Y&Sシリーズ | ナノ


▼ 8

このままだと全部の料理を勧められそうだと、吸っていた煙草を消して箸を手に取る。
八嶋がいうだけあって、薄味ながらしっかりと舌に馴染む鰤大根の味は、たしかに美味い。
正直店構えから味の期待をしていなかったけれど、予想はいい意味で裏切られた。美味い肴に酒もすすみ、店内が混み出したころには、二人してビールから冷酒に切り替えていた。
片手に収まる冷酒グラスになみなみと酒を注ぐ。辛口の日本酒を一息に飲み干すと、三杯目あたりでアルコール特有のくらりとした酩酊を感じた。
目の奥がじんわりと熱くなる。ほどよくまわった酔いが心地よい。

「八嶋先生っていくつなんですか?」

そういえば、出会ってから一度も聞いたことがなかった。
言動や態度で三十路を越えてはいるだろうと思っていたが、聞けば三十路手前で、佐野の4つ上。29才だという。
落ちかけたネクタイを、シャツの胸ポケットに入れなおしている八嶋を改めて見と、言われてみれば見た目はたしかに若い。

「もっといってると思ってたのに、て考えただろ」

佐野の空になったグラスに新しく酒を注ぎながら、八嶋が恨めしげに言う。否定するのもいまさらで、答える代わりに笑って注がれた酒を飲んだ。
引き戸の開く音に何気なく店の入り口に目をやった。入ってきたサラリーマン風の男が、あっといった顔でこちらを見る。
真っ直ぐにこちらへ歩いてくる男に知り合いかと記憶を探るが、思いつく人物はいなかった。それも当然で、寄って来た男が声をかけたのは、佐野ではなく隣に座っていた八嶋だった。

「よぉ、久しぶりだな。今日来てたのかよ」

気安い声に八嶋がようやく相手の存在に気づき顔を上げる。久しぶりだと返す八嶋に、男が佐野の隣に座って店員に、とりあえず生と声をかけた。八嶋が座っているのは端席なので隣に席はない。

「最近は家の近くで飲んでたからな。仕事帰り?」
「そっ。新入りが取引先と揉めて、それの尻拭いで最近いつもこの時間の帰宅だよ。ホントありえねーわ」
「そりゃ災難だな」
「こちらさんは?」

そこで初めて佐野の存在に気づいたように男が八嶋に尋ねた。自分から名乗るのも面倒で黙っていると、共通の知り合いである八嶋が二人の紹介を引き受ける。

「佐野先生。勤め先の同僚。で、こっちはここの常連で浅田さん」
「佐野さん?どーも、浅田です。八嶋さんとはこの店仲間です」

仕事は営業だろうか。明るい笑顔で話しかけてくる浅田に、小さく会釈で返す。
運ばれてきた生ビールを受け取ると、乾杯代わりにジョッキをちょっとだけ掲げ美味そうに飲み出した。

「八嶋さんの同僚っていうと、佐野さんも教師なんですよね。なんの担当なんですか?」
「いえ。俺は養護教諭なんで」
「養護教諭って保健室の先生ですか。高校のとき、俺もよくお世話になりましたよ。あ、病弱とかそういうわけじゃなくて、サボリに行ってただけなんですけどね。やっぱりサボリの生徒って多いの?」
「保健室に来る生徒は、サボリに来ているのが大半ですね」
「いまも昔もそんなに変わんないんですね。俺のときも保健室って人気で、そのときの先生っていうのがまた美人だったんですよ。ちょうど佐野さんぐらいの年だったかな。あの年の男って、年上に憧れやすいじゃないですか。マドンナっていう。なんかそんな感じになってて」

よく喋る男だ。
無視するのも失礼かと愛想程度の返事を返す佐野に、その倍以上の言葉が返ってくる。この手のタイプが佐野は苦手だった。
知り合いだという八嶋には申し訳ないが、浅田のマシンガントークに、うんざりとした気分で相槌だけを返す。
しばらくすると曖昧な返事と素っ気ない態度の佐野に興味が失せたのか、浅田が今度は話し相手を八嶋に変えた。アルコールでさらに加速した口は、職場とは関係ない八嶋を相手に、仕事の愚痴まで吐き出す始末だ。程よく調子を合わせ浅田の話に付き合っている八嶋を、このときばかりは心底尊敬した。
口を挟む気にもならず手酌で酒を呷る。二人の会話を聞くことはせず、ひたすらグラスを空けた。

「大丈夫か?」

何杯目になるかわからない酒を飲み干したところに、隣から声をかけられた。途中で八嶋と席を代わったため、佐野の隣に座っているのは八嶋だけだ。反対側には壁がある。
いつの間にか浅田の姿が消えていた。カウンターに煙草が置いてあるから、トイレにでも行っているのだろう。
心配そうに覗き込んでくる八嶋に、大丈夫だと答えようと口をひらくも、うまく舌が回らない。目の奥に熱っぽい痛みが広がっていた。
平衡感覚も危うく、自分がまっすぐ座っているのかもわからないくらいで。かなり酔っていると自覚したとたん、きつい眩暈に襲われた。


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