赤く染まる夕日が綺麗だ。
西にゆっくりと沈んでいく夕日が、空を赤く染める。そして、それを淡い青が段々と濃さを増していき闇に染め上げていく――その流れを眺めるのが好きだ。
窓からでは視野が狭い。見るのなら視野が広い方がいい。廃墟区画にある廃ビルの屋上からそれを眺めるのは何ともいえない開放感がある。この開放感を例えるのならば、真っ暗な洞窟の中をさまよい歩きやっと出口を見つけ外に出られた時の様な――それに近い。あくまで私個人の感じ方であるけれど。ここに立った人間が全員私と同じ様に感じるのかといえば、それは有り得ないことだ。十人いたら全員が違う感じ方をするはずである。そこが人間の面白いところだと私は思う。
廃墟区画の中でも、私が今いるこの廃ビルの屋上から眺める夕日は絶景だ。何故なら、丁度夕日が沈んでいく西側にはこの廃ビルより高い建物がないからである。この場所を見つけた時は気分が高揚したのをはっきりと覚えている。
今日も私はこの廃ビルの屋上で西に沈んでいく夕日を眺めている。天気が良かった分、今日の夕日も綺麗だ。これは写真に撮っておけばよかったかもしれない。撮影出来る物を持って来るのを忘れたのが残念である。


「やっぱりここにいたのか…」


若干呆れを含んだ声がした。
声のした方に視線を向けると、屋上の出入り口の所に槙島さんがいた。屋上の出入り口はドアが壊れて開きっぱなしになっている。ドアを開ける必要はないので、槙島さんが来たことに気がつかなかった。いや、そもそもこの人はわざと足音を消してここまで来たのだろう。
結果、夕日を眺めることに夢中になっていた私は槙島さんの気配に気付けるはずもなく、何の前触れもなく槙島さんが現れた印象を受けた。まるで、目に見えないけれど確かにそこに存在している何かが突然姿を現したかの様な――それだ。
特に反応こそしなかったものの少なからず驚いているのが事実だ。そんな私の反応を愉しむかの様に槙島さんは、軽く口角を上げている。


「君も好きだね、ここが」


ゆったりと歩きながらこちらに近づいて来る。


「はい、お気に入りの場所です」


槙島さんは、私の隣まで来ると足を止め空を見上げた。


「綺麗だ」


槙島さんがこの場所に来るのはこれで二回目だ。
夕方になると度々出かける私にどこに行っているのかと訪ねてきた時に案内したのが一回目。その時も槙島さんは今と同じ様に空を見上げて「綺麗だ」と言っていた。
そして、注意されたことも覚えている。所詮、私も潜在犯だ。こんな所に出入りしているうちにサイコパスを測定されたら――それはいうまでもないことである。分かってはいるけれど、この夕日を見たいという欲求には適わない。そして、これでも科学者をしている私はその欲求のためだけに、サイコパスを測定されても犯罪係数が規定値を超えた値が出ないようにする方法の研究をしている。試行錯誤を繰り返しまだ試作品段階ではあるけれど、一応それは出来上がっている。正確には出来上がったばかりだ。
私が今身に着けている首輪の様に見えなくもない金属、これを身に着けている間は犯罪係数が規定値を超えた値は出ない。試作品段階であるから、一時間と少ししか持続時間は持たないしいつバグを起こすか不明ではあるけれども研究室からこの廃ビルまでの移動時間内ならばほぼ問題はないはずである。
実のところ、今日この場所に来たのはこの出来上がったばかりの試作品の実験も兼ねてというのもあったりする。研究室内の実験だけでなく、実際に外に出て使えるかどうかの実験だ。
試作品でもこの研究をここまでの形に出来たことに喜びを感じる。純粋に嬉しい。最も、まだ完成品ではないので満足はしていないけれど。結局のところ科学者が生み出す発明品は、その科学者が欲する物なのだ。それがどんなに他人にとってくだらないと思える物でも、その科学者にとっては必要なのだ。だから、その方法を模索して生み出していく。


