Y&Sシリーズ | ナノ


▼ 21

ふらつく足を引きずりながら店に入ると、案内を断わり店内を見回す。井坂は喫煙の習慣がないため、禁煙席を探すもその姿は見当たらなかった。
来なかったのか。
酷く空虚な気分で店の外に引き返そうとした腕を、細い指に掴まれた。振り返った先に、探していた姿があった。

「外に出るときはちゃんと着替えてねって、いつも言ってたのになぁ」

こちらの格好を見て井坂が小さく笑う。からかうように、可笑しそうに。二年間で見慣れた笑顔で。
けれど目だけが違っていた。どこか悲しげな色に沈んでいる。

「そんなに息が切れるくらい、走ってこなくてもよかったのに」

腕を掴んでいた手がそっと外され、激しく上下している肩を撫でた。労わるような手つきが、いつもと変わらず優しい。

「井坂…」
「座ろっか」

話は席に着いてからにしようと肩を押されて促される。井坂が向かったのは喫煙席だった。煙草を吸う自分に合わせて、そちらの席を選んでくれていたのだろう。
見覚えのある鞄の置かれた席に先に井坂が座り、その向かいに腰を下ろす。テーブルにはアイスコーヒーが二人分置かれていた。

「とりあえず、飲んで落ち着いたら?」

勧められて大人しく、自分に用意されていたアイスコーヒーを飲む。井坂はこちらの息が整い落ち着くまで、自分からはなにも言わずに待ってくれているようだった。
走ったせいで乾いていた喉が、水分を取り入れたことで潤い、呼吸も幾分かマシになってくる。息苦しさも和らいできたところで、呼吸を整えようと大きく息を吐き出した。

「井坂」
「うん」
「…ごめん」
「……うん」

乾燥はなくなったというのに、名前を呼んだ声が苦しげに掠れてしまう。言葉足らずな謝罪の言葉も、さらに小さく掠れてしまった。
それでも井坂は微かに微笑みながら頷く。痛みを堪えるように切なげに笑う彼女を見たのは、これが初めてだった。
いつも井坂は明るく笑っていて、それは彼女を避け始めてからも変わらなくて。
辛くなかったはずがない。きっと自分の知らないところで、何度もこんな顔をしていたのかもしれない。

「ハルが離れていってたの、知ってたんだ」

ポツリと零された言葉に俯きそうになるのを堪え、顔を上げ続ける。これ以上、井坂から逃げることはしたくなかった。

「今日行ったのはちゃんと話さないとって思ってだったんだけど、バスルームから女の子出てくるし咄嗟に逃げちゃったんだ。妹さん、気を悪くしてなかった?ごめんね」
「…なんで」
「え?」
「なんで井坂が謝んの?」
「…………」

こんなにも傷つけた男に、どうして井坂が謝ることがあるというのか。責められて当たり前で、詰られたって言い訳の一つすらできないことをしてきたというのに。
謝らないで欲しい。その言葉を告げるのは自分のほうなのだ。

「井坂が謝らなきゃいけないことなんて、一つもない」
「…ハル?」
「俺が……ごめん、井坂。ごめん…」

ごめんなと、そんな言葉にどれだけの意味があるのだろう。薄っぺらな気がして、それを補おうと何度も口にするけれど、伝わらない。こんな言葉だけじゃ足りない。
そんな方法でしか伝えるすべを知らない自分自身が、情けなくて腹立たしかった。

「ごめん…」

下げた頭がテーブルにあたりかけるところを、頬に触れた井坂の手が遮り、ゆっくりと顔を上げさせられる。正面に見据える井坂の顔が、先ほどよりもさらに苦しげに微笑んでいた。

「もういいよ…」
「井坂…」
「もういいの。ハルがこうやって来てくれただけで、十分だから」


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