キリリク | ナノ


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「ちょっ!」

スリットから露出した太腿を撫でる手。偶然触れてしまったなんて謙虚さなどない、あきらか意思をもってなぞりあげる動きに、一瞬にして強い嫌悪感が込み上げてきた。
胃の中をグルグルとする嘔吐感にシャンパンを飲むどころではなく、このままぶっかけてやろうかとグラスを持ち上げる。
パシャリという水音が聞こえたかと思えば、肩にポタポタと冷たく濡れた感触。見ればセクハラ男の髪から水滴が滴っていて、唖然とした顔も水のようなもので濡れてしまっていた。
俺、まだなにもしてないんだけど。
確認するように手に持ったグラスを見ても、やっぱり中身はちゃんと入っている。

「利衣さんこちらへ。そのままでは濡れてしまいますから」

そこから離れろとやんわり告げられ、聞き覚えのある柔らか低音ボイスに本能的に前を見ることを拒否した俺は、わなわなと震える男から離れたい気持ち半分。痛いくらいに突き刺さってくる視線が怖くて動きたくない気持ち半分。じつに究極の選択状態だった。

「ドレスが汚れますよ」
「あっ」

浅北さんの一言に、弾かれたように男から体を離す。自分の服ならともかく、着ているドレスは冴子さんが貸してくれたものだ。見るからに桁違いだろと言いたくなるほど高価なものなのだ。汚しでもしたら、学生の身である俺には弁償なんてとてもじゃないが出来ない。
慌てて男から離れた俺は、上手い具合に浅北さんの腕にキャッチされてしまった。
ギュウギュウと腰に回した腕で締めつけられ文句の一つでもと思えど、どんな顔をしているのか考えると恐ろしくて振り向けない。
神田にホイホイとのせられてこんな作戦を決行したことに、いまさらながら俺は深い後悔を覚えていた。
だって、見ろよこの浅北オーラ。
俺以外の男とイチャコラしてんなよ。おでこツンなんて痴話喧嘩レベルの空気じゃない。
横に流した視線の先に偶然みつけた翔太は、エレベーターで見たときなんかよりも、さらに土色にした顔色でいまにも逃げ出しそうなほど腰が引けているし。その隣では翔太ほどのリアクションはないものの、普段のすました顔を顰め、こちらを見て溜息を零す柏田がいる。
一瞬にして凍りついた空気を察したのか、パーティ会場は水をうったように静まり返り、修羅場確定のような3人を心配そうに、または興味深そうに眺める客たちの目がかなり痛い。
サクサク刺さるなんてもんじゃない。グサグサ刺さる感じ。視線の痛さが半端ない。
この状況から逃げ出せるなら、いっそのことあの窓から飛び降りてもいい。ここ11階だけれど。

「いきなり水をかけるなんて失礼じゃないかっ。私が誰だか知っていてこんな無礼なことをしでかしてくれたんだろうなっ」

あそこから飛び降りて怪盗ルパンのように、ハングライダーでビューンなんてのもいいか。なんて妄想世界にトリップしていた俺は、突然聞こえた大声に無理やり現実に引っ張り戻されてしまった。
怒りを露に真っ赤になった顔を歪ませた男は、いまにも掴みかからんばかりに俺の後ろ。つまり浅北さんを睨みつけている。

「西園寺グループ会長のお孫さんでしょう?うまくカモフラージュされているようですけど、このところ、あなたが任せられているソリエティックサロン社の経営が芳しくない様ですね」

しれっとなんてことを言い出すんでしょうか、この人。
事情をまったく知らない俺でも、この場所でするには少々、いや、かなり相手の怒りに油を注ぐ発言だということがわかる。

「で、出鱈目を言うな!経営に問題なんてっ」
「光彦様が心配されてましたよ。あなたのお爺様とは親しくさせていただいてまして」

相手の言葉を遮る浅北さんの声は、どことなく楽しそうだ。振り向かなくてもその顔が笑っているだろうことが伝わってくる。
わざと煽るようなことを言って、挑発に相手がのってきたところで的確に叩き落すのが浅北さんのよく使う手であることは、ここ一年の付き合いで、いやというほど理解している。
溜息を抑えて男を見れば、握った拳を小刻みに震わせ、赤から青になってしまった顔を歪ませて立ち尽くしてしまっていた。
よく見る反応だが、何度見ても気の毒だと思わずにはいられない。相当痛いところを突かれたのだろう。反論の言葉すら出てこずに黙り込んでしまった男に、さらに追い討ちをかけるよう、浅北が小さく笑ったのに気づき、もうそのくらいで勘弁してやれよと諌めるため、腰に巻きついていた腕を掴んだ。
みんなの前でこれだけ恥をかかされたのだから、現状だけでかなりのダメージだ。
ちょっと女。まぁ実際は男なんだけど。をナンパしただけで、この仕打ちではさすがに気の毒すぎる。それにハーレム作戦なんて考えていたことに対しての負い目もある。

「もういいってっ。ちょっと足撫でられただけだし、そこまで…っ!」
「そうですか」
「どこ触ってんだよっ」


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