短編 | ナノ


▼ 不本意ながら







人間28年も生きていればいろんな場面に遭遇するわけで。
例えばいま、目の前にいる相手が突然「やる」と突き出してきた手の上に、クワガタが乗っているのだってさして珍しいことでもない。
俺や相手が、もしくは俺か相手が小学生くらいの子供であったなら、なんら不自然な光景でもないだろう。
照れ隠しにそっぽ向きながらクワガタをプレゼントしようなんて、微笑ましいかぎりだ。
とはいえ、それはあくまでも子供であったならの話で。

「なんの真似です?」

それが28才の成人男性である俺に、三十路越えのオッサンがキャストでは、微笑ましいどころか奇妙な光景以外のなにものでもない。
てか、引く。マジで引く。

「お前が命の次に大事なもんくれたら、付き合うの考えるって言ったんだろ」
「そんな安い命なら便所に流してしまえ」

なにこの人。馬鹿なの?
いや、このオッサン…小野田課長が馬鹿なのはいまに始まったことじゃない。
そういえば一週間前、移動してきた社員の歓迎会の帰りに、小野田課長から告白されたのを、いまのいままで、すっかり忘れていた。
あの日はかなり酔っていて、それで…。

「酔っ払いの戯言、真に受けないで下さいよ。てか、命の次に大事なのがクワガタって、そっちのがどうかと」
「俺が卵から育てた愛娘だ。男に二言はない。受け取れ」
「いらんわ!」
「遠慮するな」
「遠慮しますよっ。いりません!」

クワガタを潰してしまわないように気をつけながら、差し出された手を押し返す。完全拒否のこちらの態度にようやく諦めたらしく、小野田課長はそれ以上クワガタを押しつけてこなかった。
ホッとしたのもつかの間。長身の体の広い肩が、猫のように丸まってあからさまに落ち込んでいる姿を目にするなり、胸の奥がギュッと締めつけられた。
俯き加減の傷ついた表情に、苦い思いが込み上げてくる。

「……ほら」

下を向いた顔の前に掌を上に向けて差し出す。驚いたように上げられた顔から視線を逸らし、わざとらしい溜息をついた。

「早く寄越して下さい。気が変わります」

結局のところ俺はこの課長には弱いのだ。
クワガタが命の次に大事だという三十路過ぎのオッサンで、会社の机の引き出しにいつも夜食だといって、うま○棒を大量に隠している上司でも。
新人のころ、終電がなくなるまで仕事に追われていた俺を、文句も言わず毎日のように手伝ってくれたのは小野田課長だった。
タクシー代のことで経理部からチクチク嫌味を言われていたのは知っている。度々、上から怒られているのだって、部下のミスを庇ってのことだというのも知っている。
小野田課長は不器用で優しい。

「言っておきますけど、考えるだけですからね!」
「うん」
「付き合うとか、いまはまだ無理ですからっ」
「じゃあいつかは付き合ってくれるの?」
「………」

ジーザス!!
俺がこの愛娘のもう一人の父親になってしまうのは、そう遠くない未来のことなのかもしれない。



END





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