Y&Sシリーズ | ナノ


▼ 19

「なによっ!」
「なんだよっ」
「おまえら、いい加減に…」

堪忍袋の緒も切れるというものだ。二分と持ちやしない。
いまに立ち上がって掴み合いすら始めそうな二人に、額の血管が脈打つのを押さえ仲裁に入ろうとした。が、タイミングの悪い客もいたもので、本日、三度目になるインターホンが鳴った。
放っておくわけにもいかず、舌打ちたいのをこらえ煙草を灰皿で乱暴に消すと、点滅する子機の受話器を取りに立つ。

「はい、どちらさん?」
『……さ、…や、………』

聞こえやしない。怒鳴り合いの騒音のせいで、受話器越しの声が掻き消されてしまっている。

「ホントもう、うるせえよ、おまえら」

言っても白熱しているこの状況ではどちらも聞こうとしない。早々に諦めて受話器を戻し、騒音の元を放って玄関に向かった。
リビングのドアを開けたところでその足が止まる。人間、急に脅かされると心臓が口から飛び出そうになるとよく聞くが、まさにその状態だった。

「なんか怒鳴り声聞こえたし、なにかあったんかと思って。ドア鍵あいてたぞ」

玄関の開いたドアのところに立った八嶋が、立ち尽くしたこちらを見て気まずそうに口元を歪める。

「いきなり来て悪かったよ。そんな迷惑そうにすんなって」
「なんで…」
「なんでって、話があんだよ。学校じゃおまえすぐ逃げるし」
「逃げてなんていません」
「逃げたよな、今日。どっかのゲームのすばしっこいスライムみたいに、すぐ逃げやがって」

化学教官室でのことを思い出した。カッと顔が熱くなる。秋たちの件で押し込めていたものが一気に表層にのぼり、あのときのように頭のなかが真っ白になった。
井坂のことでも、こんなにうろたえることなんてなかったのに。相手がこの男になると、こんなにも感情のコントロールがうまく出来ない。
八嶋の行動一つに、心が揺さぶられる。振り回される。
自分はもっとドライな人間だと思っていた。感情の起伏が激しいほうでもない。
それが他人の、それも職場の同僚一人に振り回されるなんて。

「なんで逃げたんだよ」
「知りません」
「おまえね。俺があのあと、どんだけ悩んだと思ってんの?春からずっと俺のこと避けてたから、気持ち悪いって嫌われたんだと思って身引くつもりでいりゃ、あからさまに意識してますって態度とるしよ。悩むっつの」
「そんな態度とってません」
「嘘つけ。チラチラこっち見てただろうが。好きな奴の視線に気づかないほど、俺だってそこまで鈍かない」
「あれは…」
「なに?」

無意識に。そう言いかけて口を噤んだ。自分でもおかしなことだとわかっている。なんとも思っていない相手なら、勝手に目が追いかけたりはしない。好きな奴といった八嶋の言葉に、こんなに心臓が騒いだりなんてしないはずだ。
この痛みは不快感からじゃない。
むしろ…。

「帰って下さい」
「はぁ?また途中でほっぽり出す気かよ。冗談じゃねえぞ」
「帰れって言ってんだろ!」

感情的に声を荒げて怒鳴りつければ、なかに入ってこようとしていた八嶋の動きが止まる。

「…わかった」

佐野の後ろにいる二人の姿に気づくと、渋々ながらも八嶋の足が玄関外へと向けられた。ドアが閉まり誰もいなくなった玄関に肩の力が抜ける。溜息が大きく漏れた。
不穏な空気に喧嘩どころではなくなったのか、いつの間にか傍にきていた夏深が滅多にみない長男の感情的な姿に戸惑った顔をしている。その隣で目に見えて秋がオロオロとしていた。二人の脇をすり抜け寝室に入る。誰かと話す余裕すらなかった。

「好きだってのかよ…」

口に出した途端、耳までも熱く熱をもって真っ赤に染まった。心臓の音しか聞こえないくらい、鼓動がうるさく響く。立っていることも辛くドアに背をくっつけたまま、ズルズルと床にへたり込む。


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