※押し屋パロ




真夏の昼下がりの横断歩道。信号待ちをする人々で溢れている。
私も、その中で信号が青に変わるのを待っている一人だ。道路を挟んだ向かい側にもこちらと同じように信号待ちをしている人々で溢れている。
その先頭の列に立って信号待ちをしている一人の男。薄いブルーのワイシャツに黒のパンツスーツ、ネクタイは締めていない。そこら辺にありふれているクールビズなサラリーマンと同じような格好をしている。彼の周囲には同じような格好をしているサラリーマンが何人かいた。特に目立つ、という格好ではない。彼の職業を知らない者は、彼のことを普通のサラリーマンだと思うだろう。人は良くも悪くも見た目で判断してしまうのだから。だが、彼は普通のサラリーマンではない。情報屋だ。情報を売っている。金さえ払えば、彼からどんな情報も買うことが出来る。
以前、彼に何故普通のサラリーマンと同じ格好をしているのか?と尋ねたことがある。彼は、周囲と同化するためだと言っていた。何かの時、そう、つまり、もしヘマをして追いかけられる様なことになってもこの格好なら人ごみに紛れてしまえば分からなくなるだろう、と。木を隠すなら森の中と同じだよ、と。
確かに、と思う。今、こうして見ているだけで彼は至って普通のそこら中にありふれているサラリーマンのうちの一人にしか見えない。まさか誰も信号が青に変わった瞬間、信号待ちをしている人々が一斉に歩きだすそれに紛れながら、すれ違い様に私に売り物――彼が調べた情報が入ったUSBを渡す、という行動を取るだなんて思ってもいないだろう。ちなみに、情報料は彼が指定した口座に後日支払うことになっている。
それにしても、長い信号だ。さっきから変わる気配がない。信号の赤から視線を彼に向けた瞬間だった――彼は、いきなり飛び出した。


「!?」


もう一度いうが、信号は赤のままだ。変わってなどいない。
信号が変わる前の車がスピードを緩めることなく往来している道路へと、彼は飛び出した。
それも、丁度大型のトラックが走ってきた瞬間に、だ。大型トラックが走ってきた瞬間、絶妙なタイミングで大型トラックの前に飛び出した彼に運転手が気付く間もなかっただろう。あのタイミングでは、無理だ。どん!と、大きな衝突音で気付いたはずだ。
慌ててブレーキを踏んだとこで、もう遅い。彼は、大型トラックに跳ね飛ばされた。遠く離れた場所まで跳ね飛ばされた彼の身体は、周囲に血と肉を飛ばしながらべしゃり、という周囲によく響く嫌な音と共に地面に着地した。
一瞬、辺りはしんとした。静かになったが、彼のその地面に着地した音とほぼ同時に悲鳴が上がる。一気に騒がしくなる。その場から目を背ける者、信号待ちを後方でしていた者は何が起こったのか分からず前へと人の間を縫う様にしてくる者、さまざまだ。
彼は――残念だが、即死だろう。あれで、あの惨状で助かるはずがない。問題は、彼が持っているUSBなのだが、彼がどこにUSBを持っていたのかなど私が知るはずもない。仮にすれ違い様に渡しやすいように、パンツスーツのポケットに入れていたとしても、あの衝撃では無事ではないだろう。無事だったとしても、USB含め彼の持ち物から私に繋がる情報は得ることはない。そこは彼もプロであるから心配する必要はない。
彼から買うはずだった情報を得られなかったことは私にとっては痛手であるのだけれど、それよりも、気になることがある。
私の見間違えでなければ、彼は誰かに押されたのだ。彼の背後に立つ何者かに。彼は、いきなり飛び出した――確かに、そう見えた。けれど、彼を見ていた私は見てしまったのだ。彼の背後に立っていた誰かが、彼を手で押した場面を。
おそらくあの場にいた誰も、それに気付いていない。




