時刻は夕方、空は夕焼けで赤く染まっていた。用事が全て終わり、高専の駐車場に車止める。
後は書類を提出すれば本日の業務は終わりだ。
一息吐き、車から降りたところで名字さんに声をかけられた。
タイミングが良すぎる。なんとなく嫌な予感がした。こういう時の嫌な予感というものは割とよく当たる。

「伊地知、車の鍵貸してー」

見事に当たってしまった。
ますます嫌な予感は強まっていく。

「……一応聞きますが、何故ですか?というか、名字さん運転出来るんですか?」
「失礼じゃない!?ちゃんと免許持ってますー!ほら」

何処からともなく免許証を取り出すと見せてくる。
そこには確かに、彼女の名前と写真があり怪しいところは何一つない。本物の免許証である。
免許証を持っていたことに驚いた。彼女が運転をしているところはこれまで一度も見たことがない。
それなのに、いきなり車の鍵を貸してほしいと言い出すからには何か訳があるのだろう。おおよそこちらの予想しない回答が返ってくるのだろう。
車の鍵をどうぞと貸してしまうのは簡単だが、念のため彼女が何をするのかは確認しておく必要がある。

「で、何をするつもりですか?」
「ドリフト」

耳を疑った。
こちらの予想しない回答がくると心構えていたが、予想出来ないにも程がある。
まさか彼女の口からドリフトという言葉が出てくるとは誰が予想出来ようか。
ひくっと頬が引き攣るのを感じた。
この人はまた何かの影響を受けたに違いない。

「また何かドラマか映画かアニメでも見たんですね……」
「えっ何で分かったの!?」

何故かといえば、前も似たようなことをしていたからである。
確か前はスキーかスノボだったはずだ。その次はキャンプだった。
このまま彼女のペースに飲み込まれてはいけないと、落ち着くために深呼吸をした。

「ちなみに、最後に車を運転したのはいつですか?」
「……うーん、多分三年くらい前な気がする」
「運転得意なんですか?」
「多分……普通?」

不安すぎる。
三年ぶりに運転する人が、いきなりドリフト出来るものなのだろうか。元々、運転が得意だというのならまだしも、普通だと口にした彼女が運転が上手い様には見えない。
仮に車を貸したとして、無事に戻ってくるとは思えない。どこかしら破壊されていそうだ。破壊というと大袈裟かもしれないが、彼女ならやり兼ねない。サイドミラーくらいは余裕で吹き飛ばしそうである。
なんだか頭が痛くなってきた。こめかみに手を伸ばしかけた絶妙なタイミングで一台の車が駐車場に入ってきて止まった。
後部座席のドアが開き、中から降りて来たのは七海さんだった。救世主に見えた。思わず彼の名前を呼ぶ。
彼女も七海さんの姿を目にし、嬉しそうに手を振っている。
こちらを見て何かを察した七海さんは、車を運転して来た補助監督に先に行っているように指示をすると、こちらに向かって来てくれた。
私達の側まで来た七海さんは不思議そうに質問してくる。

「何してるんですか?」

今までの彼女とのやりとりを全て話した。
成る程、と話を聞き終えた七海さんは静かな声色で彼女の名前を呼んだ。

「名前」
「ん?」
「ドリフトするって今からですか?」
「うん」
「……それは残念ですね。今夜も夕食を一緒にどうですか?と誘おうと思っていたんですが……」
「えっ!?」
「ちなみに今夜は、アナタの好きなハンバーグを作るつもりでしたが……今からドリフトに行くのなら、残念ですがハンバーグはまた今度ですね」

あわあわと慌て出した彼女は七海さんに縋り付いた。

「待って待って!やっぱドリフトやめた!行かない!」
「いいんですか?ドリフトしたかったんでしょう?」
「ハンバーグの方が大事!ハンバーグの勝ち!ハンバーグに勝るものってある!?いや、ないね!」
「そうですか。では、帰りましょうか」
「うん」

そういうことで、と言い残し七海さんは彼女を連れて去って行った。
流石だ。彼女の扱い方をどこまでも分かっている。彼女のやりたいことを無理やりやめさせようとするのではなく、彼女の興味を別のものに逸らし上手く誘導していった。
彼女を相手に私には真似が出来ないやり方だ。
車が破壊される可能性がなくなり安堵の溜息が漏れる。今度何か七海さんにお礼をしようと思った。


2019/07/30

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