「ところで、前も言ったけれど君の犯罪係数は高いんだから気をつけた方がいい」
「ご心配ありがとうございます。でも、もう大丈夫ですよ」
「もしかして、例のあれかな?」
「はい!」
「やっと完成したかい?」
「あー…完成ではないです。試作品なんですけど、一時間ちょっとくらいなら使えるはずです」
「成る程、あまりここでゆっくりしている時間はないってことか…」
「ま、まあ、そうですけど…研究室までそんなに遠くないですし…」
「そうだけど、君はここでこの景色を見ていたら時間なんて忘れてしまうだろう?」
「う…」


言い返す言葉もない。
研究室からこの廃ビルまでの移動時間内とこの場所で夕日を眺める時間を含めても一時間と少しくらいならば十分な時間ではあるのだ。最も廃棄区画内ではサイコパスを測定される心配はしなくても良いのだが、一応用心するに越したことはない。だから一時間と少し。ただ、私が夕日を眺めることに夢中で時間を忘れなかった場合に限るのだけれど。


「研究に熱心な様に一つのことに夢中になって、周りが見えなくのは君の悪い癖だ」
「…そ、その通りでございます」
「でも、僕は君のそういうところ…嫌いじゃないけどね」
「!」
「時間もあまりないようだし、早く撮るなら撮りなよ」


すっと、槙島さんは持っていた黒の手提げ袋を渡してくる。
ここに来た時からずっと手に持っていたのは気になっていたのだけれど、受け取って中身を見て驚いた。


「え…!?」


カメラだ。私の愛用している一眼レフカメラが槙島さんから手渡された黒の手提げ袋の中に入っていた。普段は私の研究室の棚に置いてあるそれだ。


「持ってきてくれたんですか?」
「以前ここに来た時にカメラを持ってくればよかったと言っていたのを思い出してね。今回も手ぶらで出かけて行ったんだろうと思って、ここに来る前に悪いけど君の研究室に入らせてもらった」
「ああ、それは構いませんよ。槙島さんいつも勝手に入ってくるじゃないですか」
「それは中に君がいる時だろう」
「あはは、そうですね」
「それにしても、今の時代にフィルムのカメラを愛用しているのは珍しいね」
「槙島さんだって紙の本を好むじゃないですか。それと同じですよ」
「ふうん」


私はフィルムのカメラを愛用している。
研究室には現像し、写真を焼く機材全てが揃えてある。特に好むのが白黒写真だ。カラー写真とは違った良さが白黒写真にはあるのだ。白黒といっても単に二色だけではないと私は思っている。色の濃さ淡さ加減でその表現は違ってくる。与える印象が違う。寧ろ、限られた白黒でしか表現出来ない何かがそこにあると、そう思う。
槙島さんが持ってきてくれた黒の手提げ袋から愛用のカメラを取り出す。レンズのカバーを外して、左手でレンズを支える。右手はカメラ本体に――このずしりと手に馴染む感覚が好きだ。
この夕日を白黒写真で撮影する。この色合いは私の記憶に焼き付けておけばいい。白黒で撮ったこの写真を見て、今この瞬間の色を思い出せばいい。レンズから見える限られた視界が一枚の絵画の様だ。
パシャリパシャリと夕日にシャッターを何度か切ったところで、私が写真を撮る様を見ていた槙島さんにレンズを向ける。


「!」


いきなりレンズを向けられた槙島さんの少し驚いた顔にパシャリとシャッターを切った。


「驚きました?」
「少しね」


人を被写体にするのは好きではないのだけれど、何故か槙島さんを被写体にしてみたいと思ったのだ。


「闇が濃くなってきたね…これはこれで綺麗だ」


日が槙島さんがここに来た時よりも傾いて、赤より紫、青とより濃い色が範囲を広げてきている。目を細める様にして、空を再び見上げて呟いた槙島さんの横顔にシャッターを切った。
その横顔がなんだか切なげで、色で表すのなら白がしっくりくる槙島さんが迫ってくる闇に溶けて消えてしまいそうな錯覚を覚えた。
実際にそんなことはないのだけれど、槙島さんは今私の目の前にいるのだけれど。


「槙島さん」
「何だい?」
「急に消えたりしないでくださいね…」


黄昏色、空の下で

(この時、肯定するでもなく困った様な複雑そうに笑った槙島さんの顔を私は一生忘れないだろう)



2013 6 8
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