***




あれから、私は彼を押した人物の後をつけている。後をつけてどうするのかといえば、何も考えていない。ただ、追いかけなければ、とそんな気がしたまでである。
あの交差点から少し離れた駅から電車に乗り二つ目の駅で降りる。そこから住宅街の細い道に入り、何度目か分からない角を曲がる。彼を押した人物から決して目を離さない。
私が後をつけていることにおそらく気付いているのだろう。私を捲こうしていることは、なんとなく感じとることが出来る。
逃がさない――ここまで追いかけて来たのだから。
追いかけている過程で、一つ思い出したことがある。押し屋――そう呼ばれる人物がこの業界にいることを。私も噂を耳に挟んだだけだ。噂によれば、押し屋はターゲットを押すことによって始末するらしい。彼を押した時の様に。おそらく、いや、間違いない。私が今、後をつけているこの人物は、押し屋であるとみて間違いない。確信している。まだ直接確認を取ったわけではないけれども、確信を持てるのは長年の勘だ。
ふっと、一軒のごく普通の民家の前で押し屋は姿を消した。どうやらそこが押し屋の家らしい。いや、隠れ家かもしれないが。
周囲を警戒しながら家の前まで行ってみる。辺りに人の気配は感じられない。
呼び鈴に手を伸ばし押してみる。ピンポーン、と聞き覚えのある音が鳴るが中から誰かが出てくる気配はない。もう一度押そうと呼び鈴に手を伸ばしかけた瞬間、背後から声をかけられた。


「あの、何か用ですか?」
「!?」


おかしい、人の気配なんてなかったはずだ。
慌てて振り返れば、私が後をつけていたはずの押し屋がそこに立っていた。


「え…な、何で?」


家の中に入っていったはずだ。なのに、何故、私の背後から現れたのだろうか?


「すいません…あなたが僕の後をつけてきていたので家の中に入るふりをしました」


ぽりぽり、と頬を人差し指で軽くかきながら私の疑問に対する答えをあっさりと口にした。


「やっぱり、気付いてたのね…」
「はい。でも、おかしいんです…何でですか?」
「え?」
「途中で何度かあなたが僕を見失う様に、そういうことをしたつもりだったんですけど――どうしてあなたは僕を見失うことなく、ここまで来られたんですか?」
「え…?私は、ただ、あなたから目を離さない様にしてここまで後をつけて来ただけよ」
「!」


私の答えに若干驚いた様に表情が動いた。嘘は言っていない。そうして、ここまで後をつけて来た事実を言ったまでだ。


「それより、あなた青いワイシャツを着たサラリーマンを押したでしょう?」


彼が情報屋だということは伏せておく。私の問いに押し屋の表情は変わらない。


「あなた、押し屋なの?」


確信はしているけれど、敢えて質問してみた。さあ、どう反応を示してくる?


「押し屋、ですか…」


やはり表情は変わらない。彼を取り巻く雰囲気も、何一つ変化はみられない。


「確かにそう呼ぶ方もいます。ですが――押し屋というのは馬鹿馬鹿しい呼び名ですね」
「え…?」
「あまり、好きではないんです。その呼び名」


困った様にふわり、と笑う。
その笑みが彼の人柄を表している様で――とても、人を殺す様な、この業界の人間にはとても見えない。


「ねえ、どうしてあの人を押したの?」
「それは、あの人は、僕にこんな依頼がくる様なマネをしていたということです」


それは否定しない。全く、その通りなのだから。この業界に身を置いていればいつ自分の命が狙われてもおかしくはないのだ。情報屋の彼だけではない――勿論、私自身も。


「それで、あなたは僕に何か用があるんですか?」
「え、いや、別に…」
「じゃあ何でここまで僕の後をつけて来たんですか?」
「――べ、別に、用なんてないけれど、あなたのせいで彼から買う予定だった情報が手に入らなくなったのよ。どうしてくれるの?」
「! それは、すみません…」


