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「怒っているのは俺だって同じです」
離してくれるどころかさらにきつく手首を握られ、痛みに小さく上げた声は押し殺してはいるものの、苛立ちが十分に滲んだ浅北さんの声にかき消された。
「なんであんたがっ…」
「なんで?利一さんが行きたいと言うから、こうして来たくもないパーティにも顔を出してるっていうのに、突然姿をくらますわ、帰ってきたかと思えばこんな格好で西園寺のバカ社長にベタベタ触らせてるわ。俺が怒る理由なんて十分だと思いますけど」
「はぁ!?」
ちょっと待て。誰がどこに行きたいって言ったって?
俺は一度だってこんなクソくだらないパーティになんか、行きたがった覚えはないんですけど。
「俺、言った覚えねーけど」
「柏田に、豪華なパーティとか行ってみたいって……」
そこまで言ってこちらの顔をまじまじと見据えた浅北さんの顔が、なにかに思い至ったように急激に変化するのを目の当たりにした俺は、ここが北極なんじゃないかという錯覚に陥ってしまった。
寒い。全身が凍るように寒い。
一瞬にして無表情になった浅北さんから立ち上る絶対零度のオーラに、俺の蚤の心臓は心停止寸前。怒りどころの話じゃない。
「あ、あの…浅北さん……」
恐る恐る声をかけてみるも聞こえてくるのは小さな舌打ちで、あからさまに怒鳴り散らして怒られたほうが何倍もマシだ。本気モードでご立腹な浅北さんに、どうしたものかと頭を抱えるも、猛獣使いじゃない俺では良案など思いつくはずもない。
「…あ!」
第三者の助けを求め視線をさまよわせたところ、ちょうど良く生贄をみつけることに成功した。浅北の注意をそちらに向けるべく、パーティ会場の扉から出てきた柏田を思い切り指差す。
浅北さんが振り返った瞬間、柏田の能面顔が引き攣ったように見えたのは…あれ?気のせい?
「柏田」
なに?と思う間にくるりと踵を返して扉のなかに戻ろうとした柏田を、浅北さんのやけに低めた声が呼び止めた。浅北さんの声に足を止めこちらを振り返った柏田は無表情で、やっぱり顔色が悪いようにみえる。
「柏田」
もう一度名前を呼ぶ浅北さんに、眼鏡の奥の目をさり気なく逸らそうとしていた柏田は、
観念したように細い目を更に細めながらも、真っ直ぐに顔を上げるとこちらへ歩み寄ってきた。
「浅北さんっなにやってんの!」
丁度エレベーターの乗り口を挟むところまで来ると、俺を見て軽く下げた柏田の頭は、
頭頂部を鷲掴む浅北の手に寄って下げた状態のまま固定されてしまった。いきなりの暴挙に驚き柏田を助けようと浅北さんの手を剥がしにかかるも、どこにそんな力があるのか、両手で引っ張っても掴む手はビクともしない。
慌てる俺とは対照的にやられている当人は予想していたことなのか暴れようとはせず、されるがまま身じろぎ一つする気配がなかった。抵抗したところで無駄というよりも、もっと上乗せして酷い目にあうことを長い付き合いでわかっているのだろう。
「俺が聞きたいことはわかってるんだろうな」
「…申し訳ありませんでした」
なに、とは聞かないところをみれば、柏田には浅北さんのご立腹の理由がわかっているらしい。けれどいままでの流れのなかで、柏田が浅北さんに怒られなければならないことがあっただろうか。
「くだらん嘘までついて人をこんな場まで引っ張り出しやがって。おまえのその見えてるのかもわからない目を、完全に見えなくしてやろうか。なあ、柏田」
柏田の頭をグイグイと下に頭を押さえつけ、冗談と笑おうにも本気の冷たさのある声音で告げられたのでは、笑うに笑えない。というより浅北さんの場合、こんな脅し文句ですら本気なのだからたちが悪い。
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