「これが何かご存知ですか?」

テーブルの上に置かれたのは一枚のコインだった。銀色で、表面には林檎に巻き付いた一匹の蛇が装飾してある。
それを置いた人物である名前は、テーブルを挟んでクロコダイルが座っているソファーの向かい側にあるソファーへと腰掛けた。
得意げな表情をしているところから予想するに、クロコダイルがそのコインについて知らないと思っているのだろう。
だが、クロコダイルはそれに見覚えがあった。いつ見たのかはっきりとした時期は記憶が曖昧だが、それが何のためのコインであるかは知っている。
とある場所に入るために必要なコインだ。その場所とは、次期によって変わる。ある時はホテル、またある時は劇場、バー、地下闘技場だったりと様々だ。変わらないのは、その場所での戦闘行為は一切禁止であること。逆にいえば、それ以外は何をやっても構わない。よって非合法な取引、情報交換、人身売買、闇オークション等、表立ってやるには憚れるようなことに利用するのが大半を占めている。
仮に、禁じられている戦闘行為を行った場合、その対象は主催と呼ばれる組織の始末部隊に存在を消されるまで追われることになる。

「あァ、知っている」
「えー……知ってたんですか……」

やはりクロコダイルがコインについて知らないと予想していた名前は、自慢げに説明をする機会がなくなったことに残念そうに大袈裟に項垂れてみせた。

「入手するの大変だったのになあー……」

わざとらしく溜息を漏らす。
そのコインが出回る枚数は決まっている。正確な枚数を知る者は主催のみだけになるが、誰でも簡単に入手出来るようなものではない。コインを手に入れるために、騙し騙され場合によっては相手を殺して奪う者までいる。とにかくコインを手にすれば、それが一般人だろうと海賊、マフィア、海軍、誰でもとある場所へ入る資格を得ることが出来る。
とはいえ、コインにまつわる情報を知っているのは主に裏社会で生きている人間が圧倒的多数である。故に、その場所に足を踏み入れるのは裏社会で有名な人物、世に手配書が出回っているような悪人ばかりだ。

「あ、でも、コインのことは知っていてもあの場所には行ったことないですよね?」
「……いや、ある」
「えっあるんですか!?」

完全にクロコダイルの回答が、予想外だったのだろう名前は身を乗り出すようにして聞いてくる。
クロコダイルは、随分と前に一度だけ、取引相手に連れられて赴いたことがあった。コイン一枚で、コイン所有者と他に一人だけその場所へ入れるのだ。

「……誰と行ったんですかー?」

不満そうに名前が口を尖らせる。

「さァな。いちいち覚えちゃいねェよ」
「その顔は絶対覚えてますよね?」
「覚えてねェ」
「ふうん……そうやって教えてくれないんですね」
「そんなに気になるなら好きに調べりゃいいだろ。お前なら余裕だろうが」
「……まあ、そうですけど。なんといっても私、優秀な情報屋なので」
「で、その優秀な情報屋がわざわざコインを見せてきたんだ……何がある?」

何かあるのか?ではなく、何がある?と口にしたのはクロコダイルが既に名前は何か有益な情報を掴んでいることを確信しているからだ。
名前と行動を共にするようになってから数年が経つ。相手の言動を見れば、こういう時にだいたい何を考えているのかは分かるようになっていた。

「義眼の男」

名前の口からその呼び名が出た瞬間に、吸いかけの葉巻に伸ばしかけたクロコダイルの手が止まる。
義眼の男とは、左目が硝子で出来た義眼を装着している長身の男であり、二週間程前にクロコダイルがある組織と行う予定だった取引を台無しにした相手である。結果、その取引のためにかけてきた労力は全て無駄となり損害も大きかった。
当然、クロコダイルの怒りを買った。義眼の男本人にもその自覚はあるようで、この二週間上手く行方をくらましていたのである。長いこと裏社会で過ごしているだけのことはあり、義眼の男は身を隠すには慣れていた。

「明日の午前零時に、ここから南西に五十キロ離れた街のクエルチアというレストランに現れます」
「……」
「あ、クエルチアは明日夜八時から主催の貸切となるのでこのコインを持った人しか入れません」
「……」
「で、そこで、義眼の男とマリンコニアファミリーというこの近辺で幅を利かせている組織が取引をする予定です」
「……成る程、マリンコニアファミリーってのはたしか金さえ払えば相手が誰だろうが逃し屋みてぇなことをしてるってのは聞いたことがある」
「ご存知だったんですね」
「あァ。やつは余程おれから逃げたいらしい。…………いや、待て。お前か?名前」
「えー私は怖がられてないと思いますよ」
「そうじゃねェよ。わざわざ明日のその日時にやつを誘い込んだのはお前かって意味だ」
「えへへ、バレましたー?」

名前は、にへら、と気の抜けたような笑みを浮かべてみせた。
実のところコインについての情報を流したのも、義眼の男がコインを入手出来るように所有者についての情報を流したのも、クロコダイルが義眼の男の行方を追っていることを流したのも名前の仕業だ。二週間の期間を要したのはこのためだ。
全ては、義眼の男が明日コインの所有者しか入ることが出来ないレストランクエルチアに足を運ばせるためである。

「ったく、お前のやり方は回りくどい……」

クロコダイルは、溜息を吐くように紫煙を吐き出した。

「私にやり方は任せるって言ったのはクロコダイルさんじゃないですかー」
「……」
「それに、今回みたいに戦闘行為が禁止されている場所だから、自分は安全だと思い込んでいる相手ほど狙いやすいとは思いませんか?」
「…………ああ、そういうことか」
「そういうことです」

名前の意図を理解したクロコダイルは、意地悪そうに口角を上げる。
要は、レストラン外であれば問題はないのだ。戦闘行為が禁止されているレストランへ入る前に義眼の男を始末するのも、レストランへ入店した後でも例えばレストランがたまたま火事になり店内にいた客が店の外へ逃げざるを得ない状況になるのは仕方がない。禁止されているのは、その場所での戦闘行為のみだけなのだから。

「クハハ、悪ィ女だな」
「私より悪いこといっぱいしてる人に言われたくないでーす」

クロコダイルは咥えていた葉巻を手に取ると、再び紫煙を吐き出した。

「だが、おれがそのルールを律儀に守ってやる義理はあるか?」
「あーそれ言うと思いました!でも、ルールは守ってもらわないと困ります」
「……つまり、お前はおれが主催ごときの始末部隊に敵わねェって言いてぇのか?」
「そうではなくて……!クロコダイルさんなら始末部隊相手でも余裕だと思いますよ。でも、一緒にいる私は真っ先に殺られるじゃないですか!私の弱さは十分知ってますよね」
「……」
「仮に私が殺られなくても、クロコダイルさんと一緒にいたからという理由で今後確実に出禁にされます。それは困るんですよ……私のビジネスに支障が出ます。そうなったらクロコダイルさんだって困るでしょう?」

わざわざ相手のルールに従ってやるのは気に食わないが、名前の言う通りに情報屋としての彼女の仕事に支障が出るのは困る。
これまでも、情報屋として名前は十分にクロコダイルの役に立ってきた。名前が自身でよく口にするように優秀な情報屋だということはクロコダイルも分かっている。支障が出たところで、名前なら難なく他の手を使って上手くことを運びそうな気もするが、彼女が築いてきた色々なものはなくなってしまうだろう。今までなら他に全て回せていた労力をなくしたものを補うための労力にも使わなければいけなくなる。名前の負担が増える。
少しの沈黙の後、クロコダイルは軽い舌打ちを漏らした。

「……仕方ねぇな」
「分かってもらえてよかったですー。楽しみですねえ、明日」

名前はにっこりとした笑みを浮かべると、テーブルの上に置いていたコインを右手に取った。そのまま手首をくるりと回して、手のひらをわざとクロコダイルに見えるように向ける。そこには手にしたはずのコインが跡形もなく消えていた。

「どこで覚えた?」
「さあ?どこでしょうねえ」

秘密です、と口にすると名前はレストランへ向かう準備をするため、クロコダイルの部屋を後にした。
言うまでもなく、翌日義眼の男はクロコダイルから報復を受ける。
裏社会で長い間上手く立ち回っていた義眼の男だったが、手を出した相手がクロコダイルだったことと、そのクロコダイルが優秀な情報屋と手を組んでいたことを知らなかったことが主な敗因である。
この日以降、義眼の男の姿を見た者はいなかった。


2022/08/08
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