Y&Sシリーズ | ナノ


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「ハル、大丈夫?」
「…なに?」

さきほどから、テーブルの上に置かれたアイスコーヒーを眺め、生返事を繰り返す恋人に、心配げに声をかけた井坂千尋は、返ってきた間の抜けた返事に、呆れ顔で溜息をついた。

5月。
満開だった桜の木が葉桜になり、肌寒かった気温も、日中には春用のコートを羽織るのも暑いと感じる日が続いている。
日曜日の今日もまさにそんな天気で、混み合う店内を避け、街道沿いにひらいたテラス席に座ったのが一時間前だった。歩きどおしで疲れた足の痛みが和らいだころにはランチタイムを過ぎ、店内の騒々しさも落ちつきを取り戻していた。
テラスには井坂の前に座る佐野倖春、二人の他には二席ほど離れたところに、女子高生の二人連れがいるだけになっている。
そんな周りの様子に、たったいま気がついた佐野を見抜いたように、井坂が二度目の溜息をついた。

またやってしまったらしい。
別に、この時間がつまらないというわけじゃない。
井坂と付き合い始めてもうすぐ二年になる。
過去に何人かと付き合ったことはあるが、もって一年という記録を更新していた佐野にしてみれば、長く続いているほうだ。
高校の同級生であった井坂と再会したのは、たまたま出席した同窓会の席で。3年のときに同じクラスになったものの、親しく会話した記憶はなかった。けれど、知的さを感じさせる整った彼女の容姿と気さくな人柄で、男子生徒のあいだでは密かに人気が高かったこともあって、佐野も井坂のことは覚えていた。
そんな井坂から想いを伝えられたのは、再会してから半年後。
このカフェの、そのときはテラスではなく店内でだったが、ちょうど恋人と別れたばかりだったところに、最初はお試し感覚で付き合ってくれればいいからと、言葉の軽さとは違い泣きそうな顔で告白されたのだ。
最低なことだが、断わるのも面倒といった気持ちでその告白に頷いた。あのときはこんなに長く続くとは思ってもいなかったのに、気づけば二年。

井坂は寛大だ。いまも、上の空だったことを責めるでもなく、溜息をついたあとは仕方のない人ね、とばかりの苦笑ですませてくれている。

「それで、行ってきたわけ?」

このままではさすがに申し訳なく、さっきまで相手が話していた結婚式の話題を持ち出せば、一瞬驚いた顔をしたあと、明るい笑顔が返ってきた。
聞き流されていたと思っていた話が、ちゃんと伝わっていたことが嬉しいのだろう。

「先週の土曜日にね。式に行くといいなぁって思っちゃう」
「結婚したいの?」
「えっ?いや、そういうわけじゃないの。ただ、憧れっていうか、いつか挙げるならこんな式がいいなっていうか…」

ミルクティーに手を伸ばす井坂の目が泳いでいる。心なしか顔も赤いようで、普段こんな動揺をみせる相手ではないだけに、可愛いその反応に悪戯心が擽られた。

「そう。遠回しなプロポーズかと思った」
「ハル!」
「嘘です」

涼しい顔で残り少なかったアイスコーヒーを飲み干すと、むくれる相手に気づかないふりで近くを通りがかった店員を呼び止め、新しく同じものを注文する。
ついでにと井坂にメニューを差し出せば、井坂はそれを受け取ってデザートメニューからケーキセットを頼んだ。
怒って帰る気はないようだ。
ダイエット中と聞いていたことについては、これ以上機嫌を損ねさせないようにあえて突っ込まないことにする。
追加した注文を待つあいだ、結婚式の話題から離れ井坂の仕事の話に移った。
井坂は恋愛をテーマにした小説を書いている。流行作家というわけではないが、最近は小説の仕事だけでも生活していけるだけの収入を得ているらしい。
恥ずかしいから自分の本は読まないで欲しいと言って、いまだにペンネームすら教えてくれず、彼女の作品を読んだことはなかった。
もとから恋愛小説を読むことがないため、読んでの感想を求められずにすんで、そのことを不満に思ったことはない。
執筆名まで隠す必要はないとは思うが、それについても深く追求してまで知ろうとしたこともなかった。

今日も、締め切りに間に合わず何度も海外逃亡しようと思った。とか、取材旅行という名目で観光を楽しんできた。とか、そういった類の話で真剣に井坂が仕事の愚痴を零すこともない。


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