申し訳なさそうに頭を下げる押し屋。
あっさりと謝られてなんだか拍子抜けしてしまう。確かに、彼から情報が買えなかったことは私にとっての痛手ではある。けれど、また他の情報屋から同じ情報を買えばいいだけの話でもある。彼の他にも信頼出来る情報屋のコネはいくつか持っている。彼の代わりなど、いくらでもいるのだ。


「なーんてね」
「え?」
「別にそこまで困っているわけじゃないよ。入金もまだだったしね」
「そう、ですか」
「うん」
「…あの、」
「ん?」
「――いえ、すみません…やっぱり何でもないです」


押し屋は何かを言いかけてやめた。何を言おうとしたのか気になるところではあるけれども、深く探る気にはなれなかった。探りを入れたところで、押し屋は言いかけたことを素直に話してくれるタイプではないだろう。


「ふうん、まあ、いいけど」
「…」
「さて、と、そろそろ帰ろうかな」
「え?」
「え?って…特に用もないし、彼から買うはずだった情報をどうにかしないといけないしね」
「すみません」


再び申し訳なさそうに頭を下げる押し屋。
謝るのなら、最初から殺さないでほしいものだ。私からしたらそうなのだけれど、押し屋からしたらそういう訳にもいかないのだろう。分かっている。
これ以上ここにいても意味はない。「じゃあね」と、一言告げ押し屋に背を向け来た道を戻ろうと、押し屋の家らしいそこの門から足を一歩踏み出す。瞬間、背後からかけられる声。


「あの、あなたもこの業界の人間みたいですから一つ忠告しておきます」
「?」
「――背後には気をつけて下さい」
「! はは、あのねー、それあなたが言っちゃう?」


足を止め、振り返る。
冗談を言っているのだと思った。けれど、振り向いた先の押し屋の表情は笑っていなかった。真剣な表情をしている。冗談で言っているわけではないらしい。


「ご忠告ありがとう」
「いいえ」


何故、そんな忠告を私にするのだろう?仮に押し屋の次の依頼が私だったとしたら、背後に気をつけろなんて忠告は仕事をやりづらくするだけであるはずだ。
それとも、そんな忠告をしたところで問題は何一つないということだろうか?その真意を知ることは、さっきもいったが探ったところで教えてくれるタイプではだろう。
表情からも何を思っているのかなんて、読めるタイプではない。悪人にも見えない。見れば見る程にこの業界の人間には見えないのだけれど。


「ねえ、聞いてもいい?」
「何ですか?」
「何で、あなたはこういう仕事をしているの?あなたは、この業界の人には見えない…」
「よく、言われます」
「…」
「でも、それでも、僕にはこれが一番向いているんです――だから、ですかね」


そう言って、押し屋は切ない様な寂しそうな笑みを浮かべた。





***




押し屋を追いかけたあの日から数日が経った。
あれから、違う情報屋から彼から買う予定だった情報を買い、私の仕事は無事に終えた。
今日は別にどこかに行く予定も、誰かと待ち合わせをしているわけでもない。ただ、ふらりと街に繰り出してみただけである。特に行き先も決めずに適当に選んだ駅のホームで電車を待つ。時間帯にして、あの日と大体同じ頃である。
電車がホームに到着する時間までにまだ時間があるからだろうか、少しずつ増えてきてはいるもののホームにいる人はまばらだ。自然と電車を待つ列の先頭になっていた。
電車が来るのを待ちながら、ふと先日の押し屋のことを思い出した。そういえば、名前を聞くのを忘れていた。押し屋というこの業界で通っている名前ではなく、彼の名前を。


「残念です…」


声がした。背後から。聞き覚えのある声がした。同時にホームに電車が迫ってくる音。
それが誰の声だったのか思いだす前に背中をとん、と強くないはない、軽い――けれど決して逆うことを許さない力で押された。
一瞬だった。身体が前に進んでいく――一歩、二歩、また一歩と、足が止まらない。まるで、身体に見えない糸でも絡まって引っ張られているかの様に。引き込まれる、引き込まれる、引き込まれる。


「このような結果になって、とても残念です」



繰り返される真昼の惨劇




2012 12 2
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