Y&Sシリーズ | ナノ


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さっきから張り詰めた空気が室内をしんと静めていた。
窓際に立ったまま、ムスッとした顔で沈黙した口に煙草を挟んでいる八嶋を窺い、こっそりと溜息をつく。
修学旅行が終わり、三年間の思い出に残る大きな行事の余韻を引きずる9月末日。
八嶋から頼まれ、引き取りにいってきた旅行中に撮った写真を渡すため、化学教官室に来た。まさかこんな状況になるとは思いもせずに。

「知らなかったんです。仕方ないでしょう」

空気の重苦しさに堪えかねて口を開けば、恨みがましい視線が一つ投げて寄越される。

「別にぃ。怒っちゃいねーしぃ」

嘘つけ。怒っているじゃないか。しかもかなり子供っぽく。
これが三十路になった男の態度なのだろうか。いい年をしてみっともない。
4日前が誕生日だったなんて、今日初めて聞いたのだから仕方ないだろう。知っていれば、いくら自分だってプレゼントの一つくらい用意していた。
面倒。そうは思うも嫌いにはなれないのだから、恋愛というものは理解し難い。

さて、どうやって宥めようか。

新しい煙草に火をつけ、思案に沈む。
食べ物でつるか。それとも遅くなったがなにかプレゼントでも。
食べ物、といっても八嶋の好物がわからない。プレゼントも同様、なにが欲しいのか考えつかなかった。
思えば八嶋という男のことを自分はなにも知らない。
再び八嶋を覗き見る。
緩く癖のある黒髪。垂れた眠そうな目。今日は無精髭が綺麗に剃られている。
白衣は皺が寄っていて、ルーズさを際立たせる足元の便所サンダル。
きちんとしていれば二枚目。それなのに、だらしのない頓着のなさが台無しにしていた。
井坂は綺麗な女だった。それに比べて俺は、この男のどこがいいんだろう。
必死に機嫌をとろうとしている。好かれていたい、そんなことを思う。
なにも知らないことが気にかかる。他人になんて興味のなかった自分が、知りたいと思うなんて。
不意に笑えてきた。可笑しいんじゃない。自分のなかの変化が嬉しかった。

「なに笑ってんだよ、やらしぃなぁ」

口元に浮かんだ笑みを八嶋に見つかった。怪訝そうな相手に、紫煙を一吸いして、息と一緒に大きく吐き出した。

「なに考えてたんだよ」
「別に」
「言えっての」
「どうすりゃ機嫌が直るのか」

答えれば益々わけがわからないといった顔で八嶋が頭をかく。
悩みこそすれ笑う意味がわからないのだろう。
目を細め、眉尻を垂らして顔を顰めるその表情が好きだった。






まったく、なにを笑ってやがる。
考えていることが表層に上がりにくいのか、佐野の考えを読み取ることは難しい。
いまだって、普通こんな状況で笑うか。
誕生日を無視されたことは仕方ないと思っていた。佐野に誕生日の話などしたことがない。
もしかして、と淡い想いで27日、何度も携帯を確認していたことなど、言ってしまえば自分の勝手な期待だった。
だから本当に怒っているわけじゃない。ただ少し、拗ねてみただけだ。
付き合う以前からそうだったが、佐野は必要以上にプライベートに踏み込んでこない。こちらが話せば聞く。話も振ってくる。けれど個人的なことに関しては、まるで興味がないのか話題に出そうともしない。
言外に、あんたに興味はありません。そう言われているようで、佐野の気持ちを聞いたいまでも、互いの距離感が不安だった。

好かれているとは感じる。
周囲に対する態度より、自分に接する佐野は素直じゃなく素直だ。
ただもっと俺に興味を持って欲しい。執着して欲しい。
そう願うのは贅沢なのだろうか。

「八嶋先生」

名前を呼ばれ、いつの間にか佐野が目の前まで近づいていたことに気づく。
伸びてきた骨ばった指が銜えた煙草を奪い取る。佐野の片手が背にした窓のカーテンを引いた。
俺よりも少し低い身長。伸び上がった体につられて腕を回す。少し前傾してやると、唇に柔らかなそれが押しつけられた。
どちらのものともつかない、煙草の独特な匂い。苦いはずの甘い口づけ。

「なにか欲しいものは?」

お前の関心。

「吉牛」
「安上がりですね」

ああ、俺は安上がりなんだ。

この目がこっちに向けられている。たったそれだけのことで、馬鹿みたいに嬉しくなるから。
綺麗な夜景の見えるレストランで、高い料理とワイン。それにブランドの指輪。
そんなものなんかより、小汚い居酒屋で二人、互いの話をしよう。
11月11日の、おまえの誕生日には。



― END ―





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