とあるホテルの地下にあるバーのカウンターに名前はいた。
室内は薄暗く、薄いオレンジの照明が灯りジャズが流れている。そこに集う客たちは、どう見ても堅気には見えない者ばかりだ。それもそうだ、ここのホテルは裏社会の人間専用なのだから。
しかし、一つだけ絶対の掟がある。ここのホテル内では、一切の戦闘行為は禁止なのだ。もし破ぶることがあれば、今後ホテル内への出入りは禁止となる。最も出入り禁止というのは、二度とこの世を歩けなくなるという意味が含まれている。それ程までに掟は絶対であり強固なものなのだ。特例はない。
ならば、何故裏社会の人間がこのホテルに集うかといえば情報収集、諜報活動のための仮宿、命を狙われ一時的に避難のため等、様々である。
名前はといえば、情報収集のためこのホテルへと訪れた。さっきまで目ぼしい情報を持っている人物と接触していたのだが、あいにく求めていた情報とは違っており、名前は無駄足を踏むこととなったのだった。
そのまま帰路に着く気分にはどうにもなれなかった名前は、一杯飲んでいこうかと思い冒頭に至る。
適当にバーテンに注文をし、出されたグラスを傾けていた名前の隣へ座る大柄な男が一人。その男は、髪をオールバックにし、黒のロングコートを肩へ掛け、全体的にかっちりとした格好をしていた。それだけでも、周囲の目を引く威圧感を持っているのだが、何より彼の左手の大きな鉤爪が圧倒的なインパクトを与えていた。
名前は、そんな男が隣に座ったのを見ると特に驚いた素振りも見せずに親しげに声をかける。


「あらクロコダイル、久しぶりね」
「ああ」
「あなたがここに来るなんて、珍しいじゃない?戦闘が禁止されているここは、堅苦しいから嫌いだと前に言っていたのに」


探る様に名前がクロコダイルを見やれば、軽く舌打ちを漏らした。


「確かに、ここは好まねぇが……お前が今日ここにいると聞いたからな」
「あら?それって私に会いに来てくれたってこと?」
「そういうことになるな」
「ふうん」


薄く笑みを浮かべる名前。
彼女とクロコダイルは特別な関係というわけではない。何度か仕事で顔を合わせたことがあるだけだ。最後に顔を合わせたのは、半年くらい前になる。その時は、クロコダイルが求めていた情報を名前が売った。逆に名前が求めていた情報をクロコダイルは売った。それだけだ、それ以上でも以下でもない。


「あなたがそんなに私に興味を持っている様には、思っていなかったのだけど?」
「そうか?おれはお前がそんなに鈍い奴だとは思っていなかったがな」
「鈍い?私が?」
「ああ」


どこが鈍いのだと言い返そうとしたのと同時に名前のスマートフォンから着信音が響いた。
言葉を遮られる形になった名前はむっとしながら、スマートフォンを手にし画面へと視線を向ける。そして、クロコダイルへ少し席を外すと告げるとその場から離れて行った。
取り残されたクロコダイルは、バーテンへと注文を一つ。バーテンは意味深いような表情を一瞬浮かべるが、すぐにそれを引っ込めるとシェーカーを振った。
グラスへと注がれた淡黄色のそれを名前が元々飲んでいたグラスを片付けるとそこへ置いた。
それからすぐに名前は戻って来ると、再びクロコダイルの隣へ腰掛ける。カウンターへと置かれたグラスが先程までの物と変わっていることに気付くとクロコダイルへと視線を移した。


「これあなたが?」
「ああ、おれの奢りだ」
「いいの?じゃあ素直に受け取っておくわね。ありがとう」


グラスを手にし、一口口へと含む名前。ふわりと柑橘系の香りが広がる。それを美味しそうに、もう一口とグラスへ口をつける彼女を横目にクロコダイルは呆れたように声を漏らした。


「やはり鈍いな……」


クロコダイルが名前に奢ったカルテルの名前は、Between the Sheetsだ。意味は、一緒に夜を過ごしたい。
勿論、名前がその意味を知るはずもなく美味しそうにカクテルを飲んでいる。実は、クロコダイルは名前と何度か仕事をしていくうちに気に入っていたのだが、当の彼女はそれに全く気付きもせずに今に至る。
しかも、名前は一旦仕事が終わるとどこに行ってしまうのか次の仕事まで姿を消してしまう。
クロコダイルの情報網を持ってしても引っかからないのだ。そんな彼女が今日このホテルにいると聞きつけたクロコダイルが、既に入っていた別件を断りこの場にやって来たことも勿論彼女は知らない。
満足そうにグラスを傾ける名前を見て、クロコダイルは深い溜息を漏らした。


2018/8/26
大体1年くらい前に書いていたもの。
ジョン・○ィックのホテルの設定いいよねから生まれたお話。
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