どこにでも売っている様な安っぽい女物の香水の匂い。部屋に一歩足を踏み入れた瞬間に鼻腔に感じるそれ。喰種である私は人間よりも嗅覚がいい。そんな私が気が付かないとでもこの男は思っているのだろうか?――思っているのだろう。何故なら、この男は人間で私が喰種であることは知らないのだから。
最も私はこんな男を喰べる趣味はない。付き合ってほしいと言ってきたから拒まなかった――それだけだ。自分から付き合ってほしいと言ってきたくせに、平気で浮気をするこの男が分からない。分かりたくもないけれど。
問い詰めてみたところで素直に認めない。言い訳がましい言葉をつらつらと並べてくるこの図太さに心底うんざりする。何を言おうが、この部屋に満ちている他の女の残香が動かない証拠であるというのに。
苛々する。喰べる気はないけれど、殺したくなってくる。後処理が面倒であるから殺しはしないけれど、抑えて抑えて腹に一発蹴りを入れてあげた。勢いで壁に打ち付けられて、そのままずるずると床にへたり込む男。抑えたつもりだったのだけれど、力を入れすぎたのかもしれない。殺さないようにする手加減は難しい。人間は脆い。
ゲホゲホと蹲って咳き込む男を見下ろして、溜息が出た。こんなに脆く弱いくせに、どの口が私に俺が守ってあげるなどと言えたのだろうか?その言葉に期待は一切していなかったのだけれど、ここまで脆く弱いと笑いが込み上げてくる。上がりそうになる口角を抑えて、その場を後にした。この男に最後にかけてやる言葉などはない。


***


男の部屋を後にして、自分の部屋に帰ろうと歩いていると少し前方に人影が現れた。現在時刻は、日付を少しを超えた辺りである。街灯の灯り以外は夜の闇に包まれている。そんな中で、その影が誰なのか判別をつけるのは難しい。しかし、私にはその影には見覚えがあった。
近づいていくうちにその影が誰なのかはっきりと分かる。やはりというか、それは私の予想通りの人物だった。


「習…」
「やあ、久しぶり」


軽く手を上げて挨拶してくるそれがやけにわざとらしい。


「何か用?」
「用がなくちゃ君に声をかけてはいけないのかい?」


面倒な奴に出くわしたものだ、と思わず表情に出してしまった。
習とはなんだかんだと付き合いは長い方ではある。普通に会話はするし食事もしたことはある。だからといって仲が良いというわけではない。習はどう思っているか分からないが、私はそう思っている。


「私は今あんまり気分がよくない。用がないなら習と会話をする気はないんだけど…と、言えばいいかしら?」
「君のそういう風にはっきり言うところ好きだよ」
「……」
「君の気分が悪い理由はちゃんと分かっているよ」
「は?」
「悪いけれど、一部始終見ていた」
「!? 最低…」
「どうとってくれても構わないよ。だから、奴らを付き合うのはやめたまえとあれほど言っただろう…」


諭す様に言葉を繋ぐ習の言う通りだ。今回の様なことは今までにも何回かあった。付き合ってほしいと言われたから、そうした。それで浮気をされて別れての繰り返し――その度に習には何度も注意されてきた。


「君に奴らは似合わないよ」
「…習には関係ない」
「いい加減素直になったらどうだい?」
「……」
「僕だったら、浮気なんてしない」
「……」


黙っている私の前に習は片膝をついて跪いた。


「!?」


そして、そのまま私の左手を掬うように取ると――


「君だけを愛すとここに誓おう」


口付けを一つ手の甲に落としてきた。


「!?」


こういうことを平然としても違和感がなく、様になるのだからこの男はずるい。
今までも私に甘い言葉をかけてきたことは何度かあったけれど、こういうことをされたのは初めてである。他の誰かにしていることも見たことはなかった。だから、嫌なのだ。だから、面倒なのだ。
何故、私なのだろう?習は見た目だけはいい。見た目だけならそこら辺のモデルなんかよりもいい。モテないはずがないのだ。世の中には、人間でも喰種でも綺麗で習に似合う人は沢山いるはずだ。習だって、そういう人達に面識はあるはずだ。なのに、何故私にこういうことをしてくるのだろうか。分からない、分かりたくもないけれど――そう思いかけた途端に習が言った「いい加減素直になったらどうだい?」という言葉を思い出した。


本当に面倒な奴に出会ってしまった

(今までも何回そう思ったことか――習は私を乱すから)



2013 7 15
×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -