今は会わない方がいいと、悟も硝子も口を揃えて言った。
話を聞けば、彼は任務で祓った呪霊の影響で一時的に記憶がなくなってしまったらしい。大きな怪我もなく、任務は無事に完了している。ただ彼の記憶だけが一時的に綺麗さっぱりと消えてなくなってしまった。
二人は記憶がなくなった彼に既に会っている。学生の頃から見慣れた二人を前にして、彼は何も覚えていないと首を横に振ったらしい。
おそらく私のことも今の彼の中には、何も残っていないことが簡単に予想がつく。
私が今の彼に会って、ショックを受けることは二人から見ても明白だ。
だから、二人は彼に会おうとする私を何度も止めようとする。

「七海の記憶が戻るのを待った方がいい」

硝子は言う。

「誰ですか?って七海に言われたら、絶対名前は泣くでしょ」

悟は言う。

「でも……会いたい……」

譲らない私に二人は困ったように顔を見合わせた。
駄々を捏ねる子供みたいだということは分かっている。
二人が私を心配して止めてくれていることも分かっている。
けれど、私のことをほんの少しだけでも彼の記憶に残っているかもしれない、という希望的観測がどうしても捨てられずに確かめたいと思ってしまう。私の顔を見たら、何事もなかったかのようにいつもの優しい声で私の名前を呼んでくれるのではないだろうかと期待をしてしまう。
何より、最近は忙しくあまり顔を合わせていなかったということもあり、彼に会いたいという気持ちが強かった。



「すみませんが、今の私には記憶がありません。あなたは誰ですか?」

医務室のベッドの上で、上半身を起こし座っている彼はベッドサイドの椅子に座った私に申し訳なさそうに口にした。
一応、覚悟はしていたつもりだったが、二人が言っていたとおりいざ目の前で彼の口からその言葉を告げられると、鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

「えっと……」

目の奥がじんわりと熱くなってくるのを感じる。
悟に言われたとおりに、涙を流してしまうのは悔しい気がした。泣きたくはない。ここでいきなり泣き出したら、記憶のない彼に不審な人物だと思われるかもしれない。それは嫌だ。
涙をぐっと堪える。ショックだが、まだ淡い希望的観測を完全には捨て切れられずにいる自分に嫌になる。
あなたは誰ですか?
そう、言われた時点で淡い希望など打ち砕かれてしまっているというのに。

「その……あ、姉です」

思わず嘘を言った。
ほんの少しでも記憶が残っているのなら、私の嘘なんて彼にはすぐバレてしまうだろう。
嘘でしょう、という一言を期待してしまっている。

「そう、なんですね」
「……」

あっけなく期待は消えてしまった。
彼の返答で、改めて彼に記憶がないことを実感してしまう。
嘘を口にして、自分の首を絞めたのは他でもない自分である。本当に私は何をやっているのだろう。本当に馬鹿だと思った。

「ごめん、嘘吐いた……」
「……え?」
「多分もうちょっとで記憶が戻るって硝子が言ってたから大丈夫だよ。じゃあね」

悲しい顔は見せたくなくて、無理やり笑顔を作ると彼に背を向ける。立ち上がり、この場を去ろうとした瞬間、彼に手を掴まれた。

「待ってください」
「……」
「アナタは……何故、泣きそうな顔をするんですか?」
「し、してないよ」
「姉というのが嘘だと言うのなら、アナタと私の本当の関係は何だったのですか?」
「……」
「教えてはくれないんですか……」
「……」
「何故かは分かりませんが、アナタのことを悲しませたくないと思うのです」

瞬間、なんとか堪えていた涙が溢れて出してきた。
一旦溢れてしまうと止めようとしても、私の意思に反して次々と流れてくる。
手で雑に涙を拭うと、彼の方を振り向いて勢いよく抱き付いた。

「ナナミン……!」

彼からの驚きと戸惑いが伝わってくるが、控えめに私を慰めるかのように頭に乗せられた手の優しさに変わりはない。
ゆっくりと私の頭を撫でてくれる彼の温かさは、私のよく知っているいつもどおりのそれだった。



「申し訳ありません……名前を傷つけてしまいました」

硝子から彼の記憶が戻ったと連絡を受け、医務室に行くとベッドに座っていた彼は私の顔を見るなり頭を下げてきた。
どうやら記憶がなかった時の、私とのやり取りは覚えているらしい。

「き、気にしないで……。会わない方がいいって止められたのに会いに行った私が悪いから」
「ですが……」
「それに、ちゃんと思い出してくれたし、ね?」

安心させるように笑顔を作ったつもりだった。
けれど、やはり私はこういう時に偽るのが下手なようで、あっけなく彼に見抜かれてしまう。

「そんな泣きそうな顔を隠すように言われて、はいそうですか、と信じられるわけがないでしょう」
「うっ……こ、これは、ナナミンの記憶が戻ってよかったなーって安心したあれで!」
「名前」

静かに、それでいて優しい声色で私の名前を呼ぶ。
すっと伸びてきた彼の手が私の手に触れる。そのままやんわりと掴まれ、彼の方へと引き寄せられた。
されるがまま彼の方へ一歩近づくと、腰へと回された彼の腕が更に私を引き寄せる。気付けば彼の膝の上に座らせられ、腕の中に閉じ込められていた。

「……」

静かに見上げれば、穏やかな優しい瞳が私を映していた。

「もう一度、謝らせてください。名前を傷つけてしまい申し訳ありませんでした」

私を慰めるように謝ってくる彼の胸板に顔を埋める。
彼に非はない。私が、友人達が止めるのを聞かずに会いたいという気持ちを我慢出来ずに身勝手な行動をして、勝手に傷ついただけなのだから。一言でいってしまえば自爆だ。だから彼が気に病む必要はないのだ。
今回、記憶を無くして大変だったのは彼自身であるのに、記憶が戻り真っ先に彼が心配してくれたのは私のこと。彼のそういうところは大好きだが、もう少し自分のことを心配してほしいという気持ちもある。

「うん……もう大丈夫」
「本当に?」
「……」
「名前?」
「……よかった。ナナミンの記憶が戻って、本当によかった」

ぎゅっと彼に抱きついた。

「思い出しますよ」
「……」
「どんなに時間がかかっても、必ず名前のことを思い出します」

ゆったりとした手つきで、私の頭を撫でてくれる。自然と目を閉じる。彼から伝わってくる体温が温かい。すっと身体から力が抜けていく。
こうしているだけで、ものすごく安心してしまう私はきっと単純なのだろうと思った。


2020/12/31

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