以来、すっかり慣れた喧嘩風漫才を背に後ろ手をついて上体をそらすと、長い溜息をついて晴れ晴れとした空を見上げる。
とても良い天気だ。
ここ数日続いていた雨のせいで、今日こうして三人で屋上にいるのは久しぶりだった。
別に示し合わせて来ているわけじゃなく、いつも集まる約束などしていない。
高梨も神田も、そして俺も各々が好き勝手に屋上に足を向けているだけで、その結果三人が屋上に集うことが多いのだ。
とはいえ今日、俺がここに来たのは一つ目的があってのことだった。
「なぁ、高梨」
ブーブーと文句を垂れている神田を放り投げるように地面に転がしたあと、フェンスに寄り掛かり煙草を咥えた高梨に声をかければ、表情の読み取れない顔が無言で向けられる。
「浅北さんと柏田さんって、仲いいのかな」
上体をそらしたまま顔だけを戻し高梨を見れば、こちらの問い掛けが聞こえなかったのか無表情のまま高梨の唇は動く気配がない。だから、ともう一度声を大きくして言いなおそうとしたところで、高梨の綺麗に整った眉が思いきり歪み、眉間に深い皺を刻んだ。
「はぁ?」
「いや、なんか今朝、浅北さんのマンションに行ったわけよ」
「りいっちゃんたら、朝っぱらから盛大なノロケ話ぃ?」
復活の早い神田がおもしろがる声を上げて隣に座ってくるのを一睨みするも、そんなことで大人しくなるしおらしさなど神田にあるわけがなく、それでそれで?っと興味津々の目で続きを促してくる。
神田の娯楽のネタを提供するというこの状況に抵抗はあるものの、俺としても話を先に進めたいわけで、一先ず神田に関しては無視することに決めた。
「最近仕事がかなり忙しいって一週間くらい音沙汰なくてさ。でもさすがに連絡取れなさすぎだし、体調でも崩してんじゃないかって様子見に行ったんだけど」
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