Y&Sシリーズ | ナノ


▼ 20

好かれているのかと考えたことは何度もあったが、その逆を考えたことはなかった。
男同士で恋愛感情を抱くことを気持ち悪いとは思わないし、同性愛だっていまどき珍しいとも思わない。ただ、自分が男を好きになるなんて思ったこともなかった。
同性どころか、女相手にだって薄っぺらいとしか言いようのない恋愛ばかりしてきたせいで、恋愛感情がどういったものなのかすら、よくわかっていなかったのだ。
気がつかなかったとしても無理はない。
相手に言われて初めて自覚したというのも情けない話だが、もう誤魔化しようがなかった。
キスされたのだって驚きはしたが、いやだとは感じなかった。自分から避けておきながら気になって仕方なかったことも。
八嶋に向いた苛立ちは、なかったことにされたくなかったからだ。

――― 俺は八嶋先生が好きなんだ。


うるさいほどに鳴っていた鼓動が落ち着きリビングに戻ると、テーブルの上に几帳面な文字で≪帰ります≫とだけ書かれたメモが置いてあった。
秋の荷物がなくなっているところを見れば、夏深と一緒に帰ったのだろう。言い合う声は聞こえなかった。
夏深にも秋にも気をつかわせてしまったのかもしれない。

喉の渇きをおぼえて冷蔵庫にスットクしている、ミネラルウォーターを飲んだ。ペットボトルの中身を半分ほど一気に飲み干したところで、一人きりになった部屋に携帯の着信音が鳴り響いた。
存在を主張するかに鳴り続ける携帯を手にとると、表示されている名前に通話ボタンを押す指が止まる。
井坂だった。
秋とのことを誤解させたまま、追いかけもせずに放っておいたことを思い出し、電話に出ることを躊躇う。
それに八嶋への気持ちに気づいたいま、井坂との関係を続けていくことは出来なかった。それをどうやって伝えるか。
心の準備をする時間もなく訪れたときに、悩む気持ちが強く電話に出ることが出来ず光り続ける携帯を見つめ息を詰める。そうしているうちに着信音が途切れ、部屋のなかに静けさが戻った。
切れた電話にホッとするよりも罪悪感が胸に募っていく。
井坂は、こんな自分のことを本当に好きでいてくれたのだ。
誰とも長く続いたことのなかった自分が、二年ものあいだ付き合ってこれた相手。それは井坂のおかげで成り立っていた関係だった。

どれだけ我慢を強いてきたのか。
どれだけ辛い思いをさせてきたのか。
面倒臭い、どうでもいいと、ちゃんと別れることもせず、自然に任せ消滅させようとしていた。不誠実なこちらの態度など、賢い井坂のことだ。気づいていたに違いない。
八嶋の態度に苛立っていたことを思い出す。きっと井坂はそれ以上に苦い思いをしていたのだろう。それでも、なにも言わずに待っていてくれたのに。

「…………」

指が動いていた。リダイヤルでコールを鳴らす。
二回目のコールが鳴ったところで、コール音が途切れた。

『…ハル?』
「うん…」

普段と変わらない声。けれど少し震えているように感じる。声の後ろから聞こえてくるのは外の喧騒だ。この辺りでそれだけの賑やかさなら、井坂はいま駅の近くにいるのかもしれない。

『さっきの女の子、誰?』
「妹。この前から泊まりに来てた」
『…そっか』

頷いた井坂の声は納得したというよりも、どこか諦めたものだった。

「井坂、本当にあれは…」
『ハル、別れよう』

妹なのだとさらに言い重ねようとしたこちらの言葉を遮って、ひどく静かな声が告げた。
責めることも怒ることもせずに落ち着いた声音で告げられた別れが、井坂の優しさを伝えてくるようで携帯を持つ手が震える。

「井坂、いまどこ?」
『…駅前にいるけど』
「近くのファミレスにいて。すぐに行くから」

それだけを言って通話を切る。部屋着にしているスウェットのまま、サンダルをつっかけて部屋を飛び出した。
これほど全力で走ったのは何年振りだろうか。日頃の運動不足のせいで足は痛むし脇腹も痛い。息が切れて脳に酸素が回りきっていないのか、頭までクラクラしてきた。
それでも走る足を止める気にはなれず、駅前のファミリーレストランの前についたときには、喉は切れそうなほど、肺は破れるのではと懸念するほど痛んでいた。


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